アップルCEOも法廷に...「注目の訴訟」の行方

アップルCEOも法廷に...「注目の訴訟」の行方

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/06/10
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2021年5月22日、AppleのCEOであるティム・クックが法廷に現れて証言を行った。5月3日から5月24日まで3週間あまり続いたEpic Games v. Appleの裁判の一幕のことだ。そこでクックは、この訴訟を担当するカリフォルニア州北部地区連邦地裁のイヴォンヌ・ゴンザレス・ロジャーズ判事を前に、Appleは決して競争を阻害しているわけではないと主張した。

この訴訟は、人気ゲームの「Fortnite」の開発元であるEpic Gamesが、Appleを反トラスト法違反を理由に訴えたものだ。発端は、昨年の夏、2020年8月13日に、Epic Gamesが、iPhone上で提供するゲームアプリFortniteの中で、アップルの支払いシステムを迂回する独自の支払いシステムを導入したことだった。これに対してAppleは、利用規定に反する、という理由から、同日、FortniteをApp Storeから締め出した。このAppleの行為が反トラスト法違反にあたるというのがEpic Gamesの主張だ。

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〔PHOTO〕gettyimages

Epic GamesのCEOであるティム・スィーニーはかねてから、App Storeの規定に対する不満を公にしていた。Fortnite内に独自の支払いシステムを導入したのも、Appleが自社の支払いシステムの利用しか認めないからで、その結果、Epic Gamesからすれば、Fortnite内で販売したアイテムに対してもAppleの支払いシステムを使うしかなかった。スィーニーが不満に感じたのは、そのようなゲーム内課金の処理にも、売上の3割を手数料として徴収されることだった。あわせて、Fortniteのゲームアプリ内で独自のApp Storeを開くのも禁じられており、こうしたAppleの管理姿勢が、Epic Gamesには反競争的に見えたのだった。

一方、Appleの主張はシンプルで、まず、iPhone、iOS、App Store、ならびにその中の支払いシステムは、製品として一体のものであり、それゆえ、支払いシステムの指定も優越的地位の乱用にはあたらないということだ。その上で、App Store内で、アプリごとの独自のApp Storeや支払いシステムを認めないのは、iPhoneユーザーのセキュリティのためであり、ひいてはそれがユーザーからの信頼性につながると考えてのことだった。

App Storeからダウンロードされたアプリに関連して生じるトランザクションについても30%の手数料を求めるのは、App Storeをサステイナブルなものにするために必要だから、という理由からだった。また、料率が30%なのは、それがゲーム業界では標準だからであり、Appleが恣意的に導入したわけではないことを強調した。

ここまで見ればわかるように、この訴訟の争点は、iPhone上のApp Storeの規定、すなわち、他のApp Storeの開設の禁止、アプリ内での独自支払いシステムの導入の禁止、原則すべてのiPhone上での支払いに30%の手数料が求められる、という規定である。この内容にEpic Gamesは不満を感じ、反トラスト法違反で訴えた。一方、Appleは極めて正当なものだと主張する。両者の主張は平行線をたどり、その判断が、連邦裁判所の第1審である連邦地裁に持ち込まれた。

それだけでいえば、2つの企業による条件闘争でしかない。だが、この訴訟が潜在的に抱える問題は多い。たとえば、プラットフォームビジネスのルールはどうあるべきか、ゲームビジネスの将来はどうなるのか、スマートフォン市場の事実上の複占状態(iPhoneとAndroid Phone)をどう扱うべきか、など。オンラインプラットフォームとデジタルコマースの近未来を占う上で重要な要素が多数埋め込まれた案件なのだ。

Big Techの社会的扱いはどうするのが適切か、という問いは、今年になって発足したバイデン政権の重要課題のひとつである。その点でも、この訴訟を無視することはできない。

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「マーケットとは何か」という争点

とはいえ、今回の訴訟が反トラスト法違反として始められている以上、最初に考えるべき争点は、ここでいう「マーケット=市場とは何か」である。そして、この解釈いかんで、議論の矛先が全く変わるという意味では最大の争点でもある。はたしてEpic Gamesがいうように、App Storeがひとつの「マーケット」であり、そこでAppleが定めることは、独占者による優越的地位の乱用にあたるのか。それともAppleのいうように、想定すべき「マーケット」とは、Fortniteが属するゲーム市場なのか。後者であれば、任天堂やSony、Microsoftのようなコンソールゲームもあれば、PCゲームもある。もちろんAndroid Phoneもだ。FortniteはiPhone上でしか利用できないわけではなく、だとすればiPhone上のApp Storeはそのような多岐にわたるゲーム市場の一角を占めるにすぎない。

したがって、この訴訟の行方は、まずはロジャーズ判事がマーケットをどう解釈するのかにかかっている。どう考えてもこの訴訟が第1審で終わるとは思えないので、そうなると地裁の判決は、さしあたって、今後の議論の土台を築くものと受け止めるべきなのだろう。

今回の訴訟を検討する上でロジャーズ判事が気にかけていると伝えられる判例は、セントルイス鉄道訴訟(1912年)とアメックス訴訟(2018年)の2つである。
前者は、ボトルネックとなる施設を有するものをどう扱うべきかを定める「エッセンシャル・ファシリティの法理」を生み出した訴訟で、この法理によりiPhoneは、ゲームメーカーがユーザー/顧客にアクセスする上での門番(ゲートウェイ)となっていると捉えることができる。一方、後者は、クレジット会社のAmerican Express(Amex)に対してなされた訴訟で、そこではいわゆるマルチサイド・プラットフォームの扱いが検討された。プラットフォームビジネスを扱う上での最新の判例のひとつである。

「情報の非対称性」に対する措置の必要性

ところで、このアメックス訴訟の内容を知ってから疑問に思ったことは、製造物責任訴訟のように被告の側に、原告からの訴訟内容に関する反証責任を負わせる、などのような対策が講じられない限り、マルチサイド・プラットフォームビジネスにおける紛争は、そもそも紛争として浮上し得ないのではないかということだった。

もちろん、原告が、被告に対して被害の立証を行うのが原則であり、そうでなければ、根拠のない嫌がらせ的な訴えばかりが裁判所に寄せられ、司法資源の無駄遣いも含めて社会的コストが甚大になってしまう。だが、それでも製造物責任のような概念が採用されたのは、原告と被告の間に、利用可能な情報に質・量ともに著しい非対称性があったことが、社会全体の共通認識となったからだった。産業技術時代において企業の巨大化が当たり前になったからこそ、採らなければならない方向転換だった。

その意味では、産業技術に代わる情報技術時代の巨大ビジネスとして台頭してきたプラットフォームビジネスに対しても、同様の方向転換が必要なのかもしれない。プラットフォームビジネスは、複数の立場の異なる利用者の間をとりもち、その間で一定の経済的取引が行われることを促すことで成立する事業だからだ。

たとえばAmexのようなクレジットカード事業であればユーザーは、クレジットカードを利用する「会員」と、クレジットカードの決済を受けつける「加盟店」の2者である。クレジットカード会社は、その両者からの収入のバランスを取ることで、事業を継続させる。となると、アメックス訴訟の判決で示されたように、加盟店と会員のすべてを含めて「ひとつの市場」と定義されてしまうと、加盟店、あるいは加盟店の不利益を配慮して訴えを起こした司法当局からすると、訴えを起こすことが極めて困難になってしまう。なぜなら、訴訟前に予め、会員側の競争状況やプラットフォーム会社(この場合はAmex)が取った事業判断の理由――たとえば加盟店と会員の間の費用分担や収益機会の配分方法など――について理解しておく必要が生じるからだ。

しかし、そのような情報はプラットフォーム会社に一方的に集積されている。そうした「情報の非対称性」に対する何らかの公正な措置が必要になるのではないだろうか。製品がどのような過程でどのように造られたのか、一介の消費者では推定も理解も事実上不能になってしまった産業技術社会において、新たに製造物責任という概念が必要になったことに近い対策が必要になると思われるゆえんだ。

その意味では、このEpic Games v. Appleの裁判は、地裁のロジャーズ判事がどのような判決を言い渡そうとも、議論を呼ぶことは間違いない。今回の裁判におけるロジャーズ判事の言動からすると、判事は、反トラスト法訴訟における現在の標準的な検討方法であるシカゴ学派の流儀に沿って判断を下そうとしている。つまり、反競争的な行為を消費者便益が損なわれているかいなかで判断する。その限りで、どちらかといえばAppleの主張に傾いているようにもみえる。

したがって、仮にロジャーズ判事が、Appleの主張を認めるような判断を行った場合、Epic Gamesが上告するだけでなく、反トラスト法の規定そのものを変えてしまおうと、具体的には立法措置を施そうとする動きが活発化してもおかしくはない。

実際、今のバイデン政権には、ティム・ウーやリナ・カーンのようなプラットフォーム規制に積極的なコロンビア学派の研究者が加わっている。コロンビア・ロースクール教授でサイバー法の権威の一人であるティム・ウーは、NEC(国家経済会議)のテクノロジー・競争政策担当大統領特別補佐官として起用された。リナ・カーンは、反トラスト法の規制当局のひとつであるFTC(連邦取引委員会)の委員として指名されている。彼女は、イェール・ロースクール在学中の2017年に“Amazon Antirust Paradox”という論文で注目を集めた。リナ・カーンも今ではコロンビアの准教授を務めている。

コロンビア学派とは、早くからGAFAに対する規制を提唱してきたティム・ウーの拠点であるコロンビア・ロースクールにちなんで名付けられた。コロンビア学派は、シカゴ学派のように消費者便益の毀損を反競争的行為の基準としたままでは、GAFAのようなプラットフォーム企業の振る舞いに社会的制約を課すことは難しいという立場を取っている。シカゴ学派とは、シカゴ大学に集った経済自由主義的な学者たちの総称である。

対してコロンビア学派は、プライバシーやセキュリティのように、インターネット時代において再解釈・再定義されるべき自由や尊厳、公正さなどのような民主的な政治的価値に沿って、反トラスト法の精神を見直そうとする。その時、参考にされるのが、100年前の産業技術による社会変動の時代に活躍したルイス・ブランダイス最高裁判事の思想だ。そもそも反トラスト法はなんのために制定されたのか、その原点に戻り、検討の仕方を見直そうとするものだ。

Appleが訴訟の当事者であるということ

こう見てくると、今回の訴訟が射程の長いものであることがわかる。その点で訴訟の当事者がAppleであることは興味深い。

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プラットフォーム規制というと、最近ではもっぱらFacebookやGoogleが注目を集めてきた。フェイクニュースの流布や、検索広告の独占など、インターネット内部での、文字通りの独占状態に対する批判から発したものだ。

だが、Appleは必ずしもそうではない。GAFAの中でAppleは最古参であり、PC市場の立ち上げ期であった1970年代にその歴史を始めている(Appleの創業は1976年)。そして、その頃からAppleは、基本的に自社内で完結した「クローズド」なプロダクトやサービスを提供してきた。その点で、今回の裁判で主張された、iPhoneとiOS、App Storeとその支払いシステムは、すべてが一体化された「ひとつのプロダクト」だというのは、ことAppleに関しては企業姿勢として納得できるところがある。

なにしろ、創業以来、ずっとそのようにして商品を開発してきたからだ。孤高のアルチザン、というのがAppleに対するブランドイメージのひとつだろう。ユーザーの中にウィザードがいて、そこからアップル・ジーニアスが誕生したり、彼らがユーザーの疑問に答える場として、Apple製品だけを扱うApple Storeを立ち上げたり、と、Appleは独自路線で突き進んできた。

そうしてイノベーションのフロントランナーとしての地位を築いてきた。そのためにもクオリティコントロールは欠かせない、というのが基本姿勢だった。それは、具体的な製品を製造し販売しメンテナンスする、というメーカーとしての企業文化を残していたからでもある。この点で、インターネット後に登場したGoogleやFacebook、あるいはAmazonとは一線を画す。そして、そのメーカーとしての責任という部分に、一種の安心感や信頼感をユーザーが抱いているところも確かにあることだろう。

仮にAppleが、iPhoneのユーザーを守る、特にプライバシーを守る立場を確立できたとしたら、他のGAFAとは異なる在り方を追求できる。その点ではAppleの主たる収益源が広告ではないことも大きい。広告が収入源であるGoogleやFacebookに対してプラットフォーム規制が検討されているときに、物理的製品としてのiPhoneの製造会社として、iPhoneをマルウェアの攻撃などからユーザーを守るための盾として位置付け、iPhone購入者の守護者たらんとするのである。

むしろ、プライバシーを引き合いにすることで仲介者の意義を訴える。そうしてAppleは、ユーザーのコンシェルジェにして守護者、という立ち位置を確保しようとする。折しもこの訴訟のタイミングで、Appleは、プライバシー保護のキャンペーンを行い、その重要性を訴えるビデオCMも公開していた。

もちろん、このビデオは、Epic Gamesへの対抗である。昨年夏にApp StoreからFortniteが弾き出された直後、Epic Gamesは、1984年にAppleが公開した有名なCMのパロディを公開していた。オリジナルのAppleのCMは、ジョージ・オーウェルの『1984』に登場する世界の管理者ビッグブラザーを、当時のPC市場の巨人IBMになぞらえて、その支配を打破するのがAppleだと主張するものだった。だが、それをEpic Gamesは、Appleこそが当代のビッグブラザーであると揶揄したのである。

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ある意味で、かつてのAppleの精神を引き継ぐのはEpic Gamesだと訴えるものだが、実際、Epic GamesのCEOのティム・スィーニーは、80年代的なサイバーカルチャーの匂いを漂わせる人物でもある。

すべてのゲームコンソールをつなげてひとつの「メタユニバース」を築こう、というティム・スィーニーの基本姿勢は、法的に正しいかどうかとかいう以前に、そもそもコンピュータに対する価値観のレベルで全く違うものなのではないかと思えてくる。

メタバースを連呼するあたりは、80年代のサイバーパンクの夢にいまだに囚われているようにも見える。Epic Gamesの本社所在地がノースカロライナで、スィーニーの出身がメリーランドと聞くと、NASCARのような南部的な反骨精神の体現者のようにも思える。GMやフォードなど五大湖周辺の巨大自動車メーカーのつくる車に手を入れて独自のスピードレースとしてNASCARが南部で花開いたように、シリコンバレーを中心に作り上げられてきた既存のゲームビジネス、サイバーカルチャーに対して、スィーニーは一石を投じようとする。

彼の、iPhoneもユーザーに解放すべきだ、という主張には、明らかにサイバーパンクの残り香を感じる。とはいえ、さすがにそこまでAppleが無条件に応じる必要はないのでないか、なぜならAppleはiPhoneを自力でここまで作り上げてきたのだから、と思うのだが、それでも、スィーニーの解放宣言は、英雄的振る舞いに見えてしまう。この「英雄的外見」については、ロジャーズ判事も眉をひそめていたようだが。彼女のそのような姿勢は、では仮にミスター・スィーニーのいうように、App Storeやその支払いシステムを迂回することができた場合、その結果、Appleが失う損失をどのように補償するのか、という問いに表れている。勢いだけで判断してはいないか?という疑念だ。スィーニーの言動は、一面でドン・キホーテ的な、アナクロニズムに見えなくもない。

訴訟の結果が左右する未来

このように、今回の訴訟の背後には、サイバーカルチャーにおける文化的価値観の対立も控えている。その意味でも、本訴訟の射程は長い。訴訟の結果は、オンラインプラットフォームならびにデジタルコマースの未来を、経済的にも文化的にも左右する。

もともとアメリカでは、競争に勝ち残った勝者の企業が、その巨大さから準政府のような存在になることは多い。たとえば多くの国で鉄道や通信といった社会インフラ事業は国営企業として始まった。しかし、アメリカにはそのような歴史はない。

かつて「マー・ベル(ベル母さん)」と呼ばれたAT&Tは、電報事業を皮切りに、電話事業で全米にネットワークを広げていく過程で競合他社を駆逐し業界随一の大企業となった。いつしかユニバーサル・サービスの提供者として政府公認の独占企業として安定した地位を築いた。

このように自然独占企業が連邦政府と取引して、独占を認めてもらう代わりに、規制対象となる、つまり、政府の傘下に入る、というのは、アメリカでは時折起こることだ。そのためのきっかけの一つとなるのが反トラスト法訴訟である。訴訟は、そのような法的交渉事が始まる場所でもある。だからこそ、ロビイングも盛んになる。

そう考えれば、今回のEpic Games v. Appleという、民間企業どうしの訴訟は、これから本格化するであろうBig Techと連邦政府の交渉の序章となりえる。その意味でも、8月には下されるであろうロジャーズ判事の判決に注目したい。

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