「清原和博クラスの選手になれた」八重樫幸雄が惜しむ長嶋一茂の才能【2020年度人気記事】

「清原和博クラスの選手になれた」八重樫幸雄が惜しむ長嶋一茂の才能【2020年度人気記事】

  • Sportiva
  • 更新日:2021/05/04

2020年度下半期(20年10月〜21年3月)にて、スポルティーバで反響の大きかった人気記事を再公開します(2021年2月18日配信)。

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八重樫幸雄の「オープン球話」連載第53回第52回を読む>>

◆新人の長嶋一茂が八重樫幸雄にまさかの行動。「何事だ!」と杉浦享は激怒した

【極端に細いバットを使っていた長嶋一茂】

――前回は長嶋一茂さんについて伺いましたが、今回もその続きをお願いしたいと思います。「一茂については、いろいろ話したいことがある」とおっしゃっていましたね。

八重樫 前回も言ったけど、本当にポテンシャルが高い男だったんだけど、本人が本気で取り組まなかったのがもったいなかったね。

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1993年、父・長嶋茂雄(右)が監督に就任した巨人にトレードで移籍した一茂(左)

――立教大学時代には、東京六大学リーグで11本塁打を記録しています。打者としての才能はどうだったんですか?

八重樫 打者としても並外れた才能がありましたよ。飛距離もすごかったし。でも、アイツは何も考えていないから、バット選びもいい加減だったんだよね。誰に聞いたのかわからないけど、「グリップの細いバットを使えば飛距離が出る」と言って、ものすごく細いグリップのバットを使っていたんです。でも、そういうバットはバットコントロールがすごく難しい。ノックバット程度の細さだったんだから。

――誰かから聞いた情報を、鵜呑みにしてしまったということですか?

八重樫 そう。イチローのように芯に当てることがうまい選手なら、そういうバットでもいいと思うよ。でも、一茂の技術じゃ、あんな細いバットは使いこなせない。だから、なかなか芯に当たらないからフリーバッティングでも、何本もバットを折るんです。2、3球続けてバットを折って、そのたびにバットを取りに戻るから、なかなか順番が進まなかった。

――八重樫さんはその点を本人に指摘しなかったんですか?

八重樫 もちろん本人にも言いました。「一茂、細いバットで遠心力を使ってボールを遠くに飛ばしたいっていう気持ちはよくわかる。だけどな、芯の幅を見てみろよ。たったこれだけの細い幅だぞ。お前の今の技術で芯に当てるのはかなり難しいことだぞ。実際に何本も折っているじゃないか」って。

――そうしたら、どんな反応が?

八重樫 あまり納得していなかったんじゃないかな。「こっちのバットを使ってみろよ」って少し太めのバットを渡したら、一度だけそのバットを使っていたけど、そのあとは元の細いバットを使っていたね(笑)。

【遠慮なく言える指導者が周りにいなかった】

――それでも、1988(昭和63)年のルーキーイヤーではオープン戦で3割を打ったし、4月には巨人のビル・ガリクソンからプロ初安打をホームランで飾りました。上々のスタートダッシュだったと記憶していますが?

八重樫 ガリクソンからのホームランはたまたまだよ(キッパリ)。甘いボールを思い切り振ったら、バットに当たっただけ。でも、バックスクリーンまで飛ばすんだから、パワーと飛距離は本当にすごかったよね。指導者の言うことを聞かずに、ずっと自己流を貫いていたから、せっかくの才能も生かすことができなかった。結局、1年目がいちばん試合に出ているんじゃないの?

――そうですね。1年目が88試合でキャリアハイ。ヒット数は1988年が38安打、1989年が39安打で自己最多。以降は少しずつ減っています。

八重樫 当時の関根(潤三)監督がお父さんの長嶋茂雄さんと仲が良かったから、「何とか大成させよう」と大切に育てたけど、結果的にうまくいかなかったよね。のびのび自由にやらせるんじゃなくて、周りにもっと厳しく遠慮なく言える指導者がいたら、結果もまた違ったんじゃないかな?

――1989年限りで関根監督が退任。一茂さんのプロ3年目となる1990年からは野村克也監督が就任します。両者の関係性はどうだったんでしょうか?

八重樫 あんまりよくなったと思うよ(笑)。野村さんの中にも、「一茂を一人前にしたい」という思いはあったと思います。でも、一茂は自由奔放なところがあるから、野村さんとは性格的にも合わなかった部分もあったんじゃないかと。テスト生あがりの野村さんと、小さい頃から何不自由なく育てられて、ドラフト1位で華々しく入団してきた一茂。すべてが正反対でしたからね。何しろ、ユマキャンプでも「野村ミーティング」を全然聞いていなかったから、野村さんもよく思っていなかったんじゃないかなぁ。

――野村監督時代のコーチだった伊勢孝夫さんの著書『伊勢大明神の「しゃべくり野球学」』(双葉社)には、ミーティング中に一茂さんがマンガを描いていて、伊勢さんが叱責したら、「マンガじゃありません、UFOです」と言われたというエピソードが紹介されていました(笑)。

八重樫 いかにも一茂らしいよね。実際に野村さんの時代に一茂の出番はどんどん減っていったし、ヤクルトが14年ぶりに優勝した1992(平成4)年は、ドジャースに野球留学していて一試合も出場していなかったからね。1993年に巨人に移籍するのは仕方がないことだったのかもしれない。

――当時、チーム内で浮いているような状態だったんですか?

八重樫 浮いているということはなかったと思うけど、一部では「親の七光りだ」という見方もあったのかもしれないね。でも、同い年の池山(隆寛)は一茂と仲がよかったし、積極的に受け入れている感じだったよ。

【テレビの世界で頑張っているのが嬉しい】

――1993年にジャイアンツに移籍した一茂さんは、1996年限りで現役を引退。そのあとは、キャスターやタレントとして活躍しています。ということは、八重樫さんとの接点は1992年までということになりますね。

八重樫 そうですね。彼がジャイアンツに移籍してからは、接点はなくなったかな。でも、今でも「一茂はスーパースターになれたのにな」という思いは、僕の中にはあります。ハッキリ言えば、広澤(克実)どころのレベルじゃないですよ。野球の考え方、取り組みさえ違っていたら、清原(和博)クラスになっていたと思います。

――そこまで、一茂さんのポテンシャルを高く評価しているんですね。

八重樫 していますよ。今まで、何人もドラフト1位ルーキーを見てきたけど、あそこまで恵まれた体格、体力を持っている選手は一茂以外には思い浮かばないですから。本当にもったいない。それは今でも強く思うね。

――現在、一茂さんはテレビの世界で大活躍されています。この活躍を八重樫さんはどのようにご覧になっていますか?

八重樫 テレビを見ていて、「よく勉強しているな」と思いますよ。彼が芸能界に入ってしばらくした頃、神宮球場に来たことがあったんです。僕はコーチだったんだけど、神宮の室内練習場に向かう時に、一茂が僕のことを見つけて、わざわざ向こうから駆けつけて「ごぶさたしています」とあいさつに来たことがあったんだよね。その時は、しみじみしたよ。

――どうしてですか?

八重樫 「あぁ、一茂もきちんとあいさつできるようになったんだな」って(笑)。きっと、テレビの世界で揉まれて人間性も変わったんだろうね。それまでの一茂だったら、僕の姿を見つけても、黙ってスルーしていたはずです。テレビ番組でも、以前はおちゃらけたことばかり言っていたけど、最近ではきちんとしたコメントを残すようになっているし、新しい世界でしっかりと頑張っているのは嬉しいですね。

――それにしても、潜在能力の高さを考えるともったいなかったですね。

八重樫 本当ですよ。僕としても、アイツにやる気があれば、もっといろいろ協力したかったけど、本人にその気がないんだから仕方がない。その点、「偉大な父親を持つ息子」という意味では、カツノリの場合はちょっと違ったけどね。

――そうなんですか。では、次回はカツノリさんについて伺います。

八重樫 うん、そうしようか。次回もよろしくね。

(第54回につづく)

長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

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