冨安健洋の少年時代を恩師が振り返る バルサアカデミーで育まれたユーティリティー

冨安健洋の少年時代を恩師が振り返る バルサアカデミーで育まれたユーティリティー

  • デイリースポーツonline
  • 更新日:2021/07/23
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バルサアカデミー福岡校に所属していた冨安健洋=提供写真(C)BarcaAcademy Fukuoka

「東京五輪・サッカー男子・1次リーグ、日本-南アフリカ」(22日、味の素スタジアム)

東京五輪のサッカー男子日本代表は、1次リーグ初戦の南アフリカ戦(味の素スタジアム)を迎える。不動のセンターバック(CB)として日本の最終ラインを支えるDF冨安健洋(22)=ボローニャ=は小学時代にスペイン1部バルセロナの育成スクール「バルサアカデミー福岡校」に所属していた。テクニカルディレクターとして冨安を指導し、現在はJ1清水のヘッドコーチを務めるイバン・パランコ氏(41)が当時を振り返った。

「バルサに推薦した選手の一人でした」。パランコ氏の記憶は鮮明だった。「特別な選手になるというのは予測できた。我々が何か特別な指導をしたということではなく、誰が見てもタレントのある選手だった」。冨安の印象をそう語った。

11歳の頃、地元・福岡市の三筑キッカーズと並行してバルサアカデミーに通い始めた。福岡校は日本最初のバルサアカデミーとして09年に開校。冨安はその1期生だった。当時から身長が高く、フィジカルは際立っていた。加えて足元の技術も持ち合わせていた。「ボディコーディネーションに優れ、背は高かったが、小柄な選手のように動いていた」(パランコ氏)という。

バルサアカデミーでは各ポジションの役割を理解することに重きを置き、選手はほぼ全てのポジションでプレーする機会が与えられた。ボランチ中心だった冨安もさまざまなポジションにトライした。その一つがサイドバック(SB)だった。

「タケ(冨安)は長い距離を走れる能力があった。オーバーラップのタイミング、スペースの認識も高かった。スピードがあって、大きな歩幅でオーバーラップし、ドリブルからシュートに持ち込むことができた。彼の資質を生かすためのポジションだった」とパランコ氏は回想する。

当時バルセロナの右SBに君臨し、東京五輪のブラジル代表にオーバーエージとして参加するDFダニエウ・アウベスの名前を挙げ「一つのモデルだったのかも」とした。冨安はボローニャでCBだけでなく右SBも務めている。その素地はバルサアカデミーで育まれたのかもしれない。

「ボランチに置いたらブスケツのようにプレーし、CBならピケのようにプレーしていた。どのポジションでも役割をコンプリート(完遂)していた」という突出した才能だった。本人には話していなかったが、パランコ氏は冨安をバルセロナの下部組織に推薦した。だが、小学生をスペインに連れて行くことは困難で、実現には至らなかったという。

それでも19歳で海外移籍し、若くして日本代表の主力に定着。現在はイタリアを戦いの舞台としている。そう遠くない未来に、海を渡る運命だった。

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