最愛の我が子に「種痘」を受けさせた幕末の名君 ワクチン普及につながる偉大な功績とは?

最愛の我が子に「種痘」を受けさせた幕末の名君 ワクチン普及につながる偉大な功績とは?

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  • 更新日:2021/02/22
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鍋島直正(国立国会図書館ウェブサイトから)

『戦国武将を診る』などの著書をもつ産婦人科医で日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授の早川智医師は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたかについて、独自の視点で分析する。今回は幕末の名君、鍋島直正について「診断」する。

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年賀状には干支に関わるイラストを入れるようにしている。今年は、新型コロナウイルス感染症の終息を願って、種痘を開発した英国の医師エドワード・ジェンナーと牝牛のデザインにした。牛痘に罹った一頭の牛から、20万人分のワクチンができたというから人類の恩人ならぬ恩牛である。

痘瘡(とうそう)は紀元前から中東に存在して東西に広がり、中国・日本でも西洋諸国でも非常に多くの人が犠牲になった。一度罹患すると、二度はかからないことから、明代の中国で感染した人の瘡蓋(かさぶた)を使った「人痘」が行われたが、少なからぬ人が痘瘡を発症するため、普及しなかった。

西洋でも同様だったが、牛痘にかかった乳搾り女が痘瘡に罹らないことに注目したジェンナーは、1796年近所の少年、ジェームズ・フィップスに牛痘を接種しさらに6週間後天然痘を接種するという人体実験を行い、有効性を証明した。現在ならば倫理委員会が絶対に許さない実験だが、 ジェンナー自身も気がとがめたらしく後にフィップスに経済援助したり家を与えたりしている(たかられたという説もある)。

20世紀半ばからは、WHOによって全世界に種痘が行われた。天然痘はヒト以外に感染せず、さらに都合の良いことにオルソポックスウイルスは抗原性が類似しているために複数のウイルスが交叉反応を生じるので、WHOが中心となった天然痘撲滅プロジェクトにより1977年のソマリアの患者を最後に発症者はでていない。さらに最近になって判明したのは、天然痘根絶に役だった種痘ワクチンが牛痘でなくて近縁のワクシニア(ワクチニア)ウイルスだったことである。 ワクシニアウイルスの自然宿主は不明であるが、馬痘ゲノムに類似性があることが指摘されており 、副作用の少ないウイルス株を求めているうちに牛から馬に置き換わったのだろう。

■種痘の渡来と普及

ジェンナーの発明以来、牛痘接種は瞬く間に欧米各国に広がり、日本には早くも1810年にロシア経由で中川五郎治が伝えたが、中川自身は医師としての使命感はなく、秘伝の治療で高額の報酬を要求したため普及しなかった。我が国の種痘はジェンナーに7年先んじて秋月藩の藩医、緒方春朔(おがた・しゅんさく)が寛政元年から翌年の流行時、鼻腔に人痘を接種する「鼻痘法」を行ったものが嚆矢である。春朔自身も、鼻痘は一定の確率で致命的な痘瘡を発症することから、適応を原則的に健康で体力のあるものに限定し、痘苗を選ぶ(おそらく比較的弱毒株)を用いることを強調した。

日本で本格的にジェンナーの牛痘が普及したのは嘉永2年(1849年)でオランダ人の医師モーニッケが蘭領バダヴィア(ジャワ)より長崎に運んできたものを佐賀藩の藩医、楢林宗健(ならばやし・そうけん)が佐賀藩主世子はじめ同地の貴賎男女に広く接種し、ジェンナー同様の予防効果と極めて低い副作用頻度を報告したのだった。これを受けて幕府は神田お玉が池に種痘所を設置、これが後に東京大学医学部の母体となる。江戸末期には全国で広く種痘が行われるようになった。

■佐賀の名君

幼い我が子に種痘を受けさせた佐賀藩第10代藩主鍋島直正は、島津斉彬、松平春嶽、伊達宗城、山内容堂ら幕末の四賢侯に並び称される名君であった。小作料免除、陶磁器・茶・石炭などの産業育成、西洋技術の導入、藩校弘道館の拡充と有能な家臣の抜擢によって慢性赤字だった佐賀藩の財政を立て直した。軍事や工業技術のみならず医学も蘭学を重んじ、低い身分の出身だった蘭医、伊東玄朴(いとう・げんぼく)を抜擢し、藩の医療と衛生を任せたのである。

民衆に医学知識のない当時、牛からとったものを人に注射すると牛になるといった迷信が広まったが、藩主自らが最愛の嫡男・淳一郎に接種させることで噂は解消した。淳一郎は長じて侯爵鍋島直大となり、岩倉使節団と渡米、さらにオックスフォード大学に学び、帰国後は元老院議官、宮中顧問官、貴族院議員として明治日本の発展に尽くした。

■ワクチンの普及は迷信との戦い

英国でも、19世紀半ばまで牛痘を注射すると、牛になるという迷信が広くはびこっていたが、21世紀の現代になっても、SARS-CoV-2に対するmRNAワクチンを注射すると、DNAに組み込まれて自己免疫疾患や癌になるとか、チップが埋め込まれて製薬会社やどこかの政府に個人情報が流れるといったデマをSNSで流す人がいるので笑えない話である。

もちろん、あらゆるワクチンの通例として副反応が絶対ないとは言えないので十分な情報提供の上で、本人の了承を得て接種することになる。先に接種が始まったWHOやCDCはこのことを繰り返し広報しているし、わが国の厚労省や日本感染症学会も同じ立場である。常識ある大部分の医師は同じ考えであろうし、筆者自身、日々SARS-CoV-2の実験を行い、また疑いも含めてCOVID-19患者さんに接する可能性があることからできるだけ早く受けたいと思う。

必ずしも健康とは言えないわが身と、愛する家族と教え子、同僚や患者さんを守るためである。

◯早川 智(はやかわ・さとし)/1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)など

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早川智

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