「父になる」とはどういうことか。手探りのファーザーシップ

「父になる」とはどういうことか。手探りのファーザーシップ

  • Forbes JAPAN
  • 更新日:2022/01/17
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「シネマの女は最後に微笑む」と題したコラムでこれまで、映画の中の「現代女性」をとりあげてきた。連載が100回を迎えたところで一区切りとし、今年からは、また新たなテーマで書いていこうと思う。

いま私が考えたいテーマは「男性」。特に「父」「父性」とは何か、に関心がある。

一般的には、子に惜しみない愛情をかけ慈しむものとされる「母性」とは対照的に、「父性」はそうした母子の充足した関係性に亀裂を入れ、子を社会に向けて押し出すものとされている。また、「父」とは、最高の「強者」を意味する言葉でもあり、その分、すべての責任を引き受ける者の名でもある。それはこの社会で良くも悪くも「重し」として機能していた。

時代の変化とともに”強い女性”のイメージが豊かになってきた反面、”強い男性”のイメージはかつてのような吸引力を失っている。実質的な父権は低下し、父親の存在感もひと昔前と随分変わってきている。さまざまな立場から「父」なるものに抑圧されていた人々の声が上がるようにもなった。

つまり現代は、多くの人が自己の「弱者」性から発言し始めた時代と言えるだろう。しかしそれは、最終的に責任を引き受ける者がいないということも意味するのではないか。こうした中で、「父とは何か、父性とは何か」は、忘れられた問いになっているのではないだろうか。

本来、人は「父性」的な力を必要とするものだと私は考える。内包し慈しむ力だけでなく、切断し自立を促す力が働かなければ、私たちは大人になれないからだ。万難を排して言えば、何らかの強制的な力によってしか、人は一個の人間として社会化されないのだ。

そう考えると、リーダーを失っている現代社会では、新たな「父親的な力」、ファーザーシップが潜在的に求められている面があるかもしれない。

個人的な動機についても書き添えておきたい。私はいわゆる「父の娘」として育った。「父の娘」とは、「父なるもの」が体現する規範を内面化した娘のことを指す。

私の父は既に他界しているが、家庭では強い父権をふるいつつ、溺愛する娘に自分の理想像を投影し続けた。父への反発と被承認欲求に長年引き裂かれた私は、やがて美術を通じて「父殺し」を果たそうとした。その歪みはまだ私の中に残っている。だからこの連載は、自分の内なる「父」について再考する試みでもある。

古今の映画は、さまざまな父の姿を描いてきた。リーダー的な面だけではない。強面の父もいれば、情けない父もいる。昔ながらの寡黙な父もいれば、母の役割を果たす父もいる。少年や女性であっても、ファーザーシップを発揮する人もいる。

映画に登場した父の姿、あるいは「父親的な存在」を通し、この”父なき時代”に改めて「父」や「父性」について考えていきたいと思う。

「父」としてのあり方を自問する

第1回目に取り上げるのは、『そして父になる』(是枝裕和監督、2013)。「父をテーマにした有名な映画は?」と聞けば、おそらくこれをまず上げる人が多いのではないだろうか。第66回カンヌ国際映画祭 審査員賞をはじめ数々の賞を獲得して話題となり、いまも数年に一度はテレビ放映される人気作品である。

この映画のエッセンスはほぼ、タイトルに凝縮されていると言ってもいい。男性は、妻との間に子供ができたら法的に父というポジションを与えられるが、「父になる」とは実はそれほど簡単なことではない。さまざまな試行錯誤を経て、「そして父になる」のだ、と。

子供が小学校に上がる段になって判明した新生児取り違え事件が、物語の核にある。

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(c)2013「そして父になる」製作委員会

一方は、東京のエリートサラリーマンの野々宮良多(福山雅治)・みどり(尾野真千子)夫妻と長男、慶多。もう一方は、群馬で小さな電気屋を営む斎木雄大(リリー・フランキー)・ゆかり(真木よう子)夫妻と長男、琉晴。ドラマは主に野々宮良多とみどりの側から描かれていく。

病院を相手取って裁判を起こす一方で、それぞれの子供をいずれ本来の親元に戻すことも念頭に入れ、2つの家族は手探りながら交流を始める。双方の子供には事情を伏せたまま、「ミッション」と称して相手の家に滞在させたりする。

その中で浮き彫りになるのは、野々宮夫妻と斎木夫妻の階層や文化圏や価値観の相違、とりわけ良多と雄大というほぼ対照的な2人の父親像だ。やがて良多は、6年育てた慶多の「父」としてのあり方を自問せざるを得なくなる。

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(c)2013「そして父になる」製作委員会

高級マンションに住み、都市開発のプロジェクトで采配を振るい、穏やかな妻と可愛い息子に恵まれた良多は、挫折を知らず常にトップを走ってきたような男だ。

冒頭、慶多の私立小学校入学に際しての親子面接のシーンでは、いかにも快活で自信に溢れた受け答えをしている。しかしその直後、慶多の模範解答が塾の先生の入れ知恵であることを、みどりから聞かされる。

この一連のシークエンスでわかるのは、「父として正しく振る舞いすべてを把握していると思っている良多には、見えていないことがある」ということだ。それは後半、残酷なまでに明らかになっていく。

良多の元同僚だがいまは専業主婦のみどりにとって、良多との結婚は上昇婚だったことが匂わされ、そのせいかみどりの態度にはわずかに夫への遠慮が感じられる。

その分、彼女は一人息子の慶多に深い愛情を注ぎ、それは子供取り違えが判明しても変わることはない。慶多はおっとりした子供だが、幼いながらに父からの期待を意識してもいる。

父には「見えていない」こと

一方、何1つ非の打ち所がないように見えた良多の輪郭は、ドラマの進行につれて徐々に崩れていく。

「いまの時代、優し過ぎるのは損だからな」は、世間知のように見えて出世競争を勝ち抜いてきた者特有の酷薄さを、慶多が実の子でないと知った時の「やっぱりそういうことか」という怒りを滲ませた呟きは、息子は自分のように”優秀”ではないと見切った不遜さと冷たさを感じさせる。

ショッピングモールの遊び場で子供らと一緒になってはしゃぐ雄大と、離れたところから実の子、琉晴を観察する良多。

社会階層としては明らかに”下”である斎木家への見下しは、ついに「2人ともこっちに譲ってくれませんか。お金なら(以下略)」という身勝手で失礼千万な台詞となって現れる。

夫の態度に内心ヒヤヒヤしているみどりとバンカラ気質なゆかり、2人の母親は互いの気持ちを慮り、父親同士より先に距離感を縮めていく。

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(c)2013「そして父になる」製作委員会

また雄大が野々宮家を訪れて、同じく群馬から上京してきたみどりの母、里子(樹木希林)と会うシーンでは、田舎の人同士の柔らかな親和性が垣間見える。だがリビングの床に直接座り込んで挨拶を交わす彼らを、良多は立ったまま見下ろしている。

良多だけは誰にも歩み寄らないのだ。故に彼はだんだんと孤立していく。

後半は、良多の合理性と正しさを装った冷淡さ、独善性が、彼の生育環境から生まれていたことが仄めかされる。

自分勝手な父に愛想をつかして出ていった母。継母に愛情深く育てられたにも関わらず、母に捨てられたという傷は良多の中に残った。その傷を彼は、自分が強い男になり、正しい父になり、そして理想の息子を育てることで埋めようとしたのだろう。

だが柔軟さを持たない直線的な強さ志向は、子供が取り違えられていたという全く計画外の出来事にうまく対応できず、強引な振る舞いや、妻の気持ちを考えない苛立ちとして表面化する。

そうしたことはさまざまな関係性に影響していくもので、職場では突然プロジェクトから外され、みどりとの間にも刺々しい空気が漂い始める。

自分がすべてを把握しコントロールしていると信じてきた良多は、まるで霧の中に立たされているような状況に陥っていくのだ。

こうした流れの中で、良多には見えていなかった真実を口にする人物が3人登場している。

1人目はみどりの母、里子。子供取り違えの件で酷く落ち込んでいる娘に、「あなたたちのことを良く思ってない人が世間にたくさんいるのよ」と呟く。

否定するみどりだが、後の裁判で、病院で子供をすり替えた元看護師の、野々宮家があまりに幸せそうで自分と引き比べて嫉妬したとの告白が出てくる。つまり里子は、過去を的確に捉えていた人である。

2人目は埼玉に住む良多の父、良輔(夏八木勲)。「これからどんどんその子はおまえに似てくるぞ。慶多は逆にその相手の親に似ていくんだ」と断言する。

実際、琉晴は遊びの時にはリーダーシップを取り、納得いかなければ執拗に尋ね、目端がきいて行動力もある、良多にどこか似た少年として描かれている。一方、慶多の優しい気質は雄大譲りなのかもしれない。良輔は未来を見通す人である。

一人前になるまで「見守る」

3人目は、良多の移動先の群馬にある研究所の職員、山辺(井浦新)。人工林の中を歩きながら「蝉がここで卵を産んで幼虫が土から出て羽化するまで、15年かかりました」と言い、驚く良多に「長いですか?」と問う。

15年とは、子供が成長し大人に近い体格やコミュニケーション能力を獲得するまでの年月だ。元服のあった時代、男子は15歳で一人前の大人扱いをされた。一人前になるのに、15年かかるのだ。

親は少なくともその年月を、性急に結論を出すことなくじっくりと子供を見守らねばならない。山辺の言葉は、「育てる」ことについての重要な示唆を含んでいる。

「負けたことがない奴」と雄大に皮肉を込めて言われた良多だが、最後に3つの”敗北”を喫する。

まず、時効で罰せられることのなかった元看護師のアパートに、謝罪金を返しに行った時。金を突き返し怒りをぶつけようとした良多の前に、彼女の息子が立ちはだかる。歳の頃はちょうど14~5歳だろうか。再婚相手の連れ子で6年前は懐かず悩んでいた、その子が成長して育ての母を庇おうとしている姿に、良多は降参せざるを得ない。

さらに、交換して引き取った琉晴は、良多から一方的に押し付けられる教育にも遊び相手のいない環境にも馴染めず、1人で群馬の家に帰ってしまう。実の息子からの拒絶というこの手痛い経験を経て、少しずつではあるが良多はみどりとともに、1人の個性をもった少年としての琉晴と向き合っていく。

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(c)2013「そして父になる」製作委員会

最後に彼はある日、慶多が置いていったデジカメの中に、元・息子の本当の心を発見する。慶多がどんなに父親の自分を信じ追いかけていたかという、それまで意識していなかった事実、そしてその信頼に応えるだけの器が自分にはなかったという強い自責の念が、良多を打ちのめす。

かつては懸命に父の背中を見つめていたに違いない元・息子の小さな後ろ姿を、初めて必死に追いかける元・父。

最後、慶多の何気ない無邪気な質問に、子供と同じ目線で答える良多の「ううん、初めて知った」は、まさに「これまで何も知らなかった父」としての応答でもあるのだ。

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『そして父になる』/ 発売元:フジテレビジョン / 販売元:アミューズソフト / DVDスペシャル・エディション5700円(税抜)

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