
上司と部下のイメージ(画像:写真AC)
外資・ベンチャーで広がる「さん付け」
1971(昭和46)年生まれの筆者(曽和利光、人事コンサルタント)が新入社員のとき、なかなか慣れなかったビジネスマナーがある。
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それは、社内で「田中課長」「田中さん」と呼ぶのを、社外では「うちの田中は」というように、
「社外で自社社員を呼ぶときは、たとえ上司であっても名字で呼ぶ」
というものだ。
ところが、その常識が外資系企業やベンチャー企業の間で変わってきているらしい。アエラドットが8月23日付記事「「さん付け文化」がビジネスシーンで拡大中 自社社員のことを社外で紹介するとき「名字で呼び捨て」に違和感」で報じた。
顧客の前などでも「うちの田中さんが」と、社外でも「さん付け」がベースのところが増えているという。正直にいえば
「どちらでもいい」
が、マナーの話は、自分が好む好まざるにかかわらず巻き込まれるので、本稿ではこの背景を考えてみたい。
昔の敬語と今の敬語の違い
民主主義以前、敬語は社会における身分制度から来たものだった。身分の高い人に対する尊敬の念を表すものとして敬語が使われてきた。つまり立場の
「上下」
を示すものとして、敬語があった。
しかし、戦後の民主主義が広がるなか、現在の敬語は個人をお互いに尊重する心性から引き続き使用されるようになったものだ。そのため、「敬」語とはいうものの、表しているものは「上下」というよりは実態は
「親疎」(親しいか否かという人間的距離の近さ)
に変わってきている。心理的距離が近い人には敬語を使わず、距離が遠い人には敬語を使うということだ、

上司と部下のイメージ(画像:写真AC)
尊敬より親しさ
こういった敬語の変化を踏まえて、なぜ以前から、社外では「呼び捨て」が常識であったのかを改めて確認したい。
「ウチ」である同じ会社の上司と部下との距離は、「ソト」の人である顧客との距離よりは当然近い。そのため、「ソト」の人に「ウチ」の人を表現する際、その心理的距離が近いことを示すために「呼び捨て」にする。
「敬」語といっても、昔のような身分を確認する目的ではない。「呼び捨て」はむしろ上司と部下の近さを表現している。呼び捨てにするときに「下に見る」意図などはないのだ。
大昔は家内でも父や祖父には敬語を使ったのが、近年は親子間での敬語がなくなっていったのと同じだ。
社内関係の希薄化
素朴に考えれば、「社外でも『さん付け』」運動は、個を重視して、「ウチ」も「ソト」も問わずに、等しく敬意を払うことの表れと考えられる。実際、そういうつもりで使っている人も多いであろう。
しかし、もし、前述の「親疎」説が正しければ、近年の「社外でも『さん付け』」という動きの意味が変わって見える。本当なら社内の人は社外の人よりも心理的距離が近くて当然なはずのに、
「社外の人と同じくらい心理的距離がある」
という意味にも考えることができる。
「敬して遠ざける」(うわべは尊敬するが、内実は疎んじること)
という言葉があるように、「さん付け = 尊敬」ということではない。

上司と部下のイメージ(画像:写真AC)
日本人の仲間への愛着の低さ
この傍証(間接的な証拠)となるようなことはいろいろある。
少し前になるが、2017年米国の大手調査会社ギャラップが、自前の「Q12(キュー・トゥエルブ)」というサーベイをもとに、全世界139か国、約1300万人のビジネスパーソンの従業員エンゲージメント調査を実施した。
従業員エンゲージメントとは、会社への愛着や一体感など、「会社」「仲間」「同僚」に対する感情や認知の状態を示す指標である。
日本の「Engaged(エンゲージメントが高い)」といわれる社員の割合は「6%」という結果。世界平均の15%にも届かず、調査対象全139か国の中では
「132位」
と非常に低い数値となって、当時はニュースになった。
日本人は自分の所属する組織やその仲間に対して、愛着や一体感がとても低いのだ。
米国はファースト・ネーム呼び捨て
また、よく考えてみれば、外資系企業が「社外でも『さん付け』」が増えているというのは不思議だ。
外資系企業のうち多くが本社を置く米国では、上司のファースト・ネームをむしろ社内においてすら
「おはよう、トム」
みたいに呼び捨てにするではないか。
もちろん、これは親しさや関係性のフラットさの表現だ。これと比較すると、現在、じわじわ浸透している「社外でも『さん付け』」はどこか
「よそよそしい感じ」
がするのは筆者の偏見のせいだろうか(実際そうかもしれない)。
「ウチ」の人間として結束が強いのであれば、社外では「ソト」の人と比べて近いのだから「呼び捨て」にすることはあまり変なことではない(から、ずっと常識とされてきて今に至るのだ)。

上司と部下のイメージ(画像:写真AC)
人間関係の希薄化の表れでなければよいが
「働き方改革」や、コロナ禍によるリモートワークの広がりなどで、人々がさまざまな働き方ができるようになってきたことはよいことだ。
しかし、一方で、
・組織の一体感の低下
・人間関係の希薄化
それによる、
・協働
・チームワーク力の減退
・創造性や生産性の低下
・離職率の上昇
などが懸念されている。
もし社内の人に対しても「社外でも『さん付け』」することが、よそよそしさを意味しており、従業員エンゲージメントの低下の結果なのだとすれば、
「日本でも個を大切にするフラットな会社が増えてきた」
と、手放しで喜んではいられない。むしろ、本当は社内であれば、ニックネームやファーストネーム、そして社外に対しては呼び捨てで呼べるくらいの方が良好な関係性を表している可能性もある。
杞憂(きゆう)かもしれないが、筆者が「社外でも『さん付け』」に少し違和感を持つのはこのような背景がある。
曽和利光(人事コンサルタント)