「老いの神髄は『良質の業(カルマ)』にあり」 ヤマザキマリ×ニコル・クーリッジ・ルマニエール 『人類三千年の幸福論 ニコル・クーリッジ・ルマニエールとの対話』

「老いの神髄は『良質の業(カルマ)』にあり」 ヤマザキマリ×ニコル・クーリッジ・ルマニエール 『人類三千年の幸福論 ニコル・クーリッジ・ルマニエールとの対話』

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  • 更新日:2023/05/26

ニコル・クーリッジ・ルマニエール氏は、日本の漫画文化を偏愛するあまり、キュレーターとして、あの大英博物館で初の大規模な「マンガ展」を実現させてしまった日本学研究者である。それへの出品者でもあり、この快挙にエールを送ったヤマザキマリ氏とは、以来親交を深めてきた。

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構成*宮内千和子 撮影*上澤友香

ニコル・クーリッジ・ルマニエール氏は、日本の漫画文化を偏愛するあまり、キュレーターとして、あの大英博物館で初の大規模な「マンガ展」を実現させてしまった日本学研究者である。それへの出品者でもあり、この快挙にエールを送ったヤマザキマリ氏とは、以来親交を深めてきた。その後お二人は、パンデミックの影響で互いの活動が制限される中、人類の歴史での功罪、芸術・文化論など、オンラインで対話を重ね、それが『人類三千年の幸福論』に結実した。

今回、ニコル氏が仕事で来日し、コロナ禍を挟んでお二人の久しぶりの再会を機に、本一冊ではまだまだ話し足らないと、幸福論の続編を敢行することに。テーマは、「老い」について。人類は老いとどう向き合ってきたか。再会のハグの余韻が残る中、さっそく話題にあがったのは、老いてなお新境地を切り開いたアートの先達について。老境に至らなければ辿り着けない感性、あるいは少し前に物議をかもしたある識者の「老人の集団自決」発言についてなど、話は多岐に及ぶ。

画狂老人卍(葛飾北斎)の奔放

ヤマザキ 絵描きは長生きをすると言いますが、絵を描く人は、年を取ってからのほうが縛りから解かれて自由奔放になるという傾向がありますね。画家の特徴としてもう一つ上げられるのは、若いときは皆だいたい暗くて陰鬱な絵を描く人が多い。ピカソの青の時代が代表的な例とも言えますが、若いときなりの胸中の葛藤がそのまま作品に反映されています。私が画学生だったころは、鮮やかな絵具を買ってもそれをどう生かしたらいいのかさっぱりわからない。綺麗な色を塗っても必ず黒やグレーで被せ、それが心地好かったんです。しかし、人生の困難を乗り越えられた画家たちの作品は色彩もどんどん明るくなっていきます。フランスのポール・アイズピリなどが思い浮かびますが、絵には描く人間の精神状態がそのまま顕われるということなのでしょう。

ニコル 私もそう思います。日本の葛飾北斎も、まさに老境に入ってからパワーアップした画家ですよ。北斎は、生涯で数えきれないくらい改号しているんです。還暦になったときは、「為一(いいつ)」と署名を変えたし、他にも「戴斗(たいと)」とか、「宗理(そうり)」とか、覚えきれないくらい変えている。

ヤマザキ 北斎は何度も名前を変えて、最後に富士の山麓を黒雲とともに竜が昇天していく絵(『富士越龍図』)を描いたときに記した名前が凄く強烈でしたね。

ニコル えーと、数え年で七十五歳から「画狂老人卍(まんじ)」と名乗っています。『富士越龍図』は、本当にすごいでしょう。これは、彼が数え九十歳で死ぬ三カ月前の作品なんですよ。

ヤマザキ いいな、画狂老人卍(笑)。真剣なんだか洒落なんだかよくわからないんですが、彼の粋を感じさせられます。私も九十歳まで生きたら、最後の作品に「画境老女卍」と記して死にたい(笑)。そのためにはたくさん絵を描き残さねばなりませんが。

この竜の絵もとても死ぬ直前に描いたとは思えません。黒い霧の中にまぎれるようにして幽霊のような竜が天に向かっている。でも、よく見るとこの竜の様子は全然怖くありません。諦観した優しい顔に見えますが、どうですか。

ニコル 優しい顔をしていますね。この竜は、北斎が自分の分身として描いたようです。北斎の名前は、北斗七星の化身といわれる「妙見菩薩」信仰(日蓮宗)から来ていて、北斎は何より天上の北斗(北極星)を大事に思っていた。富士山信仰もありました。だから北斎にとって、北斗と富士山は重要な創作のモチーフだったんですね。この絵は、死期を悟った辰年生まれの北斎が竜となって、富士の峰から北斗に向かって飛んでいこうとしているのだと思う。かっこいいですね。

ヤマザキ かっこいいし、荘厳です。一世を風靡した絵描きの最期としては抜群の作品です。こういう絵で締めくくりたい。

ニコル 北斎は名前も変えたけど、引っ越しも何十回もしています。八十歳のときには火事に遭い、家財も絵も資料や画材もすべて失って、ものすごく貧しい暮らしになるんですね。そんな大変なことがあっても、絵のパワーはちっとも衰えていない。どんどん子供の頃に帰るように、奔放な新しい力が湧いています。ヤマザキさん、北斎と一緒に住んでいた、画家の娘さんのことはご存知ですか。

ヤマザキ はい、三女の応為(おうい)ですね。北斎は彼女のことを「アゴ」と呼んでいましたよね。彼女は若いときに同業者の人と結婚しますが、うまくいかずに別れている。はっきり言って同業者との結婚は大変ですよ。私も絶対漫画家とは結婚しません。破綻が目に見えている(笑)。

ニコル 北斎晩年の極彩色の作品の着彩は、娘の応為がやっていたという話もあります。北斎は下戸だったといいますが、彼女はすごく酒好きで、年中、北斎と派手なけんかをしていたらしい。でも、一緒に住んでいたというのは、とても大事なポイントだと思う。応為が北斎の仕事をある程度肩代わりしていたとしても、北斎の晩年の絵を見る限り、けんかをしながら、お互いにパワーアップしていたとしか思えない。

ヤマザキ そう思います。父親の職業を継ぐという意味では、支え合う意識を持ちながら絵を描いていたんだと思います。応為は北斎が描かない、当時においてはとても斬新な絵を描いている。暗い中に仄かにろうそくが灯って、そこに光が当たっている、まるでジョルジュ・ラ・トゥールの描くキアロスクーロ(陰影の描画技法)を彷彿とさせるような作品です。北斎の老境に入ってからの新境地は、応為によって触発された部分がかなりあったと思いますね。

ただ、あの親子の家の中は相当汚かったらしいですよ。足の踏み場もないガーベッジハウス(笑)。まあ芸術家同士が暮らしていたらさもありなんな有様だったのでしょうけど。

ニコル ただこんな話もあります。毎朝、北斎が練習のために唐獅子などを描いていて、筆運びの運動なのかわかりませんが、たくさん描いた習作を窓からビューンと捨てていた。これらは「日新除魔図(にっしんじょまず)」といって、日々の魔除けの意味もあったらしいのですが、それを応為が集めて保存していたんですよ。だから北斎の習作が今も保存されていて、大英博物館にも数点あります。

北斎は自由奔放で、自分を大切にするようなタイプじゃなかったので、だらしない生活で家は汚かったかもしれないけれど、応為はちゃんと父親のことを守ろうとしていたんだと思う。だから今も北斎の作品が習作のようなものでも残っているんですね。

ヤマザキ 作り手として、本当に感性が横溢している人だから、自分自身のことなどこと細かに考えている場合じゃなかったのでしょうね。応為自身も絵描きだから、そこはちゃんとリスペクトしてわかっていたのだと思います。

老境にて自我を解放させた芸術家たち

ヤマザキ 老境に至って奔放な絵を描くようになった画家の話をしましたが、ルノワールやドミニク・アングルなんかも老齢になってから元気な絵を描くようになった人たちです。象徴的なのは彼らが描く豊満な肉体の女たち。まるでお風呂屋さんの脱衣場をのぞき見しているような気持ちにさせられる裸体の数々。ああいうモチーフは老境に至らなければ描けないでしょう。夢のパラダイスですよ。自我へのこだわりや承認欲求、名のある芸術家としての驕り、すべてが払拭されている。見たいものしか見ないし、描きたいものしか描かない。

ニコル ああ、そこは大事なポイントかも知れない。見たいものしか見なくなる……自我の解放ですね。

ヤマザキ ただし、ああした境地に行けるのは、若いときにさんざんな目に遭った人たちだけでしょう。若い時分にあらゆる痛みを覚えてきたことで精神面が充足された人間でなければ辿り着けない世界です。想像力を持つ存在としてどこまでそれを駆使できるのか。想像力と業(ごう)を使い果たして死んでやるという潔さが感じられる。

ニコル 想像力を全開すると、肉がたっぷりついた、ふくよかな女たちに目が向く。

ヤマザキ そうです(笑)。棟方志功もそうですね。彼も豊満な女性をたくさん描いていました。昨今の若い人たちが理想の美としている痩せている女性からは解放感が得られませんから。

ニコル ちょっと縄文時代の土偶に似ている。

ヤマザキ ああ、似ていますね。やっぱり生産性というエネルギーを表すのなら豊満な女性でしょう。ラファエル前派に描かれているような痩せて病的な女性は老齢の画家たちには魅力的ではない。自分たちは衰退していっても、残すものは、より生産性を司るような雰囲気のものにしたい、となるとふくよかな肉体。彼らが描く女性たちの肌の彩りもきれいです。でも何というのか、年を取っていく人たちが描くものは、若いときのとは違う凄まじいパワーを感じます。

ニコル ピカソにいたっては、もう傍若無人でしょう。

ヤマザキ ピカソの場合、早くしてあんなに売れてしまうと、老後はもう遊び、ほとんど道楽ですよ。自分の絵を描くために、二人の女にわざと自分を巡るけんかをさせ、その熱気に触発されて作業をするということを平気でやっていた。屈折している(笑)。

老齢のピカソは、フランソワーズに愛想をつかされて振られますが、ジャクリーヌ・ロックという五十歳近く下の若い妻を見つけて孤独を回避、自分の作品が多額の値段で取引される中で巨匠として人生を終えるわけですが、果たしてその道楽的老後が彼に安寧を与えていたのかはわかりません。

ただ、ピカソはそれまで描きたいものをさんざん描いてきたので、何かすごいものを生み出さなきゃという義務感からは完全に解放されていたはずで、そういった意味ではまあ人生を謳歌した人と言えるでしょう。

ニコル 生きているあいだにやれることは何でもやるという貪欲さが、ピカソの醍醐味ですね。ピカソは戦後に南仏のヴァロリスという町で、自分の工房を持って陶磁器も作っていたんですよ。私、このヴァロリスで日本の陶磁器の展覧会を開催したことがあって、ピカソの工房や焼き物も見て回ったんです。彼の作った焼き物は、お世辞にも出来がいいとは言えないけれど、模様のパターンとか、色の使い方がすごく面白くてフレッシュでした。これはまさに南仏の地中海の空気を吸い込んでできた作品だと思った。

ヤマザキ 南仏に行くと、ジャン・コクトーの作品も山のように残っていますよね。みんな南仏の地中海側のインスピレーションを求めていく人たちが多いのでしょう。焼き物といえば、晩年のピカソが自分の食べていた魚の背骨をそのまま粘土皿に押しつけて焼いて、それを作品にしてましたね。いいですね、何作っても大作になる人は(笑)。その前段階のピカソがきれいに魚の骨を残して食べている写真を見ると、ピカソの顔がどこか子供返りしている気がする。

ゴッホのように評価される前に死んでしまった画家たちと違って、ピカソは画家として自分が崇拝されている状況を体験してしまった人です。だからこそ、魚の骨も作品にできたりするんでしょう。ピカソ先生がお作りになられた魚の骨の皿もすばらしいと称える世間の人々が彼には見えていたはずですから。

ニコル でも、ピカソは初期の頃から何でも使って、何か異質なものをコラージュして、面白い作品に仕上げる傾向はありましたよね。年を取っても、この頭の中の自由さだけは変わらない。そこは魅力的。

ヤマザキ ピカソの時代は、パリに集まってきた人たちによって相乗効果をもたらす触発があったわけです。シュールレアリスムやダダイズムというのも集団としての現象ですしね。ピカソがキュビズムを始めたんだって、じゃあ、俺もキュビズムをやってみる、フォービズムも試してみると、みんなてらいなく吸収してやり合っていく中で、自分らしい表現とは何かを日々模索していた時代です。こんな文化的クオリティの高い時代を生きてきた人たちの年の取り方というのは、少し特殊だったとも言えるかもしれません。

ニコル 同感ですね。それぞれ自分の表現を模索しながら、一緒にやっている。サロンのような雰囲気で、互いに刺激し合って、協同的に動いているんですね。ピカソだけとか、ジャン・コクトーだけ、というふうに見ていたら、彼らの本質は見えない。

ヤマザキ おっしゃるとおり、個別に取り上げてあれこれ思索するだけではなく、全体の時代をひとくくりにした現象として捉えて見るのは大事ですね。赤塚不二夫が手塚治虫に「どうやれば漫画が上手くなるんですか」と尋ねたら、「漫画以外のものから学ぶ」と答えたという有名なエピソードがあります。この言葉はどんなことにも応用できます。本当にピカソを知りたかったら、ピカソが生きたのはどんな時代だったのか、音楽や文学などからもピカソを取りまいていた空気が象られてくる。何はともあれ、タイムスリップができるなら一度は覗いてみたい世界です。ピカソ周りの一〇年代から三〇年代にかけてのパリで触発し合った人たちは、その後面白い老人たちになったはず。少なくとも私の知る限りでは。

ニコル マン・レイも、ダダやシュールレアリスムのムーブメントに関わって、面白いオブジェをたくさん残しました。

ヤマザキ マン・レイとマルセル・デュシャンのコンビも面白い関係だった。漫画にしたら良質のバディの物語が作れるでしょう。とにかく人間として何ができるか、燃費は悪くても楽しければいい、という姿勢が当たり前だった時代ですね。今の日本のように、余計なことに一切触れず、合理的かつ便宜的な方法で成功と名声や富を得ようという狡く貧乏くさい姿勢とは全然違う。第一次世界大戦、スペイン風邪パンデミック、大恐慌、第二次世界大戦を経て、ボロボロになりながらも爛熟した精神を持った人たちが築き上げていった時代です。

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良質の業が文化を生んでいく

ニコル 戦争と戦争の間にいた人たちだから、彼らは貧しかったし、常にハングリーで、革新の可能性を探っていたんだと思う。いつもお腹がすいている状態というか。

ヤマザキ そういうことでしょう。何を食べても満足できない。満足できないというのは一種の苦しみなんですけど、その苦しみと共生できている。そういう精神的なしぶとさを、最近私は、「良質の業」という言い方をしているんです。

ニコル 良質の業ですか。

ヤマザキ 業とは仏教用語のカルマのことです。もともとはいいことも悪いこともひっくるめた人間の行為のことですが、理性によって制御できない心の動きという意味もあります。業があればあるほど悩みや葛藤も生まれる。だったらいっそ、仏教が言うようにこうした煩悩が払拭されたほうが楽かもしれない。そりゃ楽でしょう。ただ、業を払拭したら文化は生まれてこないんですよ。芸術は無くていいものになる。だったらなぜ人間には想像力を形にかえる技能が備わっているんだ、という話になる。業は人間が共生していくためにある一つの試練でもあると思うわけです。それにはどんな業でもいいわけではない。良質の業というのが必要になってくる。そのカルマを触発し合うことが文化のムーブメントを作っていくのだと思うんですよ。

ニコル なるほど。業と好奇心=curiosityとは近くありませんか。今使われているcuriosityは、「興味があって、調べてみたい」といったような感じで、意味がちょっと軽いんですが、十九世紀から二十世紀初頭のヨーロッパでは、もっと深いところから人を動かす衝動を意味する言葉として使われていたんですね。

ヤマザキ curiousは好奇心、という意味もありますが、確かに業を生かした言葉ですね。イタリア語でもcuriosoと言うと、今見ているもの、聞こえていることだけでは満足できない人という意味になります。懐疑性にも近いですね。

ニコル うん、人が「黒」と言うと「白」を考える。つまり予定調和にならずに、いろんな視点で物事を見て考える。英語で言うと“here and there”。これは本当に大事なことです。主体は常に自分で、考え始める。これが好奇心。

ヤマザキ しかし、日本でこのcurious性を丸出しにすると「おまえ、めんどくさい」と言われるんですよ。

ニコル そうなんですよ。同調圧力ですね。

ヤマザキ 今の世の中は、特に日本はですね、燃費の悪いものを拒否する傾向が強い。今の若い人たちの多くは、二十キロ行くのにガソリンを一リットルしか使いたくない。極端になると、ガソリンを使わないために移動すらしたくない。でも私の場合はちょっとその辺へ行くだけで三十でも四十でも使ってしまう。あんたを見ていると疲れると人に言われても尤もです。しかも途中でエンコしたりとおまけがついてくる。見てる方は勘弁してくださいとなる。わかりますよね?

ニコル わかりますよ、同類だから。私も、絶対寄り道してガソリン切れするタイプ(笑)。

ヤマザキ 寄り道大事。行きたいところに行った帰りに同じ道を通りたくない。別の道を行けば、もしかしたら新しい発見があるかもしれないじゃないですか。

ニコル その意味では、私も相当燃費が悪いです。

ヤマザキ そうじゃなかったら大英博物館のマンガ展なんてできません(笑)。一つのことを調べていると、自分が探しているワードがわかればそれでいいはずなのに、そこに至るまでにありとあらゆるところを調べてしまって、全然ゴールに辿り着かない。そうして一日が終わったりする。効率の悪さは半端ありません。夫が仏教に嵌っていた時はマインドフルネスとか瞑想を勧められましたが、私にはできない。気持ちを穏やかにして自分と向き合う時間も大事だとは思いますが、無駄と思えるような思考を巡らせることも人間には必要だと思うのです。燃費の悪い人はどこかでしっかりメンタルの休息も取ってますからね。とにかく業は人間という生きものの最も特異な点だと思うので、うまく付き合っていきたい。

ニコル 悟りを開いてあの世に行きたいなら業をなくすのもいいでしょうけど、私たちはこの世に生きているんですよ。私は燃費が悪くても、寄り道も遠回りも失敗もして、この世の面白さを堪能してから死にたい。

ヤマザキ 『人類三千年の幸福論』の中でも言っていますが、私たち人間は肉体と精神の二つを対等に養いながら、バランスを取って生きていかねばならない存在です。お金だけ稼いで、いい暮らしをして、体のことばかり優先して考えがちだけど、頭に栄養を与えていかないと人間はどんどん野蛮化してしまう。そのためにも燃費の悪い行為こそ必要だと思うのです。

ニコル ピカソの時代に文化の担い手になった人たちは、ヤマザキさんの言う良質の業をみんな持っていた気がする。curiousと同意のね。お腹を空かせながらも、簡単には答えに辿り着けない問いをたくさん立てて、試行錯誤して、互いに影響を与え合いながら、それぞれの表現を磨いていった。やっぱりそういう時代を経験した人は、かっこいい年寄りになると思う。

独善的な若者が増えるフェーズに

――少し前に、ある経済学者が、「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」という発言をして、『ニューヨーク・タイムズ』の記事にもなり、世界的に物議をかもしたんですが、ご存知ですか。

ニコル もちろん知っていますよ。記事も読んだし、この過激な発言が海外でも波紋を呼んで、いろんな識者が批判的なコメントを寄せていましたね。

ヤマザキ ニコルさん、詳しい。私は全然知らなかった。つまり、年寄りは姥捨て山に行けってことを言いたいの?

ニコル そうそう。私が学生時代に、ハーバード大学で日本語を勉強しようとしていたとき、織田信長の末裔という人に会って、その人から頂いた本に「姥捨て山」という言葉があって、すごい風習だなとびっくりした覚えがあります。

ヤマザキ ちなみに捨てられる対象は、六十歳以上なんだそうですよ。だから周りには、六十歳以上はいない。山に行っていなきゃいけないんです。

ニコル 還暦を迎えると捨てられてしまう……。その経済学者も今は若くて元気だからそういう強気な発言をしているけれど、年を取ると意見が変わるんじゃないですか。

ヤマザキ しかし、老人の集団自決という、その発想はどこから来たんですかね(笑)。

ニコル 老人たちが既得権益を握って手放さないから、日本は世代交代が進まずに、若い人たちが割を食っているということでしょう。でも権力を持っている高齢者は一部の人たちでしょう。記事を読むと、彼は優秀で、東大に入り、アメリカの有名大学に所属もしていますけど、彼の人生の中で何かがずれているような気がするんですよ。

ヤマザキ 既得権益問題はイタリアでも深刻化していますが、姥捨て山に行けとまではまだなっていない。でも、今はそういう考え方をする若者がどんどん増えて来ていますね。いい悪いじゃなく、そういう人たちが生まれてくるフェーズなんですよ。こうした傾向が臨界点にまで到達すると、そこからまた新しい何かが生まれてくる。そんな発言を聞いたら、何をばかなことをと思っていたんですけど、最近はああ、そういう若者が出てくる時代になってきたんだと、冷静に向き合えるようになりました。

やはり燃費の向上は感受性や想像力を乏しくしてしまうということじゃないですか。東大に行く若者は、人生の勝ち組じゃなきゃいけない、人生成功しなきゃいけないと、いろんなものを託されて、それを人生の目標に掲げなければいけない。人の上に君臨する人間でなければならないと思い込まされる。煩悩に突き動かされているにしても、こういうのは私的には良質の業とは言えない。

ニコル うんうん。

ヤマザキ 目標だの理想だのを掲げ、それを効率よく目指そうと躍起になると、見たいものだけ見ればいい、知りたいことだけ知ればいい、人間としてのエネルギーが衰退している老人は要らない、余計なものは全部払拭してしまえということになる。いつだったか文科省が、国立大学に、人文社会科学系の学部の廃止・転換を求める、という姿勢を打ち出して世界中を驚かせましたけど、ああいう信じられない視野狭窄的なことを平気で言葉にする人が普通に増えてきているように思います。

ニコル 芸術家が年を重ねたことで、自分が見たいものだけに無邪気に集中するという意味合いとは、全く違うことですね。

ヤマザキ そうです。老人たちはもう見たくもないものを見つくしてお腹がいっぱいだからいいんですよ。

ニコル 自分に都合の悪いもの、役に立たないものは、どんどん切り捨てていく。そういうことを彼らは常に計算していると思います。アカデミアで自分が上に上がるためには、自分の記事やコメントがどれだけ引用されるか、影響力があるかが、出世の大事なポイントなんですよ。競争が激しいですからね。でも、その経済学者は自分の強気の発言が社会の活性剤になり、より注目されると計算していたと思いますが、やりすぎた感がありますね。

ヤマザキ なんとも虚しい。

ニコル 全部計算の上のことだったと思いますが、結局のところ、自分のことしか見えておらず、わかっていなかった。

ヤマザキ こうすればこうなるという計算図式はあっても、内容の隅々まで考察の網が巡らされていない。形だけ立派でも経験値が伴わないとどこかでほつれが出てきて崩壊してしまう。理論武装してぺらぺらしゃべる能力には長けているのに、それを頭の良さと思わせる焦りばかりが感じられて中身がない。どの言葉からも説得力の粒子が放出されていない。そんな感慨を覚えます。

hamster wheel の外へ

ヤマザキ もともと老人に居辛さを感じさせる日本の社会ではありますが、最近はその傾向が特に顕著じゃありませんかね。先ほどの人もそうですが、高学歴の人に老人排除の意識が強いように感じるのは、彼らの親の存在が起因しているのではないかと思うのです。具体的に言えば、母親をすごく嫌がる高学歴者が多い。と同時に親依存の高学歴者も多い。社会で成功組になってほしいと必死で子供を育てた親の熱意が毒となり、そこから老人嫌いが発生している可能性もある。毒親ってやつですね。東大出身の女性に聞いたんですけど、かつて付き合っていた彼氏が性交渉している最中に「お母さん」とか「ママ」と叫ぶというんです。びっくりしていると、そこにいた別の東大卒の女性も「それ本当です」と真面目な顔でうなずいていました。同じ男じゃないの!? って勘繰ったんですけど(笑)。

ニコル 英語では「ヘリコプター・マザー」と言いますが、日本でもそういう言葉ありますか。ちょっと困ると、すぐ、ばっと寄ってくる母親のことです。

ヤマザキ ドラえもんみたいな? 「ドラえもーん」って叫ぶと、お母さんがピューッと寄ってくるあの現象ですか。

ニコル そうそう(笑)。大学生でも、何かちょっと困ると、びゅーんと飛んで来て、あれこれと世話を焼く。

ヤマザキ 高学歴と言われる大学に入るような子供たちの教育は幼少期から、お母さんが付きっきりですからね。もちろん全員がそうではないのでしょうけど、大多数は、お母さんたちが何とかこの子を成功させなきゃ、社会の脱落者にならないために頑張ろうと、小さいときから塾に行かせて、かかりっ切りで世話を焼いてきたはずです。

そうなると、子供にとって母親は、この世ですがるべき唯一神みたいな感じになってしまう。その具体例がローマ皇帝ネロですが、やはりそういう人間は軸が脆くて、自分を支えることができなくなり、崩壊していくんですね。実際、高学歴のエリートと呼ばれる人たちの中には親を嫌う人が少なくない。そんなリアクションを見るたびに、酷い目にたくさん遭ったんだなと思う。老人に対しての怨嗟とか、何か処理できないものを持っている人には一筋縄ではいかないバックグラウンドがあると見た。

ニコル ヤマザキさんの漫画のテーマでもあると思うんですが、歴史では繰り返し繰り返し同様のことが起きますよね。今のアメリカは、ローマ帝国の末期に当たると私は感じています。この繰り返しは人類が存続する限り、ずっとぐるぐると続くわけです。ハムスターが回し車をぐるぐる回すみたいに繰り返すことを、英語の言い方でhamster wheelと言うんですが、人類の課題は、この回転するハムスター・ホイールからどう降りるか、あるいは、このぐるぐるをどう止めて、違う方向に進めるか、ということだと思っているんです。

ヤマザキ 方法ですね。手段。

ニコル 回転の外に出ていくことが、私たち人類の大事なチャレンジじゃないかと。

ヤマザキ わかります。でも今の日本はハムスターのように回し車の中に入ってみんなで一斉に回し続けているから、その外には出られないんですよ。出ようと立ち止まると遠心力で吹っ飛ばされてしまいます。

ニコル 今の若い人たちの話を聞いていて、すごくそういう閉塞感を覚えましたね。

ヤマザキ 普通は一個の回し車に一匹のハムスターが乗っていますけど、日本の場合は、すごい巨大な回し車にめっちゃくちゃたくさんの人が乗って回している印象がある。そこから出るにはよほどの勇気が必要でしょう。暴走する列車から飛び降りるのと同じです。死ぬかもしれないし、生き延びても骨くらいは折れる覚悟が必要。死にたくもないし怪我もしたくないから、外へ出ていかないのが生き抜く術となっている。例えば老いの問題に関しても、老いについてのある種の一方的な見解の回し車があって、そこにみんなが「俺も入れて入れて」と群がっている状態です。

でも、さっきも言ったように、これは現象なので、どこかで必ず臨界点が訪れる。その可能性は歴史が立証しています。古代ローマが終わって今は中世への差し掛かり。回し車は徐々に加速しますが、そこで突然回し車からうまいこと飛び降りる術を得た人間が現れる。そしてルネサンスとなる。時間はかかるけど、そういう時機が巡ってくる可能性は確実にある。

ニコル 私の祖父は、世界大恐慌の時代を生き抜いた人ですが、経済や人の気力がダウンしているときこそ考えるチャンスだとよく言っていましたね。貧しくてろくに仕事もないけど、逆に考える時間はいっぱいあると。

江戸の中期に売茶翁(ばいさおう)(黄檗宗の僧侶・煎茶人)という人がいましたね。格式のある茶の湯ではなく、普通の煎茶を売り歩きながら、人々と話し、新しい風景を眺め、新しい道を模索していた人です。そういう在り方も、回し車を外れて自分の道を歩むことなのかなと考えたりします。だから回し車の外に出るために、大げさなことをする必要はない。面倒くさいと言われても、いろんな可能性を考えて、考えるパターンを変えていく。そしてそれを誰かと共有する。今の私とヤマザキさんのように。そういうことが一方向にのみ回り続ける回し車のような思考の一端を崩していくことになるんじゃないかと思う。

ヤマザキ 私たちの話を聞いて、回し車を回しながらも違和感を覚える人が一人くらいは出てくるかもしれない。

ニコル 売茶翁のお茶じゃないですが、一服すると、考えの中に何か違うことが出てきて、とらわれているものから離脱できるかもしれない。

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老人の顔をありのままに描く

ニコル ところでヤマザキさん、油絵を始めたと聞きましたが、漫画家をやめちゃうんですか。それが心配で、ご本人に確かめたかったんですけど。

ヤマザキ やめませんよ。油絵だけでは食べていけないので、漫画家はまだ続けます。もともと油絵は、六十歳になったらまた始めようと考えていたんですが、山下達郎さんというミュージシャンのアルバムのジャケット(『SOFTLY』)のために彼の肖像画を描くことになったんです。「あんたもうお金に困ってないんだから、油絵復帰したら」と勧められて。それで数年早く取りかかることにしたんですよ。でも彼からは「漫画もまだ描きなさいよ」と言われてますんで続けます(笑)。

ニコル 漫画家をやめないと聞くことができて、よかった(笑)。でも一度中断した油絵を始めた感触はどうですか。

ヤマザキ 今日のテーマが「老いについて」だから言うわけではないけど、私、肖像画を描くときに、若い人の顔を被写体には選ばないんですよ。年を取った人の顔のほうが俄然いい。

ニコル へえ、面白い。どうして?

ヤマザキ 達郎さんにしても、その後に肖像画を描いた立川志の輔さんにしても、やはり七十歳あたりになってくると自我意識の甲冑が取れたいい塩梅の表情になっているんです。私にとって皺は人間の最も魅力的な現象です。皺が無い顔は表現欲を衰退させる。アカデミアのヌードデッサン科に通っていたときもそうでした。月曜日、若い女、火曜日、若い男、水曜日、おじいさん、木曜日、おばあさんという課題があるんですが、最初の月、火の若い人はすぐに描き終わっちゃうからつまらない。老人の皺だらけの肉体を描くのは難しいんですが、表現のしがいがあるというのか。複雑な被写体をいかに柔らかくスマートに描くか、その模索が楽しいのです。

ニコル なるほど。皺の向こうにある年輪を感じ取る。

ヤマザキ そうですね。だからきれいな女の人の顔は、あまり描きたくないかな。女の人って、ありのままの顔を描くと、たいてい文句をつけてくる。目をもっと大きくしてくれとか、皺を減らせとか(笑)。

ニコル それで注文通り直すんですか。

ヤマザキ 直しません。以前、フィレンツェの街頭で似顔絵描きをやっていたとき、中年のアメリカ人女性の顔を描いたことがあるんですね。とてもふくよかな方だったので、若干ほっそりした顔に描いたら怒られてしまった。「ありのままを描いてよ。私は太っている自分が好きなの」と。もちろんそれは描き直しましたけど、私は逆にその人に怒られてよかったと思いました。それ以来、私が見えているものをそのまま描かせていただきます、と。だから仕事の依頼はなかなか来ませんでしたけど(笑)。

ニコル それはかっこいい決断。

ヤマザキ 今ってどんな人でも若づくりで気軽に整形とかやるでしょう。

ニコル 整形しているんですか、日本でも。

ヤマザキ 韓国や中国、日本は整形が盛んですね。普通に歯医者さんへ行くみたいに、目をいじったり、皺を取ったりしてます。

ニコル うーん、何かみんな同じ顔になりそうで、悲しい。

ヤマザキ じつはこの間、カメラマンをやっているうちの息子に私の本のカバーの写真を撮ってもらったんですが、彼がよく撮れた、というのが私にしてみればおかしな顔つきのやつばかりなんですよ。眉間に皺が寄っていたり、しかめっ面になっていたり。それで、「もっと使える写真を撮ってよ」と言ったら、「使える写真ってどういうこと?」と聞くから、つい「世間一般的にウケるような……」と言ってしまった。すると「何言ってるの。母からそんな言葉を聞くとは思わなかった」と説教が始まった。「あのさ、母が言っているきれいな顔って、偏差値三十五の人が見てきれいっていう顔だよねと。つまりシンメトリーで、目が大きくて、まつ毛ぱちぱちで、口が小さくて、誰が見てもかわいいという、そういう記号みたいな顔がいいの。何が奥にあるのか、わくわくさせてくれる顔が本当に美しい顔なんじゃないの、おかしいよ母の言ってること」とぼこぼこにされた(笑)。わかりました。じゃあ、いいです、この顔でと眉間に皺が寄っているやつで引き下がりました。

ニコル いい話。彼は、確実にヤマザキさんの血を受け継いでいます。会いたいですね。

ヤマザキ 話が合うと思います。彼はこうも言ってました。僕は全然ハンサムじゃないけど、自分の顔はすごくいいと思う。さんざん苦労もしてきたし、いろんな目に遭って出来上がった顔だからそう思えるんだと。私よりずっと大人ですよ。それはまさに今日話したcuriosityに通じる話だなと思ったわけです。

どう老いるか考えるのは無意味

ヤマザキ 最近、日本ではやたらと老いについての本が出版されています。年配の賢者たちに良い年の重ね方を教えてもらう、という主旨のものとか、長生きの秘訣とか。どうやって人生を締めくくるべきか、なんていうのもある。はっきり言って、ああいう書籍を読んで良い年の取り方をしようなんて思うから、思い通りにならないと失望したり、苦悩が募る。比べるのはやめた方がいい。老いこそ予定調和通りにはいかないのですから。

ニコル そういうものを求める気持ちはわかりますが、すごくつまらないですよね。いいことも悪いことも、思いもよらないことの方が面白いのに。

ヤマザキ そうでしょう。老いというのは、毎日毎日一生懸命生きることで、自然にかたどられて行くものだと思います。刻まれた皺のように、様々な時間の中を生きてきたその人の人となりが形になっていくものを指しているんですよ。

ニコル それは本当に大事なことだと思う。

ヤマザキ 老い方のマニュアルがあるのは、今の世の中がさっき言った偏差値三十五でわかるものでできている証拠ですよ。老人の集団自決論も偏差値三十五の考えです。

年を取ったら要らない、ハンディキャップも要らない。それは人間というものの実態を見ないということですからね。そもそも人間というものに期待し過ぎなんですよ。人間だけがスペシャルな生物だと思い込み過ぎ。人間は知恵があるから何とかなっているものの、熊や虎なんかに比べたら大した生きものじゃない。

ニコル 人間至上主義は、いつかしっぺ返しを食らいます。今までだって何度もそういう目に遭ってきたのに、ホモサピエンスはちっとも学びませんね。

ヤマザキ 私がよく行くパドヴァのレストランに、いつもすごく声のでかい爺さんが来るんですよ。その爺さんは毎回、誰かしか通りすがりの人に付き添われて店に入ってくると、着席まで手伝ってもらってるんですが、付添い人が帰ると、普通に立ってトイレに行ったりする。老人であることを利用して人情を試しているのかもしれない。

ニコル いそうですね、そういう老人。

ヤマザキ そのレストランでは爺さんは声がでかいので結構嫌がられてて、だけどオーナーとは古くからの知り合いらしくて「うるせえー」とか言いながらも、彼の大好きなトマト風味のパスタをいつも作ってあげるんですよ。

その爺さんが入院したときは、オーナー自ら「くそったれ爺」とつぶやきながらも、自らトマトパスタを作って持って行ってあげてました。爺さん同士の友情、なかなかイカしてるなと。

ニコル かっこいい爺さん。

ヤマザキ 長く生きて来たからこそ得られるかっこよさというやつでしょう。老成して、お互い頑固でけんかもするけど、大変な人生をよく生き抜いて来たなというリスペクトがあるから、そういう関係が成り立つのでしょう。

ニコル いい。感動しましたよ。なんだか江戸の落語の話みたいで、面白いし、泣ける。

ヤマザキ まさに江戸落語ですよ。今の世の中でももっと当たり前にこんな江戸流の寛容性があれば、年寄り要らない論にそんなにいっぱい「いいね」がつくわけがない。うちの夫は老人が腹の底から笑っている顔ってすごく幸せな気持ちになれると言うんです。人生の苦悩を知らない子供の笑顔が幸せそうなのは当たり前であり、困難を経てきた老人の笑い顔の方がよほど生きていく勇気をもらえると。

ニコル それがあるから老人は絵になるんですね。

ヤマザキ 人生妥協ナシで生きてきた人は熊や虎にも匹敵するくらいかっこいい。

ニコル 日本に来るといつも行くんですが、先日、麻布山善福寺の福沢諭吉のお墓にお参りをして、樹齢八百年の銀杏の巨木にも会ってきました。私、この銀杏の木が好きなんです。戦争で幹の一部が焼け落ちてしまったんですが、その戦争も含めて、いろんなものを静かに見てきた樹です。そして大きな怪我をしても、今もこうして元気に生き延びている。老人の顔のパワーと同じですね。

ヤマザキ 樹だって動物だって、いろんな攻防がある中で、命が尽きるまで生きるわけじゃないですか。どんなに苦しくてもそれと全うに向き合って乗り越えてきた人たちには特別な味わい深さが出てきます。人間として訓練された頭も体も、人間の本来あるべき形というのは、老人にならないと出てこないんじゃないかと思う。

ニコル 同感です。私たちも良質の業というcuriosityを積み上げて、いつまでも燃費が悪いままで、あちこち寄り道しながら年を取りたいですね。

(2023・3・9 神保町にて)

*ニコル氏の日本語校正作業にあたり、定村来人氏と松葉涼子氏にご協力いただきました。

「すばる」2023年6月号転載

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