うつ病、覚醒剤依存、彼氏のDVで夜逃げを繰り返す母親。就学前から「ヤングケアラー」だった息子を支えた「僕が一番」

うつ病、覚醒剤依存、彼氏のDVで夜逃げを繰り返す母親。就学前から「ヤングケアラー」だった息子を支えた「僕が一番」

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  • 更新日:2023/01/25
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※写真はイメージです。本文とは関係ありません

ここ数年、家族をケアする子ども、「ヤングケアラー」がメディアで頻繁に報じられるようになった。しかし、言葉そのものが独り歩きするかのように、身体的な介護や家事労働に時間を取られ、学校に通えない子どもといったイメージが固定化しがちではないだろうか。実際には、そのどちらもしていないケースもあれば、鬱病や薬物依存の親をケアしている子どももいる。

大阪・西成地区を始め、子育てや看護の現場でのフィールドワークで知られる大阪大学教授の村上靖彦さん(専門は現象学)は、こうした社会一般のイメージと現実との乖離を危惧し、ヤングケアラー経験者へのインタビューを重ねてきた。そして、その「語り」を丁寧に分析し、当事者が抱える困難の本質、その多様さを掘り下げた。村上さんは、介護や世話の前に、まず、家族を心配し気づかう子どもという視点で捉えている。ここでは、著書『「ヤングケアラー」とは誰か――家族を“気づかう”子どもたちの孤立』(朝日選書)から一部抜粋・改変し、かつてのヤングケアラー・ショウタさんのケースを紹介する。

ショウタさんは、インタビュー時、20代後半の会社員。ひとり親家庭の一人っ子として、自身が小学校に入る前に深刻なうつ病が再発し、覚醒剤依存にも陥った母を支えた。1週間寝込む、自分に包丁を突き付ける、交際相手から暴力を受ける――。そんな母からは目が離せない状況が続いた。中学3年生のとき、警察の「ガサ入れ」を警戒して部屋に転がっていた注射器を隠し、にもかかわらず、その翌日に訪れた警察に母親が逮捕されるという経験もしている。転居を繰り返したのちにたどり着いた大阪・西成で“居場所”を見つけていくショウタさん。しかし、高校2年生のとき、母親は亡くなった。

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■繰り返される転居

このあと紹介する語りのなかで登場する、「〔母親は〕僕が一番には思ってくれてた」という言葉は、ショウタさんの大きなモチーフである。私の投げかけは「お母さんは終始、ショウタさんの味方」だったのだが、彼は「一番」という最上級を導入している。ショウタさんは、母親が彼を「一番」に思うという言葉を何度か用いた。これは彼を支える最も大きな要素となっている。ショウタさんが母親を心配することは、母親が彼を一番に思ってくれたことと対(つい)を成している。

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【村上】転校もしたの? 引っ越したときって。

【ショウタさん】X区内で引っ越したときは転校しなかったんですけど、〔小4で〕夜逃げしたときは西成辺りに逃げてきたんですね。そのときは転校しましたね。

いつからか、あんまり定かではないんですけど、母親が薬をやってて、いわゆる覚醒剤ってやつをやってたんですけど、母親は僕に隠すじゃないですか。「やってる」なんか、よう言えんから。でも、隠語を使うんですよね。アンパンとか、ジャムとか、ジャムパンとか言ってた。でも、分かるんですよね。そういう言葉を使っても、なんか『そういうのやってんな』って、小学生ながらに気づいてはいたんですけど。だから、さりげなく、学校で「こういう薬のこと学んだで」みたいなことを母親に言うと、結構、動揺するんです。子どもながらに知ってた。

薬関係の人と関わるってなると、やくざじゃないですか。だから、夜逃げしたときも逃げた先がやくざの人たちやったし、何ていうんかな。やくざの人たちはやくざの人たちで、悪い人たちなんですけど、一応、人情があるっていうか。「子どもと女には手を出すな」みたいな人たちって結構、いるので。一応、保護はしてくれるみたいな。だから、西成のほうに越してきたんです。
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寝込むという<静>はうつ病とリンクしており、夜逃げする<動>は薬物とリンクしている。冒頭の「夜逃げ」の話題から唐突に「やくざ」の話題に変化したように見えるが、引用の最後で、夜逃げの理由が覚醒剤と関わるがゆえに、かつて暴力団と覚醒剤売買が多かった西成に転居することになったと説明される。彼氏が「やくざ」であるだけでなく、逃げる先も「やくざ」になる。つまり母親の人間関係のネットワークが「やくざ」のなかに閉じ込められている。

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【村上】そうなんですね。西成にいらしたのは何年生のとき。

【ショウタさん】小学校4年生のときにX区から出たので、そっから転校して、ちょっと半年から1年ぐらいは通ってはいたんですけど、そっから全く通わなくなったですね。

【村上】お母さんのこと心配だからってだけでもなくて。

【ショウタさん】『心配だから』っていうのもあるし、『勉強についていかれへん』っていうのもありますね。その頃は学校に行くとなると、おなかが痛くなるような症状もあって、学校に行けなかったですね、その頃。1回、また引っ越したんです、西成区から。どこの地区か忘れたんですけど、引っ越して。どこの地区やったかな。また小学校転校して、その小学校はちょっと通ってた、半年ほど通ってたんですけど、母親がまた彼氏できて、その彼氏とここの家に住んでたんですね。でも、その彼氏も厄介で、母親は僕のことが一番やと思ってくれてるのを、それに嫉妬して、包丁差し出してきて。僕は刺されそうになって、警察ざたになったんです、また。

【村上】何じゃそれ。

【ショウタさん】それが小学校6年生ぐらいのときかな。裸足で外に逃げ出したの覚えてますね。騒動ってか、警察ざたになって、その人も捕まったんですけど。
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この語りははじめ時期があいまいで、だんだんと小学校6年生のときの場面だと特定されていく。「僕のことが一番やと思ってくれてる」という母親の思いがショウタさんを支えていたのだが、母親の彼氏からの暴力というトラブルも引き起こす。そして暴力ゆえに転居することになり、これが不登校の理由の1つともなる。

暴力が登場する場面では、「裸足で外に逃げ出した」ような慌ただしいドタバタした描写が反復される。子ども支援の現場では、頻繁な転居はしばしば危機のサインと受け止められる(例えば虐待死は頻繁な転居をともなうことも多い)。しかしショウタさんたちの場合は、支援とつながり続けることができている。今まで「~けど」で母親をめぐる病やDVのさまざまな様子が示されてきたが、その最後の帰結として、このあとセーフティネットの町である西成に落ち着いたのだ。ショウタさんと母は「やくざ」が多かった西成区から転居し、そして福祉が充実した町でもある西成区に再度戻ってきている。同じ西成区でも母親の人間関係のネットワークが「やくざ」から支援者の多職種連携へとここで変化している。小学校、生活保護のケースワーカー、そして西成に来てからは学校や、のちにはこどもの里のサポートがある。転居が重なってもサポートを受けられたことは、力であり大事な要素だ。こうして頻繁な転居が停止する。

■不登校の理由

夜逃げのテーマと同時に、不登校のテーマが登場した。

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【ショウタさん】そっから、僕もなかなか、そのときは越してからも学校は行ってたんですけど、『なかなか母親が目離せないな』ってときに休んだりとかして、学校の勉強にもあんまりついていかれへんし、クラスにもあんまり、馴染めてはいたかな。馴染めてはいたんですけど、なかなか行けない。

【村上】どのくらい休まなきゃいけなかった?

【ショウタさん】あんまり学校自体がそんな好きじゃなかったんですけど、小学校4年生ぐらいまでは、学校には一応、通ってたんですけど、それでも。でも、小5ぐらいから全く行かなくなった、学校に。

母親の不調・転居と連動した不可避的な帰結として不登校が選ばれている。ここで「なかなか~ない」が3回登場し、母親から目が離せないので学校に行けなくなるという状況への閉じ込めが際立ってくる。「母親が目離せない」ことと「学校の勉強」についていけないことが、ここでは不登校の理由として挙がっている。これより前に、「おなかが痛い」ことも本人の語りのなかで挙げられていた。
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さらに、インタビュー後半で振り返ったときに、もう1つの不登校のきっかけが語られた。

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【ショウタさん】小学校高学年のときに一回、母親が、うつがひどくなって、病院に入院してたときがあったんですけど、その病院も結局、やぶ医者やったんですけど。入院してるあいだに児童相談所に行って、3カ月ぐらいいたんですね。小学校何年生かな。3、4年生ぐらいのとき。3年生かな。ぐらいのときに行って。

帰ってきて、母親と一緒にまた住むようになって。学校行ったら、「あいつ3カ月もずる休みしとったで」みたいなこと言われて、『えっ』て。『なんで先生、なんも説明してくれてないの?』みたいな。『別に俺、ずる休みちゃうんやで』みたいな感じで。

そういうのもあって、学校通いづらくなりました。『学校行っても、勉強分からへんし。母親はうつひどくなったら、しんどくなるしな』って。『だったら、家おったほうがいいわ』って。でしたね。
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いつ母親が入院してショウタさんが一時保護になったのかという日付はあいまいだった。ともあれ、一時保護は母親からも学校からも離れた状態である。転校と同じように強制的にもとの学校から遠ざけられる。この場面でも、ショウタさんが淡々と語っていたが、先生が味方をしてくれなかったという理由が語られた。母親から目が離せない、勉強についていけない、おなかが痛い、学校が味方してくれない、と不登校の背景にはこれら複数の事情が重層的に重なっている(斎藤環『改訂版 社会的ひきこもり』PHP新書、2020、115頁)。

■母親の理不尽な怒り

さて、不登校のなかでのヤングケアラーを描写した語りと並行して登場するのが、母親にとって「自分が一番」ということと同じくらいショウタさんにとって大事な母親の特徴である。

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【村上】じゃあ、その頃ってもう、おうちのこと全部、やってた感じなんですか。家事とか。

【ショウタさん】ご飯炊いたりとか、洗い物するぐらいはできたんですけど、掃除とかになると、汚いまんまやったから、普通にゴキブリ出るしみたいな感じでしたね。母親が寝込んで起きたときに、片付けてなかったら、めちゃくちゃ怒るんですよね。多分、精神的にしんどいでしょうね、起きて。起きたときに汚かったら。『しゃあないかな』って、今、考えたら思いますね。

【村上】多分、「今、考えたら」って、さっきもおっしゃってたと思うんですけど、今、振り返ると分かるけども、お母さんの気持ち。分かるけども、ちっちゃい頃って。

【ショウタさん】ちっちゃい頃は結構、理不尽なことで怒られることが多くて。例えば、母親がものすごい怒ってるときがあって、僕は別になんも感じてないから、なんも思わないじゃないですか。普通に過ごしてるじゃないですか。やのに、母親が、「私が怒ってんねやから、おまえも怒れよ」みたいな。『何を言ってんやろ、この人?』って。めっちゃ怒るんですよ、それで。「いや、俺、関係ないやん」とか。
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ヤングケアラーというテーマが念頭にあったので、私は家でどのような手伝いをしていたのかを尋ねた。それに対してショウタさんは、母親から「理不尽なことで怒られる」というモチーフを語った。この理不尽な怒りがインタビュー後半で明かされたことにも意味があるだろう。語りの前半ではうつ病の母親への心配と、母親が「~くれてた」という母からの気づかいがメインテーマだったのだが、母の怒りによって経験が重層化される。

2つのことが言える。ショウタさんはまず、母が「めちゃくちゃ怒る」と語った。インタビューのあいだ、冷静な語りと「今、考えたら」という回想のモードが何度も登場することが気になっていたので、私は「振り返ると分かるけども、〔中略〕ちっちゃい頃って」と尋ねた。そこで「理不尽」な怒りのテーマが登場する。子どもの頃はわけがわからず「めちゃくちゃ」怒られる体験だったものは、今から意味づけすると「理不尽」である。母親を「理不尽」と意味づけするときには、「〔母はしんどい人だったから〕しゃあないかな」と振り返って理解する眼差しと二重化される。

「めちゃくちゃ怒る」から「理不尽」へ、そして「しゃあないかな」へとあとから意味づけし直されるのだ。これからの引用のなかでも何度か「今、考えたら」「今、考えると」と振り返りながら意味づけを更新する語りが登場する。この言葉がインタビュー後半に登場したことも、意味づけの更新を図るプロセスとリンクしている。言い換えると、渦中にあるヤングケアラー当事者にとっては、語りにくい思いや理不尽さがあるということだろう。

もう1つは、「私が怒ってんねやから、おまえも怒れよ」というとき、母親はショウタさんを自分と地続きにある一体のものとして見ていたのだろうということだ。母親の感情の動きには何かのロジックがあって、ショウタさんはそれと一体化することを求められている。そして一体化できないときには理不尽に怒られる。

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【ショウタさん】結構、そういう理不尽で怒られることが多くて、『何なん?』みたいな感じやったんですけど。それでも、母親は彼氏を取らずに、僕を取って夜逃げしてくれたりとか、何やかんやあっても、僕が一番っていうふうに考えてくれていたから、そこは助かったっていうか、そこがなかったら、もっと僕はしんどくなってたんじゃないかなって思うんですよね。だから、母親は好きやったし、一緒に暮らしたかったし。母親から引きはがされるのも、すごく嫌いだったし。
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ショウタさんのなかで「理不尽」な母親の怒りよりも、直接「母親は好きやったし、一緒に暮らしたかった」という思いが勝る(「母親から引きはがされるのも、すごく嫌いだった」という強い表現の背景には、小学校の頃、家庭の状況を知った教師が、母親と同居しないほうがいいのではないかとショウタさんを保護しようとしたという出来事があった)。理不尽と好きという2つの思いがこの語りを貫く軸となっている。母親の理不尽さは、母親がショウタさんへと一体化していたがゆえにずれが生じたときに起こったからだ。翻って「僕が一番に」という愛情は、ショウタさんからみた母親による彼への一体化の姿だ。

さらにこの「僕が一番」について「そこがなかったら、もっと僕はしんどくなってたんじゃないかなって思う」と現在から振り返ることで、今自分自身が肯定的に生きていることの理由をこの場面に求めている。

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