狂牛病は18万頭で被害者200人弱...「ゼロリスク」騒動は無限に繰り返されるのか

狂牛病は18万頭で被害者200人弱...「ゼロリスク」騒動は無限に繰り返されるのか

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2022/09/30
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新型コロナウイルスの感染拡大で、コロナという病気の正体がある程度わかってきた今もなお、中国では「ゼロコロナ対策」が取られている。先日も新型コロナ感染患者が増加した町ごと隔離すべく深夜にバスで移動させる中でバスが横転、死傷者47人を出す大惨事となった。「ゼロコロナという対策事態が現実的ではない」という意見が国内外でも出ている。

しかし「リスクをゼロにしたい」と考えるのは、決して中国だけのことではない。誰にとってもリスクは好ましくないが、「リスクがゼロ」という状態は成立しうるのだろうか。ジャーナリストの佐々木俊尚さんが3回にわたり日本の「ゼロリスク信仰」について分析。その第1回は日本中がパニックになった過去の事例をひもといていく。前編はゼロリスクという言葉が誕生した経緯や2000年前後に大騒ぎとなった狂牛病について振り返る。

「リスクがゼロ」でないと気がすまない

日本社会に「ゼロリスク信仰」が蔓延して久しい。「ゼロリスク信仰」とは何か。それはリスク(危険性)がゼロでないと気がすまない態度のことである。しかし社会のあらゆる場面に存在するさまざまな危険性はどれも決してゼロにはならないから、そもそもリスクがゼロであるのを求めること自体が不可能である。だから「ゼロリスク」は決して科学的ではない「信仰」のようなものになってしまう。

あらゆる社会問題には、ただひとつの正解はない。「こちらを立てればあちらが立たず」という危ういバランスの上に成り立っていることがらは多い。

たとえばいま進行中のエネルギー危機で考えてみよう。ヨーロッパでは地球温暖化対策のため脱炭素を積極的に進め、石油や石炭などの火力発電を減らしてきた。ドイツでは同時に脱原発も推進し、風力や太陽光などの再生可能エネルギーを増やしてきた。しかしロシアのウクライナ侵攻で、石油や天然ガスの供給がたいへん危うくなった。

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石油のパイプラインにより、我々の生活は潤っているのは事実だ。石油の使用によって空気が汚れるリスクがあることも私たちは直面しているが、リスクをゼロにするということは一切使わないということになる Photo by iStock

「脱炭素」「脱原発」「ロシアへの制裁」。この三つは同時には成立しにくいトリレンマである。どれかひとつだけを選ぶことができないのであれば、何らかのバランスをとってグレーゾーンの狭間になることを許容するしかない。実際、ドイツでは脱原発をいったん棚上げし、石炭火力も復活するという政策をとろうとしている。

「グレーゾーン」に位置するもの

別の例を挙げよう。身近な話では、野菜の「オーガニック信仰」がある。農薬も化学肥料も使わないで育てた無農薬・有機野菜は安全で美味しいと考えられ、「有機だから安全」「有機だから美味しい」「有機だから環境にいい」と思われている。

しかし「農薬が危険」というのは、実のところ少々過剰すぎる。たとえばオーガニック信仰からは目の敵にされているモンサントという企業があった。「あった」と書いたのは、すでにドイツのバイエルに買収されて社名は消滅しているからだ。しかし今でも、グーグルでモンサントと検索すると、諸悪の根源のようにあつかっている多数の記事やブログがヒットする。

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農薬によってアナフィラキシーを起こす人もおり、無農薬の野菜はとても素晴らしい。しかし無農薬で野菜を育てる難しさもあるのが現実だ Photo by iStock

モンサントがこれほどまでに嫌われているのは、ラウンドアップという除草剤を開発・製造していたからだ。ラウンドアップは「発がん性がある」と批判されている。これは完全な誤りとはいえず、2015年には世界保健機構(WHO)の外部組織IARC(国際がん研究機関)が、ラウンドアップの主成分のグリサホートについて「発ガン性の懸念がある」と発表したことがある。

しかしWHOと国連食糧農業機関(FAO)は、合同残留農薬専門家会議で「食事を介して発がんするリスクは低い」とも結論づけている。そしてアメリカやEU、カナダ、オーストラリア、そして日本などの各国政府も同じ見解を出している。つまり「絶対に安全だ」と言い切ることは確かにできないけれども、逆に「発がん性がある」と断定してしまうのも過剰ということになる。グレーゾーンに位置しているのである。

食糧危機を救った一面

いっぽうで、ラウンドアップのような農薬や化学肥料が世界に果たした大きな役割も忘れてはならない。

第二次世界大戦後の人口爆発で、アジアでは1950年代から60年代にかけて食糧危機が懸念されていた。この危機を乗り切ったのが60年代の「緑の革命」である。これは化学肥料や農薬、品種改良などによって農産物の生産量を一気に引き上げることに成功したというものだ。2000年までに穀物の生産量は3倍になり、栄養失調の人の数は急減した。「緑の革命」によって面積あたりの生産量が増えたことや、穀物の価格が下がったことで、森林をむやみに伐採して農地にすることを防ぐことができたメリットもあったと言われている。

このように農薬や化学肥料は、飢餓をなくすことに大きな貢献をしている。発がん性などの農薬のリスクはもちろんゼロとは言い切れない。化学肥料も使いすぎれば土地が痩せてしまうなどの問題もある。しかしそれは「絶対悪」なのではなく、「プラスの面もあればマイナスの面もある」ととらえるべきことなのだ。

だから求められる姿勢は、プラスマイナスの両面をつぶさに見た上で、どう折り合い、調整し、バランスを取っていくということなのである。ゼロリスクではなく、リスク(危険)もベネフィット(利益)もあることを理解して、そのバランスを考えるのが大事なのだ。

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リスクをゼロにするのではなく、リスクとベネフィットのバランスを考える。それがリスクマネジメントだ Photo by iStock

狂牛病で起きたパニック騒ぎ

農薬や化学肥料のように、少しでもリスクがあると絶対悪として決めつけてしまう「ゼロリスク信仰」は、なぜこれほどまでに日本社会に広がってしまったのだろうか。

歴史を振り返ってみよう。ゼロリスクという言葉が一般的に使われるようになったのは、2000年前後からである。このころイギリス発の狂牛病騒ぎがあり、この過剰な反応を指して「ゼロリスク探究症候群」と呼んだあたりからだ。当時国立犀潟病院医師だった池田正行長崎大医学部教授は『牛肉を安心して食べるための「狂牛病Q&A』(主婦の友社)という2002年の著書でこう書いている。

「現在の日本では、食品を含めて、牛由来の製品の安全性は、欧州諸国以上に確保されている。このような状況下で、牛肉や牛乳を拒否することは、ゼロリスクを求めるあまり、その行動が大きな社会問題を起こすことに気づこうとしない心理、ゼロリスク探求症候群に基づくと考えられる」

狂牛病はネーミングの恐ろしさや、罹患したウシの肉を食べると人間もクロイツフェルト・ヤコブ病を発症するリスクが高まるということもあり、当時の日本社会はパニックになった。マスメディアはリスクをさかんに報じ、牛乳や牛肉を拒否する人が増えて、畜産農家や乳製品の業界は困窮した。

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畜産農家や乳製品業界の困窮につながるほどのパニックだった Photo by iStock

しかし実際には、狂牛病が猛威を振るったイギリスで感染したウシが18万頭だったのに対し、そこから感染したとされるヤコブ病患者は200人に満たない程度だった。日本では感染牛は数十頭ぐらいしか発見されなかった。さらにいえば日本でもヤコブ病は狂牛病とは関係なく、毎年100〜200人が発症し亡くなっているという事実がある。これらの「数字」を無視して、少しでもリスクがあるからと大騒ぎしたのは、まさにゼロリスク信仰だったといえる。

さらに時間をさかのぼると、まだ「ゼロリスク」という言葉があまり知られていなかった1980〜90年代にもうひとつの大きな騒動があった。ダイオキシン問題である。

◇後編「ダイオキシン問題から紐解く「リスクマネジメント」と「ゼロリスク」の大きな違い」ではダイオキシン問題の詳細に加え、日本が健康で清潔で道徳的な国になっていったからこその「変化」についてお届けする。

後編「ダイオキシン問題から紐解く「リスクマネジメント」と「ゼロリスク」の大きな違い」はこちら

佐々木俊尚さん短期集中連載「ゼロリスクとは何か」

第1回 前編「狂牛病は18万頭で被害者200人弱…「ゼロリスク」騒動は無限に繰り返されるのか
第1回 後編「ダイオキシン問題から紐解く「リスクマネジメント」と「ゼロリスク」の大きな違い
第2回「弱者の前でリスクがないと言えるのか」ゼロリスク信仰を生むメディアの構造的問題
第3回「薬物・アルコール・タバコ…依存症の新たな治療「ハームリダクション」の効果

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