「何も終着駅じゃないよ。こっから出発点だ」“甲子園優勝の夢”を失った明徳義塾の選手たち...落ち込む彼らを鼓舞した「馬渕監督の言葉」

「何も終着駅じゃないよ。こっから出発点だ」“甲子園優勝の夢”を失った明徳義塾の選手たち...落ち込む彼らを鼓舞した「馬渕監督の言葉」

  • 文春オンライン
  • 更新日:2022/08/06

「お前ら、甲子園はもうあきらめろ」なぜ選手たちに残酷な言葉を? 龍谷大平安・原田監督が人生で最も苦悩した「コロナとの戦い」から続く

第102回全国高等学校野球大会の中止――2020年5月20日に「甲子園優勝」の夢を失った明徳義塾高校野球部の選手たち。自身も大きな衝撃を受けた監督の馬淵史郎氏が選手たちに送った言葉とは?

【画像】落ち込む生徒たちを激励した明徳義塾の名将

スポーツジャーナリストの小山宣宏氏の新刊『コロナに翻弄された甲子園 名将たちが伝えたかったこと』より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/前編を読む)

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甲子園中止を言い渡された選手たちに、馬渕監督がかけた言葉とは? ©iStock.com

◆◆◆

「65歳でも、サヨナラ勝ちはうれしいですよ」

4対5で1点を追う9回裏ツーアウト一、二塁の場面。明徳義塾高等学校(以下、明徳義塾)の4番を打つ新澤颯真(現・拓殖大)がライトオーバーの三塁打を放ち、2人の走者が生還。見事にサヨナラ勝ちを収めた。その直後、一塁側ベンチにいた馬淵史郎監督はガッツポーズを見せる。

「65歳(実際は64歳)でも、サヨナラ勝ちはうれしいですよ」

興奮冷めやらぬ様子で、馬淵は試合後のインタビューでこう報道陣に語った。

2020年8月10日に甲子園で行われた交流試合の大会初日の第2試合、明徳義塾は鳥取城北と対戦していた。開幕試合で花咲徳栄が大分商業を下したのを見届けてからの試合は、苦戦を強いられていた。相手の先発右腕の松村亮汰(現・日本大)、次いで登場した左腕の阪上陸(現・同志社大)の前に7回までに無安打に抑えられていた。だが、2回と5回に四死球と送りバント、犠牲フライをからめて計2点を取り、7回終了までに2対1で明徳義塾がリードしていた。

このとき馬淵は内心、「何か嫌な予感がしていた」と後に明らかにした。その予感は的中し、8回表に鳥取城北はワンアウト満塁から3連続タイムリーヒットで4点をたたき出して逆転に成功。その裏、明徳義塾はノーアウト一塁から、この試合で31人目の打者となった新澤がチーム初安打を放つと、相手のエラーと7番の米崎薫暉(現・近畿大)のセンター前への適時打で2点を返して1点差とした。劣勢の展開のなか、最後の土俵際で見事にうっちゃり、明徳義塾の底力を見せつけた。

交流戦の開催、その後鳥取城北と対戦することが決まってから、明徳義塾はある練習を行っていた。相手の左腕エースの阪上対策である。打撃練習では2週間ほど左腕投手を打ち続け事前の準備に余念がなかった。だが、蓋を開けてみれば阪上ではなく、背番号10をつけた2番手投手の松村がマウンドに上がった。馬淵にしてみれば、内心「見誤った」と思ったはずだ。

だが、試合が追われて追っての展開となると、一度は右翼に下がった阪上が再びマウンドに上がった。このとき新澤は、「左投手のほうが打てる自信があった」と語り、言葉通りの結果を残した。

「1試合しかないけど、『ここで勝てば次は2回戦もある』という強い気持ちを持って戦おう」

試合前、馬淵はベンチ入りした選手全員にこう話した。たった1試合しかないのだからという理由で、思い出作りにすることは考えていなかった。いつもの甲子園と同じように、勝つことにこだわった。「甲子園は最高の技術、最高の精神力、最高の体力をぶつけあう場」だという考えに基づくものだ。その結果、最後の最後まで追い詰められながらも、感動的な逆転劇につながったのではないかと、馬淵は後になって分析している。

たしかに甲子園の雰囲気はいつもと違った。それはまぎれもない事実であった。5万人の大観衆の声援や、ブラスバンドやチアガールの姿もない。交流戦でベンチに入れなかった部員はアルプススタンドではなく、ベンチ後方の上から2段目、選手の家族は最上段からマスク姿で声を出さずに拍手だけで応援している。両チームにとって、無観客の甲子園はなんともたとえようのない、不思議な雰囲気だったに違いない。

だが、馬淵は球場の雰囲気と勝負は別物だととらえていた。

「試合が始まったら、勝って校歌を歌おう」

そう言って、実際に勝ってベンチ前で明徳義塾の校歌を聞いたとき、いつもの年と同じように格別な気持ちになった。この年は甲子園で戦えるのは1試合のみ。勝っても負けてもこの試合でこの年の3年生の夏は終わる。それだけにどうしても勝って、ホームベース付近で校歌を歌うという感動を選手たちにも体験してほしかった――。馬淵の当時の偽らざる思いだ。

無念のセンバツ中止

交流試合からさかのぼること5ヵ月前の3月11日。日本高野連は8日後に開催される予定だった第92回選抜高等学校野球大会を、新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響を重く見て、開催中止とした。連日報じられるニュースを見ては、「ちょっと厳しいかな」と感じていたが、いざ中止が現実のものとなると、甲子園で優勝することを目指してこれまで必死に頑張ってきた選手たちにどういった言葉をかけるべきか、馬淵は悩んでいた。

前年の秋、明徳義塾は高知県大会と四国大会で優勝、明治神宮大会では準々決勝で優勝した中京大中京に0対8で敗れたものの、センバツ出場は間違いなかった。それだけに明徳義塾初となるセンバツ制覇に向けて、冬の厳しい練習を乗り越えてきた。

だが、センバツ中止となったことで、すべてが水の泡となってしまう。ポジティブなことを言えなければ、何かを恨むようにネガティブなこともおいそれとは口に出せない。

馬淵は短い時間で熟考した結果、ありのままの現実を話すことにして、選手全員を集めて開口一番こう伝えた。

「残念ながらセンバツは中止になった。けどな、四国大会を優勝してセンバツに選ばれたことは胸を張ろう」

馬淵の言葉を聞いて涙を流す選手もいた。無理もない。明徳義塾に来て、一番の目標は「甲子園大会の全国優勝」だ。それにもかかわらず、そのチャンスを手放すことになってしまうのは無念以外の何物でもなかった。

明徳義塾で3年間の野球生活を終えた選手たちは、卒業後に大学に進学して野球を続けるものが多い一方で、たとえレギュラーであっても、高校を卒業した後は本格的に野球をやるのは高校までで、大学に進学したらサークルの準硬式、もしくは軟式野球で楽しんでやると考えている選手もいる。実際、「高校で野球はやり切りました」と悔いなく卒業していく選手もいると言う。

一部の識者のなかには「高校野球だけが人生のすべてではない。大学やプロで活躍の場があるではないか」という類の意見を主張する方もいるが、高校で野球を終えようと考えている選手にしてみればお門違いの発言だ。

甲子園に出場した後、高校での野球活動を終え、その後の人生では大学に進もうが、あるいは就職しようが、普通の大学生や一社会人として人生を歩む人のほうがむしろ多いかもしれない。それだけに、「高校野球で甲子園を経験して、その後の人生の糧になるものがあればいい」と馬淵は考えている。

けれども、センバツ中止という一報を受け、その目標は立ち消えてしまった。馬淵や選手にしてみれば、言い表せないほどの喪失感のなか、このときは「夏に向かって目標を切り替えていこう」と考えるほかなかった。

その後も新型コロナウイルスは人間の事情や思いなど汲み取ってくれるはずもなく、人から人への感染が止まらない。当初は首都圏、都市部だけが危ないとされていたが、次第に全国へと拡大していき、それが野球部の活動にまで影響を及ぼしていった。

緊急事態下の明徳義塾

4月7日に日本政府から緊急事態宣言が発出されると、学校側もこれにならって、各部活動におけるルールの徹底を言い渡すことになった。当然、野球部もこの対象となった。

まず、「対外試合は止めてほしい」と学校側から言われた。県境をまたぐことはもちろんのこと、相手を招いての試合も学校側がストップをかけた。コロナ以前の年であれば、高知を出て練習試合をすることは通例だったが、どちらの学校も行き来できないとなれば、チーム内で紅白戦を行うほかに試合をする方法はなかった。馬淵ら野球部の指導者はこれに従った。

これだけにとどまらず、やがて日常の学校生活にも影響が出始めた。明徳義塾の生徒たちは、高知県須崎市で緑豊かな山々に囲まれた本校の堂の浦キャンパスと、太平洋を見渡せる竜キャンパスの2つの敷地内で寮生活を送っている。寮制度の原点は、イギリスの伝統的なパブリック・スクールにある。多くの教職員が学校の敷地内で生活していて、朝礼から夜の学習時間まで可能な限り生徒との時間を共有している。

明徳義塾の1日は毎朝6時30分に寮内に流れる起床の音楽から始まる。その後は15棟ある寮ごとにグラウンドに集合し、全員で朝礼とラジオ体操を行う。その後、全員が食堂に集まって食事をするのだが、コロナになってからは3班に分けて食事をすることになった。感染対策の一環だが、これまでのようにみんなと楽しくしゃべりながら食事をするのではなく、黙食を奨励するようになった。

当然、野球部員も例外なくコロナの感染対策を守りながらの生活を送ることを余儀なくされた。寮内では検温と消毒を徹底的に行い、日常はマスクをつけての生活をするなどいたるところに制約が生まれ、「いったいこの状況がいつまで続くのだろう」と不安が続いた。

目標を失った選手たちに「馬渕監督が送った言葉」

夏の甲子園出場を目指して練習に励んでいるなか、馬淵と選手たちにとって聞きたくなかったニュースが、5月20日に飛び込んできた。

第102回全国高等学校野球大会の中止――。

馬淵は声を失った。目指していた目標がなくなることの絶望感といったら、何物にもたとえようがないほど、深く落ち込むしかなかった。同時に今すぐにやらなければならないことが目の前にある。

「選手たちにはどう伝えればいいのか」

2ヵ月前にセンバツがなくなったときには、「夏に目標を切り替えよう」と考えることができた。だが、その夏がなくなってしまった。当時の3年生たちは2年2ヵ月の間、「自分たちの代でも必ず甲子園に行くぞ」と意気込んでいた。

彼らが1年生のとき、2年前の100回の記念大会の夏、明徳義塾は高知予選の決勝で高知商業に2対10で敗れ、夏の出場を逃した。だが、翌2019年は2年ぶり20度目の甲子園出場を果たし、2回戦で智弁和歌山に敗れた。先輩たちの無念は自分たちが晴らすとばかりに、新チームになってからの秋、冬と成果を残してきたという自負もあった。

それが新型コロナウイルスという、思ってもいなかった難敵を前に、夏の甲子園大会そのものをあきらめなければならないなんて――。馬淵はこのときばかりは、「言葉を尽くして選手たちに気持ちを伝えよう」と考えていた。

この日の夕方、馬淵はグラウンドに選手全員を集め、彼らを前にこんな話をした。

「今、日本高野連の発表で中止が決まった。今大会は102回の回数には入れるらしいが、中止。地方大会も中止だ。

お前らが目標にしとった大会がないので、非常に残念でたまらん、俺も。3年生はセンバツも中止になったところで、最後の夏に自分の力を発揮できる大会がなくなったというのは、本当につらい。今の社会情勢から言ったら、お前らも50%ぐらいは『ないんじゃないか』という気持ちは持っていたと思うけど、正式に決まったんで。

ただ、いつも言っているように、高校野球の目的は『人間作り』やから。勝つか負けるかわからん。優勝せん限り、どっかには負ける。4000校近いチームのなかで1チームだけで、あとのチームは予選か甲子園行ってどっかで負けるか、負けて終わるだけだ。

目標にしとったものがなくなるというのは、本当にね、なんとも言えん。ひと言では残念としか言いようがないけど、それだけでは言葉が足らんと思うんやけど。

目的は『将来につながるための高校野球』やから。それだけは忘れんなよ。勝った、負けた、甲子園に出場できる、できない、レギュラーになった、なれないと、いろんなことがあるけど、要は世の中に出て通用するようなことをグラウンドで学ぶのが高校野球なんや」

馬渕監督の心の叫び

「大会がなくなったからというんで、自暴自棄になり、目標を失ってふにゃふにゃの人間になったりしたらあかんど。まだまだ将来につながるんやから。新しい目標を立てて野球続ける者もおるだろうし、高校3年間で終わって進学して違った道に行く者もおれば、就職する者もおると思う。けど、必ず、今の親元を離れて寮生活をして打ち込んだものが、絶対どこかで生きてくるんやから。

よその学校に比べたらまだ恵まれていると言ったらおかしいけど、四国大会でチャンピオンになり、神宮大会という全国大会の経験ができたというのは唯一の救いや。胸張っていいと思うけど、新しい目標を設定して、そこに向かってやっていかなならん。

だから、今の時期で『甲子園がなくなった。はい新チームに切り替えます』というようなことはしない。まだ高知県で大会に代わるようなものも考えてくれているみたいなので、とにかくやれることを最後までやっていく。

ええか、これでOB気分になって『終わった、終わった』じゃないんだぞ。3年生も夏休みまでは、自分の目標に向かってしっかりやって、グラウンドには普通通りの時間に出て、普段通りの練習をやる。

忘れんなよ。世の中に出ていろんな苦しいことがあったときに、耐えていける精神力をつけるというのが高校野球なんや。こういう苦しいときほど、人間は試されるんで。甲子園だけがすべてじゃないんやから。人生、甲子園に行けない人間のほうが多いんやから。全員が気持ち切り替えてやっていかないと。

それでも最後まで同じ仲間とグラウンドでやれたというのが財産やから。10年、20年経って、『あのとき、自分らの代は地方大会がなかった。試す場所がなかった』ということが、きっと役に立つときがあるから。

これで気持ちを切り替えるのは難しいかもしれんが、次のステップにみんなが進んでいくようにしよう。今の状況は命に関わることやから。最近は若い者でも重症になったり命がなくなったりする者もおるんで。他の人にうつしたりする心配もある。

地方大会がなくなったというのも、移動と審判員の安全。それと、今は医療態勢が崩壊しかかっているやろ。球場に医者を派遣するだけの余裕がないと言われている。高知県だけじゃない、甲子園もそうや。みんなを守ろうということよ、要するに。コロナから守ろうということで、大会をなくしたほうがいいんじゃないかということ。そういうとらえ方をせな、いかんのじゃないかな。

今、ぱっといい言葉が出てこないけど、自分も高校野球やった人間やから。でも、俺らは負けて、それで高校野球に区切りをつけたんや。それがない分だけ、つらいわな。気持ちはようわかる。親御さんもそういう気持ちだったと思う。そういう関係者のことも考えたら非常につらい。気持ち切り替えてくれとしか言いようがない。

頑張ってやれよ、こっからだぞ。こっからが出発点だ。何も終着駅じゃないよ。こっから出発点だ。気持ち切り替えてやっていけよ、ええか」

馬淵自身の、まるで心からの叫びのようなメッセージだった。

(小山 宣宏)

小山 宣宏

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