
『VIVANT』©TBS
TBS日曜劇場で放送されていた連続ドラマ『VIVANT』が最終回を迎えた。
参考:『VIVANT』が描いた大きな愛 往時のテレビのあり方を彷彿とさせる視聴者参加型ドラマに
『華麗なる一族』や『半沢直樹』といったTBS日曜劇場のヒット作を手がけてきた福澤克雄が原作・チーフ演出を務めた本作は、豪華キャスト陣と、モンゴルロケによるスケール感のある映像が話題を呼び、日本のプライムタイムで放送されるTVドラマとしては破格の映像作品に仕上がっていた。
物語は、丸菱商事に勤める乃木憂助(堺雅人)が、誤送金された多額の契約金を取り戻すために中央アジアにあるバルカ共和国へ向かう場面から始まり、やがて公安警察と自衛隊の秘密部隊・別班が、日本を狙うテロ組織・テントを追う姿が描かれるようになる。
別班の工作員という裏の顔を持つ乃木は、テントの動向を探るうちにリーダーのノゴーン・べキが生き別れとなった父・乃木卓(役所広司)であることを知る。
父に会いたいと願う乃木は、任務でテント幹部のノコル(二宮和也)と接触した際に、別班の仲間を裏切り、その場で射殺、その後、ベキの実の息子だと名乗り出て、テントに潜り込むが、射殺したはずの仲間たちが生きていたことが後に判明。実は乃木は、別班を裏切ったふりをしてテントの内状を探っていた。
テントの真の目的がバルカの孤児救済で、べキたちが進めているフローライト(蛍石)の採掘が可能になれば、資金調達のためにテロをおこなう必要がなくなると知った乃木は、別班の立場から改めてテントに協力し、採掘権を横取りしようとするバルカ政府との交渉の場に、ノコルたちと立つ。その後、ノコルの親友で共同出資者だったゴビ(馬場徹)が、政府に寝返り、情報を漏らしていたことが判明。このままでは採掘権を政府に奪われると知った乃木は、公安警察の野崎(阿部寛)に協力を要請。テント解散とべキの引き渡しを条件に、公安は動き、バルカ政府側に付いていた日本大使館大使の西岡英子(檀れい)とバルカ警察のチンギス(Barslkhagva Batbold)を味方につける。
最終話はこれまでに『VIVANT』に登場した敵・味方が一堂に会するグランドフィナーレとなっていた。
フローライトの採掘権をめぐる国と企業の政治的駆け引きは、『半沢直樹』などの日曜劇場のドラマで描かれてきた、ビジネス上の戦いをスケールアップしたものとなっており、とても日曜劇場らしいクライマックスだったと言えるだろう。
スケールの大きな映像と冒険活劇に、これまでの日本のテレビドラマにはなかった可能性を感じていた立場としては、スケールダウンしたようにも見えるが、そもそも物語冒頭で広大な砂漠をスーツとネクタイで歩くいかにも日本のサラリーマンという風貌の乃木が登場させた時点で、日曜劇場的な企業ドラマと冒険活劇を融合させることで新しいドラマを作りたいという願いが作り手にはあったのだろう。
世界を動かしているのは経済活動であり、商談による利害調整の先にしか、価値観の違う他者との共存は成立しないというビジネスマン的な価値観が、日曜劇場で作られてきた企業ドラマには存在しており、だからこそ多くの日本人に支持されるドラマコンテンツへと成長した。
その「日曜劇場イズム」を日本人の美学として昇華したのが、フローライトの採掘権を獲得するために、これまで敵対していた仲間たちが一致団結する姿だったのだろう。
この採掘権をめぐる戦いだけで本作が終わっていれば、見事な大団円である。だが、そこで終わらないのが『VIVANT』の奥深さである。
交渉を成功させたベキは、幹部のバトラカ(林泰文)、ピヨ(吉原光夫)と共に、公安に投降し、日本へ搬送される。しかし、3人はテントのモニター(工作員)だった公安の新庄浩太郎(竜星涼)の協力で逃亡。ベキの真の目的はバルカで乃木家を見捨てた元・公安部外事課長で現・内閣官房副長官の上原史郎(橋爪功)への復讐だった。
ベキの真意を知った乃木は暗殺を阻止するために3人を銃で射つ。しかしベキの銃には弾が込められておらず、息子の憂助が自分たちを止めることを見越しての凶行だった。
国と家族の間で引き裂かれ「どちらを選ぶべきか?」と憂助は苦しんだが、それは父親のベキも同じだった。フローライト採掘をめぐってベキの葛藤は解消されたように見えたが、妻を失った悲しみと復讐心は最後まで消えなかったのだ。
国や組織のためではなく、亡き妻のために凶行に及んだベキに行動はとても私的な振る舞いで、息子の憂助に自分を殺させることも含めて、極めてエゴイスティックな決断だと言える。それは決して許される行為ではないが「人は簡単に変わることはできないよなぁ」と彼の結末に、どこか納得している自分がいた。
最後の最後で彼は、テントのリーダーのノゴーン・ベキとしてではなく、乃木卓として死のうとした。日曜劇場的な団結と対比する形で描かれた私的な復讐の悲しい末路は、国と家族の分裂を描き続けてきた『VIVANT』らしい結末だったと感じる。
(文=成馬零一)
成馬零一