
浄土寺の梵鐘と住職の逸見さん
1747(延享4)年に鋳造された浄土寺(西逸見町1の11)の梵鐘は、先の大戦中に旧日本軍によって供出された後アメリカへ渡り、戦後米海軍の協力で返還された経緯を持つ。返還から62年を迎える5月30日(火)には同寺で式典が開かれ、78年ぶりにその音色を響かせる。
戦前の日本では戦局の激化にともなう物資の不足を補うため金属類回収令が施行され、浄土寺の梵鐘も戦争末期の1945年7月に供出された。
回収された金属の多くは溶かされ、武器の生産等に再利用されていた。しかし、同梵鐘は溶解を免れ、敗戦後米軍によって持ち出された後ジョージア州アトランタ市の公園に置かれていた。
その後、同市在住の日系女性が刻まれた文字からその鐘が浄土寺のものだと解読。現地のロータリークラブを通じて当時のアトランタ市長の「日本との友好の証に」という一声で1961年に返還が実現。以降は同寺で安置され、多くの人の目に触れられることはなかったという。
海を越えた絆
在日米海軍司令部広報の飯沼さんによると、この返還は関係者の「善意」と「異文化への理解」によって実現したものだという。
当時のアトランタ市長が、米国独立前に作成された鐘に価値を見出し、返還の意向に多くの関係者が賛同したことについて「戦後間もない頃としては異例の対応なのでは」と語る。米国へ渡った梵鐘は全国各地に多く存在するが、米軍が主導的に返還へ取り組んだ例は少ないという。
今回の式典についても「梵鐘の物語を知って感銘を受けた司令官の存在あっての開催」だとして、異文化に思いを馳せ理解しようとする姿勢の意義がいつの時代も変わらないことを強調した。
「地元の再認識」促す
1961年の同日には返還式が行われ、多くの地域住民が参加した。同寺住職の逸見道郎さんは「今はこの梵鐘について知らない人も多いのではないか。地域の皆さんはぜひ式典に来てもらって、地元を再認識してもらえたら」と期待感をにじませた。
また「こういった式典ができるのも、いま私たちをとりまく環境が平和だから。このことを忘れずに、いつまでも保っていきたい」と開催に込められたもう一つの願いを明かした。
偉人にゆかり
同梵鐘は徳川家にゆかりのある東京・大田区の池上本門寺や文京区の護国寺の鐘を手掛けた名工、木村将監藤原安成が作成したもの。加えて寄進者には三浦按針の屋敷があった江戸・小伝馬町の人名があることが近年判明した。
「思いがけない発見だった」と逸見さんは声を弾ませ、「大きな歴史の流れの中にこの鐘がある」と梵鐘が持つ魅力について語った。
返還式典は同寺本堂で午前10時開始。在日米海軍司令部と浄土寺の共同主催で、上地克明市長や在日米海軍司令官などによる祝辞を予定している。一般客は同寺境内からその模様を見ることが可能。
タウンニュース横須賀版