SDGsは「大衆のアヘン」。資本主義に緊急ブレーキを!

SDGsは「大衆のアヘン」。資本主義に緊急ブレーキを!

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2020/11/21
No image

気候変動は肌感覚で捉えられ、論じられ、対応を迫られる問題になっている。日本においても「50年に一度の~」「観測史上最も~」と形容される災害が頻発し、状況の悪化を感じずにはいられない。私たちはライフスタイルを変えなければならない、という声も聞かれる。そんな中、「資本主義が地球を壊している」「資本主義と決別を」と主張し、斬新な提案を示す思想家がいる。国際的なマルクス研究の新鋭・斎藤幸平氏だ。脱成長を目指しても、豊かな経済システムは可能だと彼は断言する。そんなシステムが本当にあるのか、実現できるのか、そしてそれが私たちの生活や労働にどう関わるのか、お話を伺った。(取材・文/正木伸城)

SDGsは「大衆のアヘン」である

――いま、気候変動が切迫した問題として捉えられ、SDGs(=持続可能な開発目標)が注目を集めています。日本でも遅まきながら話題になってきました。そこに斎藤幸平さんが、かのカール・マルクスの名句になぞらえて、新刊『人新世の「資本論」』で「SDGsは『大衆のアヘン』である」と書かれた。衝撃でした。

斎藤 ひとつひとつの取り組みは、もちろん環境に配慮したものなのでしょう。しかし、大きな危険性は、別のところにあります。つまり「SDGsの方針をいくつかなぞれば、気候変動などの問題は解決可能だ」と、SDGsを免罪符のように思い込んでしまうことです。SDGsやグリーン・ニューディールは、環境に配慮しながら経済成長できるという空気を醸成しています。

しかし、多くの科学者が指摘し始めたように、そもそも経済成長と二酸化炭素削減は、求められているペースでは両立しえないものなのです。つまり、無限の経済成長を追い求める資本主義に緊急ブレーキをかけない限り、気候変動は止まらない。これが問題の核心部分なのに、SDGsはそこから人々の目をそらさせる。その点を危惧しています。

――ベストセラーになっている『人新世の「資本論」』で斎藤さんは、「資本主義ありき」のやり方では世界は立ち行かなくなると指摘されています。

斎藤 このまま気温上昇が続けば、漁業も農業も壊滅的な打撃を受け、食料難に陥り、海面上昇や干ばつで今の場所に住めなくなる気候難民も億単位で増えてきます。世界秩序も、国内秩序も不安定になるでしょう。

No image

photo by iStock

「2050年までに」と言わずに、一刻も早く、二酸化炭素排出量をゼロにする必要があります。ところが、資本主義のやっていることは、利潤を追求するために、人々の欲望を絶えずかきたてることだけ。ここに、資本主義の枠内で気候変動対策を行うことの限界が存在します。

言うまでもないことですが、私たちが生きていくために必須のものは生産を続ける必要があります。ところが、いまの経済が力を注ぐのは、ちょっとした品質の違いを広告やマーケティングでことさら強調して、顧客の購買意欲を刺激することですよね。化粧品のパッケージなどがその典型ですが、そうしたことに多大なエネルギーと資源を浪費する経済では、気候変動を止めることはできません。

意味のない仕事が生み出す労働の「疎外」

――考えてみれば、そもそも化粧品のパッケージデザインをピクセル単位で調整したりすることに多大な労働力を割き、わずかな差異に人々を熱狂させるというのは、労働の目的からも、商品のもともとの効用からも相当にかけ離れているといえます。

斎藤 マーケティングや広告、コンサルティング、金融業や保険業といった「重要そうに見える仕事」は、実は社会にとって本当に重要なものを生産していないのではないか。そのことに、仕事をしている本人たちも薄々気が付いているのではないか。そういう仕事を「ブルシット・ジョブ」(くそくだらない仕事)と呼んだのがデヴィッド・グレーバーですが、その指摘に耳を傾けるべきだと思います。コロナ禍で明らかになったように、本当に社会の役に立っている仕事、エッセンシャル・ワークは、医療や介護、教育や農業など、別の分野にあるのです。

No image

photo by iStock

――しかも「重要そうに見える仕事」に就く人は、しばしば高給取りです。現場で汗水流している人が安月給で、一方のハイクラスビジネスマンがブランド物を身につけながらエアコンのきいた部屋で会議やタイピングをしている。そんなコントラストが現実にある。彼らに比して「下」と見做されがちな現場の「働かされている感」は大きな問題で、それはマルクスのいう「疎外」の表れです。

斎藤 その「疎外」に別表現を与えたのがグレーバーだと思っています。「ブルシット・ジョブ」にリソースの多くが投入されている事態は、疎外の極致です。「この仕事に意味があるのかな……」と本人も思っているような業務、たとえば先ほどのコンサルティングなどもそうですが、プレゼン用の資料をやたらに作り込むとか、無駄な会議をたくさん開くとか、そういった仕事が積み重なっている。そんなことに膨大なコストをかけてどうするのかという話です。

――しかも、そのコストがめぐりめぐって自然を破壊している。

利潤の追求が生み出す無駄なコスト

――マルクスは「分業」が疎外を生んでいると指摘しましたが、分業は同時に、「何のためのコストか」ということを不鮮明にします。缶ジュースを例にとるとわかりやすいでしょう。ジュース自体の原価は2~5円ともいわれますが、自動販売機では130円くらいで売られていますね。

斎藤 ジュースの価格の上に、缶やペットボトルといった「うつわ代」、パッケージングやデザイン費、運送・保管コストなどが乗っかるからですよね。ジュースの使用価値は「好みの味で水分をとり、のどや体を潤す」ところにあるのに、それ以外のコストが付与されて、原価2円のものが130円で売られている。これってそもそも“経済的”じゃないですよ。テレビCMや広告、ジュースの製造工程の効率化等にはコストをかけるのに、いま言ったような不経済(=別の無駄なコスト)には文句を言わない。「よく考えたら変だよね」と思う人も少なくないでしょう。

――缶を製造する人、パッケージをデザインする人、缶ジュースを運ぶ人、在庫を管理する人、それぞれが分業していてバラバラなので、そのおかしさが見えにくくなっている。しかも生産の全体像がわかりにくいから自らの労働の意味もつかみづらく、働きがいも感じにくい。

斎藤 最近では、そこに「サステナブルです」「環境にやさしいデザインです」といった物語をつくるコストも加わっています。本当の意味でサステナブルを目指すなら、消費を減らすことが求められますが、今の社会では、サステナブルというかけ声で、販売促進を行っている。おかしいですよね。しかし、経済社会が資本主義である限り、この矛盾は消えません。

スマートフォンだって、原価と販売価格は相当に違っている。しかもスマホは短いサイクルで次々と新しいモデルが出るでしょう。そのたびに買い替えさせようと、大々的に広告が打たれる。その広告は、新モデルがいかにイノベーティブかを謳うけれど、果たしてそうでしょうか。そんなに革新的な機能は、実はない。

さらに言えば、この時代に必要な本当のイノベーションとは、長く使えて、環境にやさしく、「買い替えなきゃ」というストレスからユーザーを解放するものだと思うんです。

No image

photo by iStock

――スマートフォンなどにみられる「ITの進展」は、わりとクリーンなイメージを抱かれがちですが、たとえばスマホの電池のリチウムやコバルトの採掘現場では急激な地下水のくみ上げなどが行われ、現地の人々の生活や生態系を壊し、果ては水質汚染や農作物汚染、環境破壊、景観破壊を引き起こしている。

斎藤 はい、それは『人新世の「資本論」』で指摘したとおりです。そういう現実があるにもかかわらず、MicrosoftやAppleが涼しい顔をして「技術革新でSDGsや脱炭素化を推進する」と言っているのなら、それこそ欺瞞でしょう。Appleの脱炭素社会に向けた対策はなにか? iPhone12に電源アダプタを同梱するのをやめたんです!

それではまったく足りないし、そもそも、Appleはケーブルにしても、もっと互換性の高いものを使うべきです。ここにも、利益追求の限界が見て取れます。

――経済が追求するものの果てが不経済というのも皮肉です。

生産と労働そのものを変えなければ世界は変わらない

――斎藤さんは、まさにその不経済に待ったをかけようとしています。

斎藤 夢のような新技術なしで、今すぐにでもできる経済的で、サステナブルな改革は、計画的陳腐化に終止符を打ち、すでに生み出されたものを大切にすることで生産量や消費量をスローダウンし、スケールダウンしていくことではないでしょうか。

「スローダウン」するお金の使い方、生き方、働き方の可能性を探っています。そのときに武器になるのが、マルクスの考えなんです。近年、新しい『マルクス・エンゲルス全集』の刊行が進んでいます。全100巻を超える壮大な編集プロジェクトです。そこには、以前の全集にはなかった新資料が掲載されています。そういった新資料をもとに、マルクスの捉え直しをしています。

――マルクスの文献から、エコロジーや疎外のような現代にも通用する経済思想が読み取れるとの言説には、私も新しさを感じています。最も驚いたのは『人新世の「資本論」』に書かれていた次の個所です。「あえて挑発的にいえば、マルクスにとって、分配や消費のあり方を変革したり、政治制度や大衆の価値観を変容させたりすることは、二次的なものでしかない。一般に共産主義といえば、私的所有の廃止と国有化のことだという誤解がはびこっているが、所有のあり方さえも、根本問題ではない。肝腎なのは、労働と生産の変革なのだ」と。

斎藤 共産主義といえば、ソ連を思い浮かべる人が多いと思いますが、私からみると、ソ連は国家主導型の資本主義でした。資本家が所有していた生産手段を国が所有し、労働者に命令する人が資本家から官僚に変わっただけですから。

これはつまり、「所有」のレベルでの変革にすぎず、労働者にとっては「生産」の仕方はほとんど資本主義と変わらないままだったんですよね。今ご指摘があったように、マルクスのポイントは、生産を変えるという点が重要です。

その意味でいうと、SDGsだって、「買うものはエシカルに」とはいうけど、結局、生産には手を付けず、消費を変えるだけにとどまっているといえます。「エシカルじゃないハンバーガーではなく、エシカルなハンバーガーを食べよう」みたいな話をしている。エシカルさを追求するためにマイボトルやエコバッグを買ったりする。それが完全に無意味だとはいいませんが、「消費の内容が変わっただけに過ぎない」という認識は大事です。

――それこそ、よりオシャレなエコバッグを買おうみたいな競争が生まれる。エコバッグの製造コストもかさんでいく。

斎藤 やはり、生産と労働そのものを大きく変えなければいけないと思います。いま私たちは、あまりにも働きすぎていて、あまりにも多くを消費していて、エネルギーを使いすぎている。この事態を変えるには、消費者の個人努力ではまったく足りない。資本主義の論理や企業の飽くなき利潤追求に対するスローダウン革命が必要です。そこに知恵をもたらしてくれるのがマルクスです。

――かつてヴァルター・ベンヤミンは、「マルクスは、革命は歴史の機関車だと言った。しかしおそらく、事態はそれとは大きく異なっている。革命は、列車旅行をしている人類が非常ブレーキをかける行動なのかもしれない」と語りました。「革命=歴史を進化させるもの」という旧来のマルクス理解なら、そうも捉えられたでしょう。ですが、斎藤さんの仕事によって、マルクスの革命は歴史を進めるとともに非常ブレーキにもなり、さらに脱成長コミュニズム(後編にて詳述)という生産や労働、社会の持続的なあり方の足場づくりにも寄与することがわかってきました。

(取材・文/正木伸城)

(後編はこちら

No image

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加