「多様性」の大きな勘違い。ドイツと日本にルーツを持つ筆者が感じる理不尽さ

「多様性」の大きな勘違い。ドイツと日本にルーツを持つ筆者が感じる理不尽さ

  • ライフハッカー[日本版]
  • 更新日:2022/06/23
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『ほんとうの多様性についての話をしよう』(サンドラ・ヘフェリン 著、旬報社)の著者は、日本人の母とドイツ人の父を持ち、日本在住は20年以上になる人物。「日本人でありドイツ人でもある」という立場から、ハーフ、多文化共生をテーマに数々の著作を送り出しています。

私が日本で「父がドイツ人で、母が日本人です」と自己紹介をすると、「あ、ドイツの方なんですね」と返されることがよくあります。

じつはこれがちょっぴり不満なのです。というのも、厳密に言うと、私の場合、ドイツにルーツがあるというより、ドイツにもルーツがあるからです。

日本にもルーツがあるし、ドイツにもルーツがある。だから細かいことのようですが、私はドイツにもルーツがあるという、この「も」にこだわっています。(「はじめに」より)

「多様性」「ダイバーシティ」などのことばが広まっているとはいえ、まだまだ実生活レベルでは浸透しているとはいえないことを、このエピソードは感じさせてくれます。

多様性というと「いろんな国の人と交流をすること」「外国人と交流すること」と単純に捉えがちです。(中略)でも、日常生活における多様性は、もっと違うものです。真の多様性とは「相手がどんなことに興味があって、どんなことにないのか」をしっかり見て、考えることであり、外国にルーツがある知るやいなや質問攻めにすることではないはずです。(「はじめに」より)

こうした考え方に基づいて書かれた本書のなかから、きょうは3章「『多様性とはすべてを受け入れること』ではない」に焦点を当ててみたいと思います。

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「外国人 vs. 日本人」はもうやめよう

さまざまなルーツを持った人が暮らす日本の社会は、実質的に多様化しているといえるでしょう。しかし、そうであるにもかかわらず、世の中の価値観はまだまだそれに追いついていないと著者は指摘しています。そもそも、もはや昔のように「外国人 vs. 日本人」と明確に分けることには無理があるわけです。

たとえばプロテニス選手の大坂なおみさんは日本人ですが、お父さんが外国人です。私自身も日本人だけれど、父親は外国人です。このように、日本国籍を持つ日本人であるけれども、家族に外国人がいる人はどんどん増えているわけです。

そういった中で「分かりやすいのが一番」とばかりに、外国人と日本人を分けることを優先してしまうと、「とりあえず外国人に見える人が外国人である」というように、見た目で外国人とふり分けられてしまうという問題が起こります。(88〜89ページより)

したがって、いままで「日本人としてこれが正しい」とされてきた考え方も、少しずつ変えていく必要があるということ。

もちろん、日本人であることを誇りに思うのはいいことです。しかし、ここでいう“日本人”を「家族に外国人がひとりもいない日本生まれ日本育ちの人で、見た目も日本人風の人」に限定してしまうと、“日本国籍を持つ日本人だけれど、家族に外国人がいる人”はそこからはみ出てしまうことになります。それは理不尽なことであり、時代に即していないことでもあります。

だからこそ著者は、「日本人のなかに『多様なルーツを持つ人』も入れてほしい」と訴えているのです。外国人であるか日本人であるかを確認する必要のない場面では、「外国人 vs. 日本人」というように“はっきり区別してわかりやすくすること”はやめてほしいのだとも。(88ページより)

「自分が何人(なにじん)か」は、自分で決める

日本人だけれど外国にもルーツのある人、つまり日本と外国との「狭間」にいる人は、「自分は何人(なにじん)なのか」と悩むことがあるそう。

とくに、2011年の東日本大震災や今回のコロナ禍などの「非常事態」のなかではマイノリティに厳しい目が向けられやすいことを、著者は当事者として実感したといいます。多くの人が追い詰められている状況においては、「都合がいいときだけ日本人」というようなことをいわれがちなのでしょう。

本人が自分の頭と心と相談しながら「自分は何人なのか」と自らのアイデンティティについて考えるのは、「苦しくも自由な時間」です。

でも周囲から「あなたが自分のことを日本人だというのなら、ちゃんと日本人らしく、こういう行動をしなさい」と言われてしまった結果、周囲の期待に沿った生き方をするのは、自由だとはいえません。(93ページより)

外国と日本の両方にルーツのある人は、「自分は何人(なにじん)か」と考える前に、周囲の人から「やっぱり外国人だよね」とか、「やっぱり日本人だよね」と、そのときどきによっていろんな枠に入れられてしまいがち。

とはいえそんななか、「アイデンティティのことは自分で決めたい」と感じても、それはおかしいことではありません。だからこそ私たちも、「何人(なにじん)であるか」ということに必要以上に執着すべきではないように感じます。(90ページより)

誤解や衝突はあって「当たり前」

多様性ということばには、「みんながみんなを互いに受け入れるやさしい世界」というようなイメージがあるのではないでしょうか。確かに、最終的に目指すべきがそうした「やさしい世界」であることは間違っていないでしょう。

とはいえその過程では議論があり、衝突があり、「いつもみんな仲よく」とはいかないこともあるはず。

日本でも、多様性に行きつくまでには、受け入れる側(日本人)にとっても、新しく日本にやってくる外国人にとっても、「道のあらゆるところに、いろんな大きさの石がゴロゴロしている」状態です。

その石につまづいたり、たがいに衝突するのはいわば「当たり前」。そういったことを「想定内のことだ」として、余裕で受け止める心がまえが大切なのではないでしょうか。(117〜118ページより)

新しく外国人が日本にやってくることで、双方(外国人側と日本人側)がカルチャーショックを感じることになるのは当然の話。話がかみ合わなかったり、誤解が生じたりしても、それは特別なことではないわけです。

大切なのは、「文化が違うのだから、やっぱりわかりあえない」とあきらめるのではなく、「文化が違うのだから、誤解や衝突はあって当たり前。時間をかけて、ゆずれるところとゆずれないところを互いに交渉していこう」という心がまえを持つことなのです。(116ページより)

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残念ながら世間には、「国籍はひとつのはず」「人間のアイデンティティはひとつのはず」というような認識がまだまだあります。しかし、複数の国にルーツを持つ立場からすれば、それは理不尽なものであるわけです。そして私たちは、その理不尽さをきちんと受け止める必要があります。そこで本書に目を通し、本当の意味での多様性を理解すべきではないでしょうか。

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Source: 旬報社

印南敦史

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