安田猛氏死去 同級生の六大学通算48勝・山中氏に「お前のお陰でプロで通用できた」

安田猛氏死去 同級生の六大学通算48勝・山中氏に「お前のお陰でプロで通用できた」

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  • 更新日:2021/02/23

プロ野球元ヤクルトで通算93勝を挙げた安田猛さんが20日に死去したことを受け、東京六大学時代に左腕エースとして投げ合った全日本野球協会・山中正竹氏(73)がコメントした。

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早大時代の安田猛さん(1967年)

次々と同級生が亡くなっていく。安田ともいろいろあったな。

最初の対戦は高校3年春の九州大会決勝。私が大分・佐伯鶴城、彼が小倉高のエースとして投げ合った。そこからずっと付き合いが続いてきた。

大学で先発として投げ合ったのは2試合だったかな。ボクは(法大のエースとして)1年から投げたけど、安田は(早大)3年頃から出始めてね。3年秋(68年9月23日)には彼に1―2で完投負けしたんだ。前日、田淵さんが左手首に死球を受けて欠場したから、チームは打てなかった。

卒業したら1年目の都市対抗でもぶつかった。私は住友金属、彼は大昭和製紙の主力として準決勝で投げ合うことに。ただボクは早々とノックアウトされて、大昭和製紙はそのまま優勝。安田も橋戸賞をもらって、そのままプロに進んだ。

その後も会う機会は多かったけど、彼から事あるごとに言われたことがあった。

「オレがプロになって成功したのは、大学時代にお前の投球を見ていたからんだな。それは左投手が(右打者の)外角のボールをうまく使えば抑えられるということ。今まで左投手は内角に食い込む直球と、ヒザ元に落とすドロップを投げ込ろ―とばかり叩き込まれてきた。それが山中は外角を使って打ち取っていく。かなりの衝撃だったね」。

体格にも球威にも恵まれなかった安田氏が後年嬉しそうに話す姿を、山中氏は今でも思い出すという。(伊藤 幸男)

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