過去や未来の自分がわかりやすく圧縮されてしまうのはなぜ?

過去や未来の自分がわかりやすく圧縮されてしまうのはなぜ?

  • @DIME
  • 更新日:2022/01/16
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年は明けたが何か昨年にやり残したことはあったのだろうか――。そういえば些細なことではあるのだが、実は昨年にパスポートの更新を見送ってしまった。パスポートがない今の自分はきっと10年前の自分から人格を疑われてしまうだろう。

10年有効のパスポートを更新していなかった

年の瀬や新年は普段よりも長い時間軸で物事を考えられる。まさに“ゆく年くる年”をある意味では否応なく意識させられてくる時節だ。

仕事始めの翌日となる夕方過ぎ、所用を終えて中野駅北口界隈を歩いていた。飲み屋がひしめくこの界隈のどこかで今年最初の“ちょっと一杯”をしてみてもよいのだろう。駅北口から早稲田通りに向かって伸びている「昭和新道商店街」に足を踏み入れる。

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※画像はイメージです(筆者撮影)

お正月気分がまだ残る街を歩けばいったい今年はどんな年になるのかに考えがめぐるが、その一方で昨年に何かやり残したことがなかったかと振り返ってみたくもなる。何かひどい失策をしていないことを願うばかりだ。

かつてはこの辺りで仕事仲間とよく飲んでいたことがあった。紙の雑誌の仕事がメインであった頃には取材仕事も多く、中野界隈は取材帰りに立ち寄ることが少なくない場所だった。懐かしい思い出だが、あのような時期はおそらくこの先二度と来ることはないのだろう。

昨年を振り返ってみて思い出したのは、10年有効のパスポートを更新しなかったことだ。したがって現在、パスポートを持っていない状態にある。パスポートを持っていない状態というのは25年ぶりということになる。

20代半ばから海外旅行に行くようになったのだが、最低でも毎年1度は海外に出ることを自らに課していた時期がある。当時働いていた会社では、夏休みを最大限後ろにずらしたうえで消化していない有給休暇を繋げると9月の半ば以降に1週間以上の休みを取ることができたので、その時分によく海外を訪れていたのである。

そうしたこともあってパスポートは期限が切れる前に毎回更新していたのだが、フリーランスになるなどして仕事の仕方が変わってきてからは、毎年海外に行くことが徐々に難しくなってきた。それでも2年に1度くらいは海外を訪れていたこともあって、やはりパスポートは期限が切れる前に更新していた。

しかし10年有効のパスポートに更新してからは残念ながら1度しか海外を訪れてはおらず、遂に昨年迎えた有効期限をそのまま超過させてしまった。10年前の自分には信じられない“愚挙”ということになるだろう。言い訳として今回のコロナ禍の影響もないわけではないのだが、つまるところはこの10年で自分は変わってしまったということになる。今の自分は10年前の自分ではないのだ。

時を隔てた自分はかなり“別人”

名前は商店街だが、事実上は飲み屋街である通りを進む。ずいぶん前に入ったことがある居酒屋の前を通りかかり単純に懐かしい。

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※画像はイメージです(筆者撮影)

“10年ひと昔”とはよくいわれるが、10年前の自分がどんな考えを抱いて日々生活していたのか、他者から見てどんな感じの人物であったのか、よく考えてみると今の自分とはかなり違うように思えてくる。それはこういう機会でもないとなかなか気づけない種類のことかもしれない。今の自分が連綿と続く過去の延長線上にあり、何か決定的でわかりやすい“人生の転機”でもない限りは、10年前だろうが20年前だろうが基本的に“自分は自分”だと感じているのはある意味では当然のことだ。

そして我々はやはり遠い昔の自分のことや、はるか未来の自分の姿が想像しにくいことが最近の研究でも指摘されている。過去や未来の自分はわかりやすく「圧縮(compression)」されてしまうというのである。

「私たちの自己概念は、現在から遠ざかるにつれて、時間の経過とともにますます曖昧になります」

「過去または将来のいずれかで、自分のことをもっと遠くまで考えると、自分の識別しにくいバージョンにアクセスしていることになります」

「脳の活動のレベルでさえ、私たちが自分自身を時間の経過とともに考えるにつれて、私たちの過去と未来の自分自身の特徴が薄れるという証拠が見られます」

※「Trustees of Dartmouth College」より引用

米ダートマス大学の研究チームが2021年12月に「PNAS」で発表した研究では実験を通じて、過去と未来の自分自身の実像は時間が離れるほどに“圧縮”されてぼやけてくることを報告している。現在の自分はパスポートの更新をした10年前の自分がどんな人物であったのか正確には把握できず、逆に10年後の自分がどんな人物であるのかを想像するのもまた実に難しいというのである。

参加者の脳活動をfMRIでスキャンする実験を含む4つの調査で、過去と未来の自己像が要約化されて“圧縮”されていることが浮き彫りになった。研究チームはこの現象を「時間的自己圧縮(temporal self-compression)」と呼んでいる。つまり現在の自分から時間的に遠い自分の自己像ほど、あたかも歴史上の人物のように簡潔に要約されわかりやすく“圧縮”された状態で認識されるというのである。

脳活動をモニターした実験では、自己像を想像することで現れる独特の脳活動が特定されたのだが、この脳活動は過去と未来の自己像を想像した時には弱まって識別しにくくなってくることも確認されている。10年前の自分も10年後の自分も今の自分にとってはなかなか理解しにくい人物ということになる。10年後の自分がパスポートを更新するかどうかわからないほど、時を隔てた自分はかなりの程度で“別人”だったのだ。

海鮮系が充実した立ち飲み店で“ちょっと一杯”

このまま通りを進んでいればいずれ早稲田通りに出てしまうのだが、見覚えのある看板の立ち飲み屋が見えてきた。コロナ禍の前に来たことを思い出す。刺身などの海鮮系の肴が美味しい店である。久しぶりに入ってみることにしよう。

入口から奥に細長い間取りの店内で、中央に2つの長いカウンターが奥に伸びている。お客は一方のカウンターのお客と向かい合って立ち飲むことになる。

このご時世でカウンターは透明なアクリル板のパーテーションで仕切られていて、お店の人が空いているスペースに指示してくれた。導かれるままに入口に近い右側のカウンターに立たせていただく。7割ほどのお客の入りで空いたスペースは3つか4つほどしかなかった。

ドリンクメニューを見ると下町ハイボールがある。これはチャンスとばかりに下町ハイボールを氷なしでお願いして、ホワイトボードに記されているおすすめメニューの「本まぐろ」を注文する。

店内はけっこう薄暗い。入口の上の壁には大型テレビが架かっていて、この席だと何気なくテレビをチラチラ眺めながら一杯できそうだ。

酒と肴がやってきた。本マグロは見た目からして美味しそうだ。おそらく初めて飲む下町ハイボールをひと口味わい、マグロに手を着ける。幸せなひと時だ。追加で「ごまブリ」も注文する。

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※画像はイメージです(筆者撮影)

取材仕事の帰りによく中野で一緒に飲んでいた当時の仕事仲間の顔が思い浮かぶ。……すると確かに今いるこの店でその彼と飲んだことがあったのを思い出して少し驚く。とすれば10年どころか15年くらい前の話だ。

その時の記憶が映像としてよみがえってくるのだが、当時のこの店の店内はもっと明るかったはずだ。そして刺身と惣菜とドリンクがセットになったお得なメニューがあったと記憶している。

15年前の自分もここで楽しく飲んでいたことは間違いないことが客観的な事実として思い出されてくるのだが、その時に何を考え、どんなことを感じていたのかについては、確かに前出の研究が指摘しているようにやや覚束ないようにも思えてくる。15年前にここで飲んでいた自分は今の自分とはまったく同じ人物ではないのだ。

「ごまブリ」がやって来た。ブリの切身にゴマだれがかかっていてネギと刻み海苔が乗っている。ひと口食べてみると美味しくて舌が驚く。食べる前に味を予想していなかっただけに不意打ちを突かれた感もある。この店に入ってよかったと実感できる一品だ。ハイボールを飲み終えたら日本酒も注文することにしたい。ぜひ日本酒でこのブリを味わってみたくなった。

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※画像はイメージです(筆者撮影)

こうして酒場で何を飲み何を食べるかという選択から、パスポートの更新時期についてまで、我々はその時々にいろんなことを考えているわけだか、当然ながら意思決定には“迷い”が生じる場合もある。

しかし迷う迷わないはどうであれ、過去の自分はすでに意思決定を行った自分であり、加えて未来の自分の“迷い”を想像することはきわめて難しいだろう。したがって過去と未来の自分はある意味で単純で分かりやすい悩み無き人物として“圧縮”されてしまうのかもしれない。

さて、ハイボールを飲み終えたので日本酒を注文することにしよう。こうして新年も明けて普段通りの社会生活が戻ってきたが、いったい今年はどんな年になるのだろうか。今年1年であれ予断を許さないのだから、10年後の自分の姿など今のところは想像しようもない。ともあれ目の前の酒と肴を楽しむことにしたい。10年後の自分が現在の自分をどう思うのか、今は気にしないでおくとしよう。

文/仲田しんじ

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