
台湾と中国(画像:写真AC)
台湾社会で進む有事対策
台湾情勢を巡って政治的緊張が続いている。
5月に入っても、例えばヘインズ米国家情報長官は議会上院軍事委員会の公聴会で、中国人民解放軍が台湾に侵攻して台湾での半導体生産が止まれば、世界経済は年間で6000億ドルから1兆ドルあまりの被害を受ける恐れがあると懸念を示した。
また、台湾国防部は11日、台湾周辺の空海域で10日に中国軍機12機、艦艇5隻の活動が目撃され、中国軍機の一部が中台中間線を越え、台湾の防空識別圏(ADIZ)に侵入したと発表した。
一方、台湾有事を巡る当事者間たちの緊張の長期化により、台湾社会でも有事を見据えた動きが進んでいる。
例えば、台湾では5月、退役した女性兵士を対象とした予備役訓練が開始された。有事が叫ばれるなか、台湾政府には男性だけでなく女性も活用することで戦略増強を拡充したい狙いがあると思われ、2023年1月に退役した女性兵が志願すれば予備役に登録することを初めて認められるようになった。
また、政治的な緊張との関係性はないと思われるが、台湾の航空当局は4月下旬、桃園国際空港に着陸する飛行機内に爆発物があるとの情報を受け、同空港の南滑走路を午前11時半から3時間にわたって閉鎖する事態があった。爆発物が置かれたというのは北京発の中国国際航空の航空機で、その後の調査で爆発物は見つからなかったが、3時間の滑走路閉鎖により混乱が生じた。

ルソン島(画像:(C)Google)
フィリピンに接近する米国の思惑
一方、台湾有事で関与するかしないかを曖昧にすることで中国を抑止したい米国は、最近フィリピンとの軍事的結束を示している。
フィリピン政府は4月、新たに米軍が使用できる四つのフィリピン軍基地を発表し、その四つのうち三つはルソン島北東部カガヤン州やイサベラ州にある基地だとわかった。
フィリピン政府は米軍がそこを軍事拠点にすることを認めないとしているが、ルソン島と台湾はバシー海峡を挟んで距離が近く、台湾有事をにらんだ動きと見る安全保障専門家も少なくない。

台湾の立法院(画像:(C)Google)
台湾有事と邦人保護
台湾有事の可能性、タイミング、防ぎ方などについては、米軍幹部からも相次いで発言があり、日本国内でも多くの軍事、安全保障専門家たちがそれについての独自の考えを示している。
しかし、台湾には2万人あまりの日本人が滞在し、仮に有事となれば邦人保護・退避が大きな問題となる。そして、2万人のなかには多くの企業駐在員とその帯同家族がおり、企業にとっても台湾有事は大きな課題となっている。
では、世論で緊張の高まりが叫ばれるなか、企業は台湾情勢をどのように見つめているのだろうか。
まず、台湾情勢を巡り、台湾と関係する企業の間で心配の声が広がっていることは、筆者(和田大樹、外交・安全保障研究者)がそういう企業関係者たちと接していて強く肌で感じる。そして、その心配の声は今日大きくふたつに分類できる。
ひとつは「ヒトの安全」に関することだ。上述のように、台湾には2万人の在留邦人がいるが、台湾に社員(と帯同家族)を駐在させる企業も多い。
台湾は海に囲まれており、ウクライナのように隣国などに避難することは不可能なばかりか、有事となれば唯一の安全な避難手段である民間航空機はすぐにストップするので、社員が
「籠城の身」
になることを懸念する声が企業から聞かれる。
そして、ヒトの安全を懸念する企業関係者から多く聞かれる心配の声は、
「何がきっかけ、どのような情勢になれば社員の帰国を決定するか」
だ。
これは極めて判断が難しい問題だが、そのガイドラインや危機管理マニュアルを作成する、それを真剣に検討する企業がかなり増えている。

企業等で経済安全保障に関する取り組みの担当者を対象に実施した動向調査。質問事項は「経済安全保障に関して日本政府に期待すること」(画像:FRONTEO)
サプライチェーンへの脅威
もうひとつが「モノの安全」だ。
世界の半導体業界における台湾の存在感はピカイチだが、それに限らず、台湾を主要な取引先、調達先とする日本企業も多い。また、台湾有事となれば、その影響は台湾国内だけでなく、中国軍が制空権や制海権の掌握に出てくるとも言われるなか、日本のシーレーンなどにも大きな影響が出ることが想定される。
例えば、日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)を結び、直行便は台湾周辺を飛行ルートとし、中東やASEANなどから日本へ向かう石油タンカーや民間商船は南シナ海からバシー海峡、台湾東部を航行するので、場合によってはフィリピン上空や周辺海域などの迂回ルートを余儀なくされるだろう。
そういった物資の安定的供給(サプライチェーン)が脅かされることへの懸念を現実問題として企業は受け止め始めている。特に台湾有事を巡っては、ヒトの安全よりモノの安全の方が回避策が難しいため、
「代替手段がない」
と悩む声も今日かなり聞かれる。
現在、世論で台湾有事が叫ばれるなかで、“脱台湾”で実際に行動に出ている企業は筆者周辺では見られない。しかし、台湾情勢を巡って企業関係者の間で懸念の声が広がり、ヒトの安全やモノの安全を心配し、それへの対策を積極的に検討する、検討し始める企業が増えていることは事実である。
今後も緊張は長期化することが予想され、企業の台湾情勢への懸念はいっそう広がるだろう。
和田大樹(外交・安全保障研究者)