炎上騒動を超えて――小山田圭吾、活動再開の背景にあった女性ファンの「集合的知性」

炎上騒動を超えて――小山田圭吾、活動再開の背景にあった女性ファンの「集合的知性」

  • 集英社オンライン
  • 更新日:2022/09/23

学生時代、障がい者に対して行っていた“イジメ発言”が大炎上し、2021年7月から音楽活動を自粛していたミュージシャンの小山田圭吾が活動を再開した。今夏はフジロック、ソニックマニアという2大フェスに同時出演。その異例ともいえる復活劇の背景と、一方的に切り取られた情報がネット空間で大炎上したプロセスを、批評家の片岡大右氏が3回にわたって検証する。

異例の措置による活動再開

昨年7月、東京五輪・パラリンピック開会式の音楽制作担当者の一人として小山田圭吾氏が告知されるや、ただちに学校時代のいじめをめぐる1990年代の雑誌での発言がSNSで取り沙汰されることとなった。そしてそれは度重なる報道を通していっそう広く周知されるに及び、ついには辞任を余儀なくされたことは、いまだ多くの人の記憶に新しいことと思う。

五輪だけではない。長らく音楽を担当してきたNHK Eテレの人気番組「デザインあ」は放送休止、音楽を提供したAmazonMusicの短編映画『アメガラス』は配信中止、メンバーを務めるバンドMETAFIVEのニューアルバムは発売中止、ソロプロジェクト「コーネリアス」としてのフジロックフェスティバルへの出演も見合わされるなど、小山田氏はこれを機に、あらゆる仕事を失ってしまった。

そんな小山田氏は、同年9月に『週刊文春』の取材(2021年9月23日号)に応じるとともに「いじめに関するインタビュー記事についてのお詫びと経緯説明」を発表、その概要については後に触れることとしたい。それ以降はしばらく沈黙を続けたものの、今年6月、音楽カルチャー誌『nero』創刊10周年を契機として、静かに活動再開の第一歩を踏み出した(最新号にコメントを寄せる傍ら、同誌特典のレコードのために新曲「Windmills of Your Mind」を提供)。

同誌編集長の音楽ライター井上由紀子氏は、小山田氏と小沢健二氏のデュオとして有名になったバンド、フリッパーズ・ギターの初期メンバーだ。やがて7月22日には、未だお蔵入りのままの映画『アメガラス』の主題歌「変わる消える」の音源がリリース、同時にMVも公開された。

そして何より、昨年降板を余儀なくされたフジロックフェスティバル(7月30日)と、同フェスとともに日本を代表する夏フェス、サマーソニックの前夜祭ソニックマニア(8月19日)への同時出演。2大フェス同時出演という別格の扱いを受けての復活は、音楽ファンにとっては喜ばしいものと言えるだろう。

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この異例の措置は、それぞれのプロモーター、スマッシュとクリエイティブマン両社の社長が「話し合って、2社でコーネリアスを応援したい」という意向を固めたことで実現されたのだという。およそ1年の自粛期間を経ての小山田氏の活動再開が、古くからの友人や音楽業界人の励ましあってのものだったことは明らかだ。

ファンたちの喜び、しかし……

ファンもまた、小山田氏の活動再開を温かく迎えた。

音楽ライター大久保裕子氏は、そうしたファンの一人として、復帰第一弾の現場となったフジロック、苗場のホワイト・ステージでのライブの印象を報告している

「Mic Check」――小山田氏の音楽の国際的成功の第一歩となった傑作アルバム『Fantasma』(1997年)の最初の曲――によるオープニングが「基本に立ち返るような心意気」を感じさせたこと、この1曲目の間中、ステージを覆う白い幕に流れる映像は「新しい未来のはじまりを期待させるような高揚感」に満ちていたと同時に、「今日は姿を見せずにこのままシルエットのみを照らし出した状態で演奏するのではないか?」との不安が胸をよぎったこと、そんな懸念を払拭するかのように幕が開き、いつもと変わらぬクオリティでライブが進むにつれ、「止まっていた時計がまた動き出すような感覚」を味わったこと……。筆者のように配信を通してライブに立ち会った者を含む数万人が、大久保氏が鮮やかに伝えるこうした感情の揺れ動きを共有していたはずだ。

筆者も現場に居合わせたソニックマニアについては、ライブ終了後の印象的な出来事を紹介しておこう。すべての演奏を終え、小山田氏と2人のサポートメンバー、ドラム担当のあらきゆうこ氏、ベース・キーボード担当の大野由美子氏の3人が、挨拶のため舞台中央前方に集まる。

コーネリアスというよりアイドルのライブにふさわしいとも思えるこうした応援スタイルがミュージシャン側に歓迎され、他の多くのファンにも快く受け入れられたところに、この1年間の小山田氏とファン双方の経験が凝縮されているという気がする。

音楽ライターのドリーミー刑事氏がライブ評の中でこの一件に触れ、そこに「まぶしいくらいに幸せな光景」を認めて、小山田氏とファンの間に「あのトラウマを乗り越えたからこその信頼関係」が育まれた証だとみなしているのには、筆者もまったく同感である。

関係者とファンに支えられ、騒動の大きさを思えば順調に活動復帰を進められたようにも見える小山田氏。しかしフジロック出演を報じる記事がYahoo!ニュースに掲載されるやいなや、コメント欄には少なからず不満の声が寄せられた。

たしかに、大きく報じられた辞任前後の情報がそのまま事実であれば(例えば『報道ステーション』のアナウンサーは、「いじめというよりは、もう犯罪に近い」とコメントした)、わずか1年後に巨大音楽イベントに出演できたことを時期早尚と思われても仕方がないのかもしれない。

こうした無理解の声がある中でも、小山田圭吾氏はなぜ、このように比較的早期に活動再開できたのだろうか。本稿はこの一件に関する基本的な情報と認識の共有を願って書いている。

小山田氏の弁明を孤立させなかったファンたちの奮闘

先述の小山田氏自身による「お詫びと経緯説明」(2021年9月17日)は、学校時代のいじめの一部を事実と認め、また問題とされた2誌――『ロッキング・オン・ジャパン』1994年1月号『クイック・ジャパン』3号(1995年8月)――での発言の軽率さを謝罪しながらも、前者の誌面に掲載された発言には深刻な誇張と歪曲が見られ事実そのままではないこと、しかも21世紀になって匿名掲示板やブログを通して広まるようになった雑誌記事の引用にはよりいっそうの問題があるのに、それらが報道のソースとされていることを説くものであった。

かつての「未熟な自分の在り方」への率直な反省を含め、全体を通しての誠実な調子は誰の目にも明らかだとはいえ、世の中は誠実な調子のもとに書かれた言い逃れや取り繕いの弁明で溢れている。それぞれの主張に根拠が示されているわけでもないことから、小山田氏の「お詫びと経緯説明」を後付けの言い訳とみなすのは1つの可能な選択だ。じっさい、今なおそのようにみなして片付ける人もいるのだろうとは思う。

しかし小山田氏の弁明は、決して孤立していたのではなかった。昨年7月後半の大炎上の直後から、彼のこうした発信が当然のものとして受け入れられるような環境が、徐々に整えられていた。

昨年9月の小山田氏の発信が正当に、また温かく迎えられた理由は何より、昨夏の巨大な騒動ののち、SNSや一部のウェブ媒体を通して熱心な情報修正の努力が、ファンや関係者によって続けられたことにある。

筆者自身は、岩波書店のnote上のメディア「コロナ時代の想像力」のために、昨年末から今年2月にかけて全5回の連載記事を発表した(「長い呪いのあとで小山田圭吾と出会いなおす」)。しかし遅れ馳せの総括と言える筆者の仕事に先立ち、騒動の直後から精力的に動いたのは一部のファンたちだった。

誰もが中心人物と目すのはブロガーのkobeni氏だ。ワーキングマザーとしての情報発信の傍ら、様々なポップカルチャー、とりわけ小沢健二氏をめぐる考察でも信頼を集めてきた同氏は、昨年8月から9月にかけ、この件の検証の成果を「その1.」、「その2.」と立て続けに発表し、年末にはウェブ上の放送局「DOMMUNE」の番組に出演して熱弁を振るった。

何より決定的だったのは、有志を募り「IfYouAreHere委員会」(名称の由来はコーネリアスの楽曲「あなたがいるなら」の英語タイトル)を組織して、詳細な検証サイトを立ち上げたことだ。

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if you're here. コーネリアスファン私設検証サイト 2021 ©︎IfYouAreHere委員会

もちろん同委員会の活動の周囲には、熱心にSNSでの発信を行い、あるいは自らはそうせずともそれらの発信を見守り支えた、数知れないファンたちの存在があった。とりわけ、女性ファンの存在が目立ったのは特筆に値する。

ポピュラー音楽と女性ファン

特にこの点を強調しておきたいのは、ロックをはじめとするポピュラー音楽を論じる際にはしばしば、女性ファンの存在が軽視されてきたという事実があるからだ。しかもこのことはまた、昨年ほとんど国民的な憤激を引き起こした1990年代の小山田氏の発言の背景とも関わっている。

「露悪的」と言わざるをえない当時の発言の背景には、「アイドル的というか、軽くてポップな見られ方」(『週刊文春』2021年9月23日号)を変えたいという気持ちがあったのだという。

90年代を元フリッパーズの2人やその周辺のミュージシャンのファンとして過ごしたkobeni氏は、昨年公開された英国映画『ビルド・ア・ガール』のレビューの中でこの小山田氏の釈明コメントに言及し、それを読んで感じたという「モヤモヤ、イライラ」をいたって率直に表明している。

『ビルド・ア・ガール』は、90年代英国の才気に満ちた少女が音楽ライターとなり、男性ばかりの編集部でセクハラやパワハラに直面しつつも奮闘する様を痛快に描いた作品だ。kobeni氏は、同作が浮き彫りにするかつてのUKロックシーンの「ホモソーシャル・マッチョイズム」に通じる何かが、同時代日本のロックシーンにもあったかもしれないと振り返り、小山田氏さえも(活動全体を見るなら、むしろ女性ファンや女性同業者を尊重していたと言えるにもかかわらず)、そうした悪しき文化から完全に自由ではなかったことを悲しむ。

男性ミュージシャンに歓声を上げる女性ファンは、だからといって音楽を聴いていないわけではないし、自らの感動について大いに語るための言葉を持っていることも珍しくはない。「女のファン=わかっていない、なんて思わないで欲しい」、そのように厳しく願いながらも、kobeni氏はソロデビュー後の果敢なイメージ再構築の努力の中でなされた小山田氏の過失を、挑戦ゆえの失敗として受け止め、穏やかに反省と再起を促す。

kobeni氏に限らず、そして男性たちも含め、騒動のさなかでつながり合った小山田氏のファンはこうした懐の深さを共有しつつ、ひとまとまりの力となることで、確実に状況の変化を促すことができた。

一連の動きは、男性アーティストの女性ファンダム(ファン共同体)の復権という観点からして意義深いものであると同時に、メディア学者ヘンリー・ジェンキンスがファンダムの機能として論じた「集合的知性」(『コンヴァージェンス・カルチャー』晶文社、2021年)の、限定的であっても相当に見事な実現とみなすことができるだろう。

この「集合的知性」を通して何が確立されたのか。次回はその成果を概観する。

文/片岡大右 写真/shutterstock

小山田圭吾が炎上した“イジメ発言”騒動。雑誌編集部の「人格プロデュース」は罪か? に続く

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