東日本大震災から10年へ...変わりゆく陸前高田で災害FMパーソナリティは何を語り続けたのか《実録ドキュメンタリー》

東日本大震災から10年へ...変わりゆく陸前高田で災害FMパーソナリティは何を語り続けたのか《実録ドキュメンタリー》

  • 文春オンライン
  • 更新日:2020/11/21

東日本大震災から数年。変わりゆく町のなかで、日常を見つめ、こぼれ落ちそうな音を拾い上げる人がいた。岩手県陸前高田市で撮影されたドキュメンタリー『空に聞く』(11月21日公開)はそんな静かな感動に満ちた映画だ。監督は、震災後に東北に移住し町の変化を記録してきた小森はるか。陸前高田で一軒の種苗屋を営む佐藤貞一さんにカメラを向けた前作『息の跡』と同時期に撮影した新作『空に聞く』では、震災後に開局した「陸前高田災害FM」で約3年半パーソナリティを務めた阿部裕美さんの姿を追う。この驚くべき作品がどのように生まれたのか、小森監督にお話をうかがった。

【画像】ドキュメンタリーの場面シーンを見る

No image

小森監督

町なかでは聞こえてこない声が聞ける番組

――まずこちらも本当に素晴らしい作品である前作『息の跡』とのつながりについて聞かせてください。時系列としてはどのように2作品を撮っていったんでしょうか。どちらも震災後の陸前高田で出会ったある人物を、時間をかけて追った作品ですね。

小森 『空に聞く』の撮影が始まったのは2013年の1月からで、『息の跡』の佐藤貞一さんを撮り始めたのもほぼ同じ時期です。その時期から、私も陸前高田に暮らしながらちゃんと作品をつくりたいと考えるようになり、そこで撮らせていただきたい人として浮かんだのが佐藤さんと阿部さんでした。はじめはもう少し何人か撮らせてもらおうと思っていたんですが、結果的にお二人をずっと撮り続けることになりました。本当は2作品にするつもりではなかったんです。でも撮影していくうちに、これを一つの作品にまとめるとお二人を対比するように見せてしまう気がして、まずは佐藤さんを主人公にした『息の跡』を完成させました。

――『空に聞く』は元々阿部さんを撮ろうと考えていたんでしょうか。それとも陸前高田災害FMへの取材という形で考えていたのが、結果的に阿部さんが主役になっていったのでしょうか。

小森 最初から阿部さんを撮りたいという気持ちが大きかったですね。阿部さんという人がいたからこそ陸前高田災害FMを撮りたいと思ったし、撮影を続けていくなかでその思いはより明確になっていきました。やっぱり阿部さんの思いが強い局だったと思うんです。お年寄りの方々の人生語りを聞く番組とか、障がい者の人たちがパーソナリティになって話す番組とか、情報だけではなく、普段の町なかでは聞こえてこない声が聞ける番組として注目されていたし、私自身もそれこそがおもしろいと思っていました。

――阿部さんはラジオパーソナリティの経験はなかったんですよね。

小森 そうですね。震災前は夫婦で和食屋さんを営まれていたんですが、店が津波で流されてしまい、旦那さんは内陸の方で働かれて、阿部さんは高田に残って仕事を探していたところ、災害FMの募集がありラジオの仕事を始めたそうです。

――阿部さんの、対話をしているうちにいつのまにか相手の語りを引き出していく姿を見て、人の話を聞くってこういうことだよな、とハッとしました。小森さんもやはり阿部さんの「聞く」姿勢に惹かれたのでしょうか。

小森 そこに惹かれたというのはたしかにありました。あの頃、震災によって失われたものはあまりにも多く、だから阿部さんは人々の語りのなかにある町の記憶やそこにいた人々の話を聞きたかったんじゃないでしょうか。町の人たちもまたそれを求めていたはずです。

震災の記憶、復興で変わる町…その間をつなぎ止めていたもの

――映画では、FM局での仕事風景と、数年後に阿部さんが当時のことを振り返るインタビュー映像とが一緒に構成されています。これは、小森さんが再び阿部さんにお話を聞きに陸前高田を訪ねたときの映像ですよね。

小森 はい。2015年に阿部さんはパーソナリティの職を離れられたんですが、それは私にとっても突然のことで、作品に仕上げることはほぼ諦めてしまいました。まだ全然撮れていないという思いが大きくて。気持ちが変わってきたのは、3年程経って和食屋「味彩」を再開されてから。思い返してみると、阿部さんがパーソナリティをしていたのは、震災から少し時間が経った一番曖昧な時期でした。震災の記憶がまだ強く残っている一方で、嵩上げ工事が行われ、復興に向かって町がどんどん変わっていく。その間をつなぎ止めていたのが陸前高田災害FMだった。あのときあの番組があったから、みんなも新しい町での暮らしに向かっていけたのだと改めて思いました。そういうことを私自身も忘れてしまいそうな気がして、もう一度当時の話を聞きたい、嵩上げした土地で阿部さんが始めたお店で話を聞きたいと思うようになり、2018年に改めてインタビューをしました。それを機に以前の素材を見直すことができ、阿部さんの言葉と一緒に編集していきました。

――インタビューをしたことで、映画が再び動き始めたわけですね。

小森 阿部さんは当初、これは陸前高田災害FMの記録で、自分が主役の映画になるとは考えていなかったと思います。私自身、こういう映画になるとは想像していなかったし。やっぱり2018年にインタビューをしたことが大きかったんですね。ラジオ・パーソナリティとしての阿部さんの仕事は、ただ内容や情報を伝えたいというだけでなく、生活音や環境音とか、普通ならノイズになるような音をこそ聴かせたいという気持ちが強かったと思うんです。祭の音だけでも聴いてもらいたいとずっと流していた番組だったり、黙祷放送に関しても、録音ではなく生放送で、音だけでどう伝えるかという意図が強くある放送だった。私自身もそこに惹かれていたんですけど、そういう思いって収録場面を撮っているだけではなかなか伝わらない。阿部さんがどんな思いで放送していたのかを語る言葉を撮らなければ、と思うようになったんです。

そこに人がいるんだ、ということがあの時期すごく重要だった

――七夕祭りのシーンは映画を見ていてもすごいなと感じました。取材をする横で周囲の音がずっと鳴っていて。ああいうノイズも自然音も全部拾ってしまうのがこの番組だったんだろうなということが伝わってきました。

小森 番組では12時間くらい生放送を続けていたんです。ちょっと考えられないですよね(笑)。でもこれが嵩上げ前の元々の地面でできる本当に最後のお祭りだからという思いがあってこその企画で、番組を聞いている人たちも、ラジオから聞こえてくるいろんな音に安心していた部分があったんじゃないでしょうか。阿部さんはラジオを聴いている人に「あなたは普通のパーソナリティみたいにぺらぺらぺらっと喋るんじゃなくて、つっかえたり間違えたりするからいいんだよ」と言われたそうです。そこに人がいるんだ、ということがあの時期すごく重要だったんですよね。どこに誰が生きているのかわからない、という状況が続いていたなかで、この町にいる人たちの声や生活のいろんな音が聞こえてきて、一人じゃないなと思える。阿部さんがつくっていたのは、そういう番組だったんだと思います。

「いろんな人の視点が混ざっても映画って成り立つんだな」

――撮影は小森さんと福原悠介さんのお二人がクレジットされていますが、実際の作業分担はどのように行われたのでしょうか。

小森 基本的に私が一人で撮影をしているんですが、インタビューのところだけ福原さんに撮ってもらいました。あのときは私が聞き手をしていたので。

――編集もお二人の名前がクレジットされていますね。『息の跡』では、一度映画祭用につくった編集版があり、その後公開用に再編集した際に秦岳志さんが作業に加わったとうかがいました。今回はどのように編集をされたんでしょうか。

小森 まず私が編集をして、ある段階になったら福原さんに見てもらい、その意見をもとにもう一度編集をする、ということを繰り返していきました。一人で編集をするってあんまりよくないんじゃないか、と『息の跡』のときから思うようになって。

――具体的にどういうことなんでしょうか?

小森 いろんな人の視点が混ざっても映画って成り立つんだなと思ったんですね。『息の跡』の編集では、私だったらこうはしないのにな、と思っていた部分が、スタッフのみんなはいいと言ってお客さんもすごく印象に残ったシーンとして挙げてくれる、ということが何度かあって。そういうやりとりをしながらつくっていくのは面白いし、自分の作品はそういうものであってほしいなと思うようになったんです。

――映画に必要なショットはあまり悩まず決めているんですか。

小森 構成は最後までなかなか決まらないですけど、どこを使うかはあまり悩まないかもしれません。このシーンが生きるように編集したいとか、そこから考え始めることが多い気がします。それは私が自分で撮影しているからかもしれませんね。

――では編集の段階で人の意見を聞くのも、構成の仕方について、ということですか。

小森 それが大きいと思います。私は論理的に思考するのがすごく苦手で、こう見せるためにはどう並べるか、いつも悩んでしまうんです。

――今回は特にいろんな種類の映像があって、並べ方にも悩まれたんじゃないですか。

小森 悩みましたね。嵩上げした上の町に住んでいる阿部さんがFMで働いていた時期を振り返って話してくれたわけですけど、そこから当時の映像をどうつなげたらいいのか。わかりやすく現在/過去として見せたくもないし、かといって、阿部さんの話に出てきた場面はこれです、といった説明的な見せ方にもしたくない。あっちを思い出したりふいにこっちを思い出したり、人の記憶のように見せたかった。それにはどこを起点にすればいいのかすごく悩みました。現在からスタートするのか、それとも阿部さんがラジオをやっていた場面から始めるのか。いろんなパターンを試したうえで、最終的な形ができあがりました。

――阿部さんが陸前高田に暮らす村上寅治さんにインタビューしている場面では、阿部さんが最初に雑談をしながら「もったいないからもう録りますね」とマイクのスイッチを押す場面も映りますよね。本番の始まる前の瞬間って普通なら目にすることがないし、本当に素晴らしいなと思いました。

小森 始まる前の時間とか、終わった後の時間ってすごく好きなんです。持続している時間がふっと切れる瞬間にそこにいる人たちの関係が見えてくる気がして。阿部さんと寅治さんは、あの収録のあとどんどん仲良くなっていったんですが、初めて会った瞬間がまさにカメラに映っていた場面なんです。寅治さんにはずっと誰かに聞いてほしかった話がいっぱいあって、阿部さんもその話を聞きたくて。寅治さんはあの後亡くなられてしまうんですけど、お二人の関係が始まる幸福な時間を、私自身があのとき見せてもらった気がします。

「亡くなった日に玄関の呼び鈴が鳴ったんだよ」

――新しいお店「味彩」で開店準備をする阿部さんが店の扉を開けた瞬間、ふわっとすごい風が吹きこんで、光もわっと入ってきますよね。あの場面にはびっくりしました。

小森 偶然撮れたものですけど、すごい風ですよね。そういえば阿部さんが一度言っていたことがあって。「亡くなった日に玄関の呼び鈴が鳴ったんだよね。寅治さんが挨拶に来てくれたんじゃないかな」って。あのとき寅治さんが現れたわけではないでしょうけど、阿部さんにとってはあの扉が寅治さんを感じる入り口なんだな、とそんなことを思いながら撮影していました。

――スタジオで一人で作業する阿部さん、という冒頭シーンも素晴らしかったです。

小森 あれが撮影のファーストカットでした。阿部さんの手元を撮りたいと思ってカメラを向けたのがたまたまあそこだっただけですが、そのときにいろんな音が聞こえてきたりして、自分でも忘れられないカットでした。だからやっぱりここから始めようと思ったんですね。

――阿部さんを撮るときは、彼女が何かを見ていたり、誰かの話を聞いてるときの横顔が多いですよね。カメラのアングルは最初から決めていたんですか。

小森 最初は、プレハブのスタジオが狭くてどうやっても横顔しか撮れない、という必然的な理由からでした。でも撮っているうちに、阿部さんがいつもいろんな方向を見ながらお話しされているな、とわかってきた。ああ誰かの顔を思い浮かべているんだなあ、とか、町の方に視線を向けて語りかけているんだなあ、とか。そういう空白の部分が横顔を撮るときに現れる気がして、インタビューのときもあえて少し横から撮らせてもらいました。

亡くなった人を思うそれぞれの場所

――映画のタイトル『空に聞く』の「空」には「亡くなられた方たちのいる空(sky)」と「記憶が立ち上がっている空(air)」両方の意味がある、とプレス資料に書かれていましたが、これも阿部さんの少し斜め上を眺めるような視線から生まれた考えだったんでしょうか。

小森 阿部さん自身もですが、阿部さんが話を聞きにいく陸前高田のみなさんもまたそうだったんです。みなさん、どこか少し上を見上げてそこに見えない町を思い浮かべていて。阿部さんも、みんなが見ている町を見てみたい、その声を聞きたい、と話していました。

町の人たちが亡くなった人を思う場所って人それぞれなのですが、以前は地面の方に強くあったように思います。最後に彼らが見つかった場所に花を手向けたり、元の町が残った場所に祭壇を作ったりしていた。その場所(地面)が嵩上げ工事で埋まってしまう辛さが自分にも強くありました。でもあるとき阿部さんが『嵩上げした地面に立ったら空にいる人たちに近づけるかもしれない。そう考えたらここで暮らしていける気がする』と話されて、その言葉がすごく印象に残りました。たとえ地面が無くなっても、亡くなった人たちも一緒に町の存在としてあり続ける、そう思えるために空があったんだなって。

撮影した素材を見直したら、亡くなった人の数だけ凧を空に上げるシーンとか、山車の上におかえりって書いているという話とかがちゃんと映っていて、ああそうか、阿部さんの空に対する思いってその当時からずっとあったんだな、と気づきました。そこから、空に向けての阿部さんの弔いの気持ちをちゃんと見つけたい、映像として残しておきたいと思うようになりました。嵩上げ工事についてはどう受け止めていいかわからないままです。でも時間が経って人々の思いの向く方向が変化したこと、亡くなった人を思う場所が地面から空に移っていったこと、それを作品にしたかったんです。

――それこそ前作『息の跡』はまさに地面の映画でした。

小森 当時は地面を奪われることに対して自分自身がすごく憤っていたし、それに抵抗したいという思いがあって『息の跡』という映画をつくったようなところがありました。でも嵩上げ工事によって失われてしまったと思っていたり、これ以上何を撮ったらいいのかわからないと私が思っていた時期にも、この新しい地面で暮らしていこうとしている人たちがいたんですよね。工事の結果を受け入れられない気持ちとはまた別に、ここで暮らしていく人たちが選択したことを肯定したい、そういう意識に、阿部さんの言葉によって私自身が変わってきた。だから気持ちとしては『空に聞く』は『息の跡』のときとはだいぶ違いますね。

――でもそういう変化もまた『息の跡』を作ったからこそですよね。

小森 そうですね。それはたしかにそうだと思います。

小森はるか Komori Haruka
1989年静岡県生まれ。2012年から東北に拠点を移し、画家で作家の瀬尾夏美と共に制作活動を続ける。2017年、長編デビュー作『息の跡』が劇場公開され大きな話題を呼んだ。

INFORMATION

映画『空に聞く』
11月21日(土)よりポレポレ東中野にてロードショー、ほか全国順次公開
http://soranikiku.com/

(月永 理絵/週刊文春)

月永 理絵

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加