
その体重差72キロ。189キロの碧山(手前)を寄り切る翠富士(撮影・宮沢宗士郎)
大相撲春場所中日(19日、エディオンアリーナ大阪)横綱、大関不在の場所となり、西前頭5枚目の翠富士(26)が碧山(36)を寄り切って8勝目。ストレート給金で首位を堅持した。阿炎(28)を退けた小結大栄翔(29)がただ一人1敗で続く。3関脇は全員白星。新関脇霧馬山(26)は小結翔猿(30)を上手投げで破り、豊昇龍(23)は御嶽海(30)を寄り切りともに5勝目。若隆景(28)は3勝目。2敗で小結琴ノ若(25)ら5人が追う。
72キロの体重差は、勢いで埋める。189キロの碧山の厚い胸へ、幕内最軽量の翠富士が頭から突き刺さる。たじろぐことなく、攻め切って8連勝。単独首位を守って幕内勝ち越し第1号となった。
「勝てたからよかったけど、受け身になっていた。もう少し前へ出たかった」
立ち合いから激しく突き合った。右上手を取って食い下がり、寄られたところを右から出し投げで崩し、右前まわしを取って寄り切った。顔を突き上げられて「口のなかが結構切れた。でも、勝ったから痛くない」。
ただ一人勝ちっ放しで折り返しとなったが、意識しているつもりはないという。それでも、寝ついてもすぐに目が覚めてしまい、夢もみるそうで「千秋楽が10勝3敗で終わっているんですよ。(15日間の)2個が消えてしまっている」と、笑い飛ばした。
幕内優勝者を輩出していないのは11府県あるが、翠富士の故郷の静岡(焼津市)もその一つ。だが、地域独特の気質もあるといわれる。現在の静岡市に生まれ「清水28人衆」で知られる幕末から明治時代にかけての侠客(きょうかく)、清水次郎長の周りにはいつも相撲があった。
一家の跡を継いだ「大政」といわれた政五郎は草相撲の強豪で、「相撲常」は地相撲の屈強だった。社会事業家としても活躍した「海道一の大親分」は明治に入ると高砂浦五郎をひいきにして巡業にも招き、大相撲をもり立てた。
171センチの身長も幕内で最も低い翠富士は「小さい子は高校とかで相撲をやめてしまったりするけど、小さくてもできるんだというところをみせたい。このまま単独首位でいきたい」。ひるまない〝鉄火肌〟の攻めが、小気味よい。(奥村展也)