「加害していないときのお父さんは好き」 父親の無罪確定でも女の子の証言はリアルだ

「加害していないときのお父さんは好き」 父親の無罪確定でも女の子の証言はリアルだ

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  • 更新日:2021/04/07
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写真はイメージです(Getty Images)

作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は、とある事件の無罪判決について。

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またひどい判決が出てしまった。

3月22日、12歳(事件当時)の実子への強制わいせつと強制性交等罪に問われた男性に対し、大津地裁は娘の証言の信用性に疑問があるとして無罪判決を言い渡した。

検察によれば、性被害は女の子が小学6年生のころからはじまったという。約1年半後、中学生になった女の子は担任の教師に性被害を初めて告発し、その翌日に子ども家庭相談センターに保護された。最初は、成績が悪いと父親から体罰をうけるため「家に帰りたくない」と語りだし、その後、父親が酔っ払ってベッドに入ってくる、怖くて眠れないと訴えた。

裁判官は、女の子の証言には信用性がないとして、父親を無罪にした。女の子は帰りたくなくてとっさにうそをついたと考えたのだ。一つのうそをついたことで事がどんどん大きくなり、引き返せなくなったのだと考えるのは自然だと述べた。

有罪判決はもちろん、慎重に出すべきだ。さまざまな証拠や証言をもとに判決を導き出すのに、丁寧な推論と重たいほどの慎重さが必要なことは前提の上で、この裁判官が結論を導き出す過程にはいくつもの問題があると私は思う。

裁判官は女の子の証言が「不自然」であると導いた理由をいくつも並べている。例えば女の子は、最初の性被害があった日時を覚えていなかった。あれはクリスマスの前のことだったというような答えをしている。それをもって裁判官は、初めての性被害という強い印象を残す日なのに、日を覚えていないのは不自然と考えた。

例えばこの女の子は、教師に被害を訴えたとき、性被害の話を最初にしなかった。体罰を受けていることを泣きながら最初に語り、それからしばらくして性被害の話をした。裁判官は、性被害で追い詰められているならば最初に性被害を語るのが自然なのに、体罰を最初に相談したのは不自然だと考えた。

例えばこの女の子は、父親が身体の上にのり激しく動いたという告白を、最初の被害の訴えからずっと後にしている。裁判官はこれを不自然だと考える。なぜ強く印象に残るはずのことを最初に話さなかったのか、と。

例えばこの女の子は、性被害がはじまってから少したったころ、父親のひざに自ら乗って写真を撮っている。「たたかれたときやわいせつ行為をされたとき以外のお父さんは大好きだった」と言っていることをもって、裁判官は女の子の証言は不自然と考える。

この裁判官は、この数年、眠っていたのだろうか。性暴力事件について、性暴力被害者について、そして今、性犯罪刑法改正検討会で語られていることを少しでも関心を持って読んだことはあるのだろうか。

証言や証拠は慎重に検討されるべきことは言うまでもないが、それにしてもこれは2019年3月に連続しておきた4件の性暴力無罪判決(一審で無罪確定したもの以外、全て高裁で逆転有罪になっている)に並ぶ、裁判官のジェンダーバイアス、性暴力に関する無知によって引き出されてしまった判決ではないか。なぜなら、この裁判官が「不自然」とする根拠が全て、性被害者にとってはあまりにもリアルな行動だからだ。

性被害者は、何が起きたかを言語化することが非常に難しい。そして被害を受けたにもかかわらず、自分自身を責め、羞恥を感じ、周りに伝えることが難しい。子どもであればなおのこと、日時の特定は難しいといわれる。性被害は決して大きな怒声のもとで行われるのではなく、むしろ優しい口調でなだめられ、まるで自分も共犯者のように秘密を強いられることに混乱し、何が起きたかが分からないことが多い。

だから、女の子が最初の被害の日時を覚えていないのは、それが強烈な経験だからこそ忘れたく、既に1年半以上前のことであり、しかもその間継続して被害が続いてきたからだ。覚えていないほうが自然だ。

女の子が最初に性被害ではなく体罰の話をしたのは、体罰で羞恥を感じることはないからだ。「他には?」と信用できる大人に促され、ようやく口を開くのは、あまりにも自然だ。

女の子が被害を具体的に語れなかったのは、本当に自然なことだ。それは語るにはあまりにも苦痛なことであり、自分の身に起きたこととして言語化するに時間がかかるのは、自然すぎるほどに自然なことだ。語るにはあまりにも苦痛なことだからだ。

女の子にとって、どんな父親であろうとも、父親であることに変わりなく、家庭は自分の居場所だ。父親の機嫌が良いものでありますように、父親がベッドに入ってきませんようにと祈るように思う「加害していないときの父親が好き」という発言は、自然だ。

2017年以降、加害者寄りの視点からみた「被害者とはこうあるべきだ」という考え方こそが「レイプ神話」であることを、国際的な#MeTooの潮流が明らかにしてきた。加害者視点からすれば矛盾するような行為であっても、性被害者にとっては合理的な振る舞いなのだと、性被害者が声を出して語ってきた。加害者視点で考える「本当の被害者はそんな振る舞いはしない」とされる多くが、被害者だからこその自然な振る舞いであることが、理解されてきた。性被害は、だから被害者中心主義の語りで問われなおさなければいけないというのが、今私たちが立っている場所のはずだった。それをこの判決は、あっという間に、時間の針を戻してしまった。4月5日、検察は控訴せず、父親の無罪は確定した。

刑法の無罪判決は重たい。そのことは重々承知で、この「無罪」を引き出した裁判官の考える「自然」があまりにも、被害者からみるリアルからは不自然であることは何度でも言う必要があるのだと思う。

■北原みのり(きたはら・みのり)/1970年生まれ。作家、女性のためのセックスグッズショップ「ラブピースクラブ」代表

北原みのり

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