透き通る海と、どこまでも続く青い空。
ゴルフやショッピング、マリンスポーツなど、様々な魅力が詰まったハワイ。
2022年に行われたある調査では、コロナ禍が明けたら行きたい地域No.1に選ばれるほど、その人気は健在だ。
東京の喧騒を離れ、ハワイに住んでみたい…。
そんな野望を実際にかなえ、ハワイに3ヶ月間滞在することになったある幸せな家族。
彼らを待ち受けていた、楽園だけじゃないハワイのリアルとは…?

Vol.1 高級コンドミニアム
「なぁ、家族でハワイに行かないか?」
日曜日の朝9時。ネスプレッソマシーンでコーヒーを淹れていた由依に、夫の圭介が唐突に言った。
「久しぶりのハワイ旅行か、いいね」
由依は懐かしい強い日差しを思い出し、目を細めて答える。
「旅行というか、しばらくの間。3ヶ月くらい、どう?」
夕食の献立を決めるような軽い口調で圭介が言うので、由依は戸惑った。
圭介は猪突猛進なところがあり、突然思いも寄らぬことを口にしたりする。
「3ヶ月も?いや、無理よ。圭介も仕事があるでしょ?」
「大丈夫。今の仕事なら数ヶ月はリモートでできるよ。由依も最近はずっとリモートだろ?」
圭介は今年38歳。
新卒で大手エンターテインメント会社に入社し、20代で部長に昇進した後、オンラインでのセキュリティシステム会社を起業して独立した。
その会社を、先日売却したところだ。
これまでずっと忙しかったが、今はコンサル業や次の会社を作るための準備をしている。
由依はフリーのファイナンシャルプランナーとして働いており、最近ではリモートでの相談や、記事を執筆するのがメイン。
確かに数ヶ月なら東京にいなくても大丈夫かもしれない。だが、それより子どもたちのことが心配だった。
「でも、子どもたちの小学校はどうするの?」
長女の愛香は10歳。長男の春斗は6歳の小学校1年生。2人とも私立の小学校に通っている。
「親子留学ってことにすればいいよ。愛香や春斗にとっても、違う国で暮らすことはいい経験になるよ」
「でも、愛香も小学校4年生で多感な時期だし…」
由依の声を遮るように、起きてきた子どもたちが口を挟んだ。
「ハワイ!?住んでみたい!」
正直、愛香が賛同したことに由依は驚いた。
愛香は人一倍繊細で、環境の変化を嫌う。それなのに数ヶ月とはいえ、ハワイに住むなんてことが可能だろうか、と。
「夏休みを挟めばいいよ。その間に現地のサマーキャンプとか現地の学校に通わせてさ。ざっと調べただけでも、色々とあるみたいだよ」
圭介は持っていたスマホを由依に向ける。
そこには、ネットで調べたサマーキャンプの情報が載っており、子ども用のヨットクラブやサーフィン、ハワイアンクッキングなど、楽しそうなものが並んでいる。
由依は子どもたちの表情を見ながら、考えを巡らせた。
「まあ…良いかもね」
押し切られたように発した由依の言葉に、みんなが喜ぶ。
こうして、ハワイに短期間住むことになった。
◆

「わー、見てみて!海が見えるよ!」
迎えた7月中旬。由依たちはアラモアナにある高層コンドミニアムの一室を、バケーションレンタルで住むことにした。
2ベッドルームの広い角部屋には、一面ガラス張りのリビングがあり、目の前にアラモアナの青い海が広がる。
ショッピングセンターに繋がるこのビル内には、広いプールにジムや公園、緑に囲まれたバーベキュー施設の他、シアタールームやヨガルーム、ゴルフシミュレータールームなど、さまざまなアメニティ施設が充実している。
「それじゃ、色々と買い出しに行かなきゃ」
部屋には家具一式が揃っているが、消耗品などが必要だったので、駐車場から続くターゲットで買い物をすることにした。
その後、軽く夕飯を済ませようと1階にあるフードコートへと向かい、愕然とした。
「あれ、閉まってる…」
旅行で来るたびに訪れていた、日本食が集まったシロキヤジャパンヴィレッジウォークは、残念なことに、コロナのせいで閉店していた。
「やっぱり、この数年で変わってしまったのね…」
結局その日は別のフードコートでお弁当を買い、移動で疲れた体を休めようと早めに就寝した。
次の日、朝から夫は予約をしていた中古車を購入しに出かけた。
コロナのパンデミックで観光客が一気に減った時、レンタカーサービスや車のディーラーたちはみな、車を売り払ってしまった。
その後、再び買い戻しが行われたが、今度はアメリカ本土からの旅行客が一気に増えたため、夏はレンタカーの長期予約が取りづらく、値段も高くなっている。
そこで、中古車を購入して帰国の際に売ることにしたのだ。
夫はハワイらしくJeepに乗りたいと言ったが、「日本車は中古車でも価値が落ちないよ」と聞いていたので、レクサスのSUVを購入することにした。
「ねぇ!せっかくだしワイキキに行ってみようよ」
14時過ぎに帰ってきた圭介は、1人妙に張り切っている。
昔からハワイが好きだった彼は、いつかハワイで暮らすのが夢だった、と嬉しそうに語っていた。
「じゃあ今日は観光がてら、散策してご飯を食べて帰ろうか」
そうして私たちは、車でワイキキに移動した。

『BASALT』で名物の黒いパンケーキを食べた後、Royal Hawaiian Centerなどを見て回る。
少し前に日本でも、ホノルルの観光客が激減し、閑散としている様子がワイドショーなどでも映し出されていたが、今やハイブランドの入り口の前には列ができ、昔と変わらないほど人が戻っていた。
買い物をしながら散策をし、18時に差し掛かろうとしていた時。
まだ日も明るい中、Kalakaua AveからLewers Streetへと曲がったところで、突然後ろにいた夫が「危ない!」と叫んだ。
由依は声に驚き、体がよろける。
すると歩道のスレスレを、2人乗りのバイクが路駐の車を避けながら不自然に通り過ぎて行った。
「ママ、大丈夫?」
圭介が心配そうに駆け寄る。
子どもたちが無事なことを確認して由依はホッとした。
その時、後ろを歩いていた50代くらいの日本人男性が声をかけてきた。
「ひったくりですよ。ハワイは最近治安が悪くなってるので、気をつけなきゃ。そんな観光客丸出しで、狙ってくれって言ってるようなもんだ」
男性は冷たく言うと、さっさと由依たちを抜かして行ってしまった。
― 観光客丸出し…?
日本で買ったDVFのサマードレスに、エルメスのサンダル、そしてロエベのカゴバッグ。

周りはカジュアルな格好が多い中、少し浮いているかもしれないが、棘のある言い方が癪に障る。
由依は何も取られていないか確認し、ここは日本ではないのだと、改めて実感するのだった。
その後、予約をしていた『Heavenly Island Lifestyle』で夕食を食べて家に戻ると、エレベーターを降りたところで、年齢不詳の女性が待っていた。
Tシャツにレギンスといったスポーティな服の上に、全身ジャラジャラと何重にもつけたパワーストーンが、なんとも違和感を与える。
由依は彼女の方を見て笑顔で挨拶を交わし、通り過ぎようとした時、いきなり彼女に腕を掴まれた。
「何か…?」
恐々尋ねる由依に、女が言った。
「やだー、あなた!“気”が濁ってるわよ!」
「えっ?“気”、ですか…?」
怪訝な顔をする由依に、女が手首につけていたストーンを一つ取って渡した。
「あげる。あなたにパワーをくれるから!」
「いや、結構です…」
女は押し付けるように渡すと「同じ階に住むエミリ。いつでも相談に乗るわよん」とウィンクをして、エレベーターに乗ってしまった。
「ママ、誰あの人?」
「さぁ…ここに住んでるのかな…?」
驚きで波打つ心臓を抑えながら、子どもたちが怖がらないよう平然と笑顔を向けて応える。
けれど、彼女の言葉が少し胸の奥で引っかかった。
◆

深夜、子どもたちが寝静まった後、マスターベッドルームにあるキングサイズのベッドに夫婦で入る。
「なんか、一緒の布団で寝るの、久しぶりだな」
「そうだね…」
ずっと忙しかった圭介は、寝る時間にばらつきがあるため、別の部屋で寝ていた。
この家では、小さいシングルのベッド二つが、ドア付近の部屋に用意されており、リビング横のマスターベッドルームに、キングサイズのベッドが一つ置いてある。
シングルベッドを子どもたちが使うので、夫婦は自然と、キングベッドを使うことになったのだ。
由依は気恥ずかしさから「ふふ」と笑う。
その時、圭介のスマホが着信を知らせた。
「あ、ごめん、音消さないとな」
そう言って、由依と逆側を向き、彼がスマホを操作する。
その時に見えた画面が、発信元はわからないが、通知の履歴を消去するものだった。
― なんで消すんだろう…?
この時の由依は、圭介がハワイに行きたいと言った本当の理由を、まだわかっていなかったのだった。
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現地のサマーキャンプに子どもたちを通わせるが、そこで出会った日本人に…