口撃VS沈黙。ヤクルト対ライオンズの日本シリーズにあったもうひとつの闘い

口撃VS沈黙。ヤクルト対ライオンズの日本シリーズにあったもうひとつの闘い

  • Sportiva
  • 更新日:2020/11/23

黄金時代の西武ナインから見た野村克也
第2回 「反発」

【石毛宏典はID野球に反論】

◆森祇晶が語った野村克也との「不動」の戦い

野村克也の標榜する"ID(Import Data)野球"に対して、持論を主張して明確に反論を展開したのが西武黄金時代のチームリーダー、石毛宏典だった。1992(平成4)年、ヤクルトとの日本シリーズが決まり、野村の"ID野球"が注目を集めていた頃、石毛は次のような言葉を残している。

「いくらIDといっても、野球はあくまでも人間のやるスポーツ。日本シリーズにはデータを超えた戦いがある。そんなものに負けるつもりはありません。データなんて何するものぞ。そんな気持ちで戦います」

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1992年の日本シリーズ前に握手を交わす、西武・森祇晶監督とヤクルト・野村克也監督  photo by Sankei Visual

この時から四半世紀以上が過ぎ、あらためて当時の心境を聞いたが、石毛の口調は当時と変わらぬ熱を帯びていた。

「僕は『ID野球が何だ、ID何するものぞ』とずっと思っていました。傾向と対策が重要なことはわかっていますけど、グラウンドに立てばそんなことは気にしていられないんです。バッテリーはともかく、われわれ野手の場合は」

石毛によれば、バッテリーの場合は打者の苦手なコースを攻めるためにデータは有効であるものの、打者の場合はデータについて「そんなことは気にしていられない」という。

「相手投手の配球の傾向を理解していて、それが役に立つバッターもいるでしょう。でも、基本的にバッターは受け身なんです。たとえば、右バッターが右ピッチャーと対戦する場合、データを完全に信用して打ちにいくことはできないんです。自分の体にボールが向かってくる。データ上はスライダーが来ることになっているから、『よし、曲がる、曲がる』と思っていて、結局は曲がらずにデッドボールになることもあるんです」

石毛の言葉は力強かった。

【秋山幸二は「そういう野球は野村さんよりも前からやっていた」と言った】

石毛同様に、「ID野球は特に意識しなかった」と語ったのが、"AKD砲(秋山幸二・清原和博・デストラーデ)"の一角を占めた秋山幸二だった。秋山へのインタビュー中に"ID野球"の話題になり、石毛の発言を伝えると、秋山は大きくうなずいた。

「ホント、ホント、石毛さんの言うとおりですよ。だって、僕らだってデータについては、よう勉強させられたもん(笑)。しかも、それは森さんじゃない。広岡さんの時代からですよ」

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西武のクリーンナップを担っていた秋山 photo by Hasegawa Shoichi

当時、西武を率いていた森祇晶の前には、広岡達朗が監督として黄金時代の礎を築いていた。秋山が、広岡監督時代をこう振り返る。

「僕がまだ若手だった頃、広岡さんから野球について徹底的に教わりました。当時の西武には『必勝法、必敗法』という冊子があって、それをもとにしてディスカッションを繰り返し、ミーティングもすごく長かったんです」

キャンプ中の長いミーティングといえば野村の"専売特許"である印象を受けるものの、秋山によれば、「そんなことはずっと前からやっていた」のである。だからこそ、続く森監督時代に西武は黄金時代を迎えることができたのだ。自負を込めて秋山は言う。

「当時の西武が、特に『データを重視する』と謳わなかったのは、そんなこと言わなくてもできたからですよ。野村さんよりもっと早くから、そういう野球を西武はやっていたからです」

秋山の言葉もまた力強かった。

【ニアミスに終わった石毛と野村の野球人生】

1992年、1993年の日本シリーズは、西武・森祇晶、ヤクルト・野村克也による「知将対決」が話題となり、マスコミ報道では「キツネとタヌキの化かし合い」とも称された。しかし、野村はマスコミを前に多弁だったのに対して、森はあえて沈黙を貫いた。1992年シリーズ前日、野村はマスコミを前に堂々と宣言する。

「我々は4勝0敗で西武を倒す。うちは勢いがつけばそのままいく可能性があるけど、ひとつ負ければズルズルいく可能性も高いから」

しかし『詰むや、詰まざるや 森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)の取材の中で、野村は「勝てると思っていなかったから、そんなことを言ったんだよ」と、笑って言葉の真意を明かしている。そんな思いを抱いていたからこそ、野村は西武に対して執拗な「口撃」を繰り返した。それにあおられるように、マスコミも野村の言葉を大々的に報じた。一方の西武・森は言う。

「それが野村さんのやり方だということは、もちろんわかっていました。こちらにも言い分はあるし、言いたいこともある。でも、それに乗ってしまったら負けなんだよね。だから、こちらは"黙して語らず"を貫いた。それもまた立派な戦術でしょう」

指揮官の思いを受けて、西武ナインも沈黙を貫いた。だからこそ、忸怩(じくじ)たる思いが募っていたのが石毛であり、秋山だった。あらためて、石毛に「ID野球をどう思うか?」と尋ねてみる。石毛の答えに迷いはない。

「僕はID、データだけでボールが打てるようになるとは思いません。10歳から野球を始めて、30年間毎日バットを振って、ノックを受けて、僕たちは"技術屋"になった。野村さんの言うこともわかります。データも傾向もあるわけだから、それを上手に利用して確率の高いボールを狙えばいいのかもしれない。それもひとつの方法でしょうけれど。それでも僕は......」

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西武のリードオフマンとして活躍した石毛 photo by Hasegawa Shoichi

野村が掲げた"ID野球"に対しては、一貫して否定的な立場を取っていた石毛。だが、現役引退後、彼は野村の著作を数多く読んだという。

「野村さんの本、考え方には共感できるところが多々あります。もし現役時代に戻れるのならば、野村さんのミーティングを直に聞いてみたい。そうすれば、また違った気づきがあって、もっと成績を残せたかもしれない。あるいは逆にダメになっていたかもしれないけど......」

これを受けて、野村にも石毛の印象を尋ねた。

「いい選手だと思いますよ。リーダーシップもあるし、野球頭脳もよさそうだし」

石毛を絶賛する野村に、石毛の言葉、考え方を伝えると、野村は笑った。

「あっ、そう。なるほど、彼の言いたいこともわかるよ。確かに素振りは大事。基礎、基本、応用と、段階があるのに今の野球界はそれをおろそかにしているよ。それは石毛の言うとおりかもしれないね(笑)」

1980(昭和55)年、野村は西武ライオンズで現役を終えた。そして翌1981年、野村と入れ替わるように西武に入団したのが石毛だった。わずか1年のニアミス。そのあとも、石毛と野村の野球人生が交わることはなかった。仮に交わることがあったとしたら、石毛は"ID野球"をどのように受け止め、消化したのだろうか。

(第3回につづく)

長谷川晶一●取材・文 text by Hasegawa Shoichi

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