極度のあがり症だった偉大な哲学者が「強いプレッシャー」を克服できた"ある気づき"

極度のあがり症だった偉大な哲学者が「強いプレッシャー」を克服できた"ある気づき"

  • PRESIDENT Online
  • 更新日:2021/05/02

職場でも家庭でも何かと「成長していないな」と感じることはありませんか? 成長はしたいけれど、同じ失敗を繰り返してしまったり、強いプレッシャーが伴って心が疲れてしまったり……。哲学者の小川仁志さんは、「人は成長を望む生き物。問題はそのせいで人生がプレッシャーとの戦いの日々になってしまうこと」と言います――。

※本稿は、小川仁志『幸福論3.0 価値観衝突時代の生き方を考える』(方丈社)の一部を再編集したものです。

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写真=iStock.com/Sean_Warren※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Sean_Warren

なぜ人は失敗を繰り返してしまうのか

「ああ、自分は成長してないな」と感じることはありませんか? そういうときは落ち込むものです。自分が嫌になることさえあるでしょう。私もそう感じることがよくあります。いちばん多いのは、同じ失敗を繰り返したときです。

人は失敗から学ぶといいます。実際、失敗は心に残りますから、それを教訓にして次はうまくできるように対策を練るものです。にもかかわらず、同じ失敗をしてしまう。ということは、成長していないということです。

成長できない理由

やはりそれは本当の意味で経験をしていないからでしょう。つまり、失敗を含め、自分が経験したことをちゃんと自覚していないからだと思うのです。

たとえば、失敗の原因を分析し、二度と同じ過ちはおかすまいと心に誓うなどしていれば、さすがにそう簡単に同じ失敗は繰り返さないはずです。

ところが多くの場合、「今度は気をつけよう」と軽く思う程度ですませているのです。

経験の自覚、それこそが人を成長させるカギを握っているといえます。

その点で参考になるのが、近代ドイツの哲学者ヘーゲルの『精神現象学』です。

書名を聞いただけでは難しそうですが、趣旨は簡単です。つまり、意識は経験を経て成長していくというものです。もともとは「意識の経験の学」というタイトルがついていたくらいです。

いったいどうやって意識は成長していくのか。ヘーゲルはそれを意識が旅を経て成長する物語として語っています。

意識は旅をする中で、成長するごとに名前を変えていきます。最初は素朴な「意識」だったのが、「自己意識」、そして「理性」へと成長していくというのです。

傍観者から当事者へ

最初の意識とは、知のもっとも低い段階だとされます。なぜなら、意識は何か対象を見たとき、それと自分とは関係なく、あくまでその対象を一方的に眺めているにすぎないと思い込んでいるからです。たとえば職場で何か問題が起きても、すっかり傍観者を決め込んで、自分は関係ないと思っているような態度です。ところが実際には、ほかでもない自分自身がその対象を認識しているわけですから、無関係ではないはずです。

そのことに気づくと、自己意識へと成長します。職場の問題は、自分にも関係があると気づくということです。

さらに自己意識は、他者との関係で認められることによって、はじめて自分の意義を認識していきます。だから他者に認めてもらおうと、アプローチを始めるのです。

社会の中の自分を認識

これについてヘーゲルは、「主人と奴隷の弁証法」と呼ばれる有名な比喩を使って説明します。

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※写真はイメージです(写真=iStock.com/Grafissimo)

どういうことか紹介しておきましょう。

二人の人間がお互いに認めてもらおうと生死を賭けて闘うとどうなるか。勝ったほうが主人になり、負けたほうが奴隷になります。すると、奴隷は主人に従属し、主人のために働くことになります。

ところが、やがて主人のほうこそ奴隷の労働なしでは生きていけないことを認識するようになるのです。こうして奴隷は承認を獲得していくというわけです。自己意識もそうなのです。他者に認めてもらおうとして闘い、その結果ようやく承認を獲得する。その繰り返しの中で、他者が構成する共同体、つまり社会の中における自分を認識します。これが最後の理性の段階です。

職場の問題の例でいうなら、自分自身が職場を構成する一員であることに気づき、その中で問題解決のために主体的に役割を果たすということです。もし周囲の人がそんなあなたの姿を見たら、「あいつ成長したな」といってくれるはずです。

人が飛躍的に成長するとき

成長というのは、時間がかかるものなのです。その道程もけっして楽ではありません。

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小川仁志『幸福論3.0 価値観衝突時代の生き方を考える』(方丈社)

ただ、人間というのは不思議なもので、それだけが成長のあり方だともいえません。

皆さんはある人が飛躍的に成長するのを目にしたことはないでしょうか? あるいは自分自身、なぜか急に成長したように感じることはないでしょうか?

もしかしたら、そこにはフランスの哲学者ベルクソンが唱える独自の進化論が関係しているかもしれません。

ベルクソンは、エラン・ヴィタールという概念を掲げています。直訳すると「生命の飛躍」という意味です。

つまり、ベルクソンによると、生命はけっして単線的進化を遂げたのではなく、むしろ多方向に爆発的に分散することで飛躍的に進化する側面があるというのです。

それを証明するために、ベルクソンは異なる進化の系統に属するはずのものが、類似した構造を持っている点に着目します。たとえば、軟体動物と脊椎動物という異なる進化の系統に属するはずの生物が、共に目のような複雑な器官を持っているのはなぜか考えたのです。

哲学者ベルクソン「進化論」から考える精神の「進化」

ベルクソンの説明はこうです。体の組織が、解決しなければならない問題との関係で臨界点に達したことによって、予測不可能な生命の変化を生じたというのです。いわば、何かを見たいという強い欲求がエネルギーとなって、それが臨界点に達し、目という器官が形成されたと考えるわけです。

少なくとも、人間に関していえば、こういうことはありそうな気がします。

よく筋肉を鍛えるには、その鍛えたい部分を意識してやらないとダメだといいます。そのように意識してトレーニングしていると、そこに神経が集中し、急速に成長したように感じることができるのです。身体と意識がつながっている以上、精神的な部分についても同じ理屈が当てはまるのではないでしょうか。

成長するには強く願う気持ちが必要

だから飛躍的に成長したければ、強く願えばよいのです。もちろん何もしないと成長しませんから、努力も必要でしょう。

失敗を繰り返さないようになりたいとか、他者にもっと寛容でありたいとか願うなら、それに見合う行動をとらなければなりません。

そのとき、成長への思いが強ければ、短い期間で変わることができるに違いありません。周囲はその様子を見て、「急成長したね」と褒めてくれるはずです。

急成長することが必ずしもいいことだとは限りませんが、成長しない自分が嫌で、自信を喪失しているようなら、特効薬が必要でしょう。急成長はそんな特効薬になり得ると思います。

ただ、忘れてはいけないのは、特効薬は効き目が短いということです。たとえ急成長したとしても、着実に成長し続ける努力も怠らないようにしたいものです。

成長したい人ほどプレッシャーを感じる

人間は何かをして生きています。特に社会の中で生きていますから、必然的に人前で何かをすることが多くなります。話をしたり、何かを見せたり。

また人間は成長を望む生き物ですから、難しいことに挑戦します。そうして成長していくのです。

そして、このいずれのシーンにおいても、緊張します。つまり、プレッシャーと戦っていかなければならないのです。

私も緊張するタイプなのでよく分かります。人前で話すときは、何度やってもプレッシャーを感じるものです。大学で講義をするときもそうです。何度もやっているのに。

けっして講義が嫌なわけではありません。むしろ好きなのですが、なぜか緊張してしまうのです。おそらくうまくやりたいという気持ちが強いのでしょう。それでプレッシャーを感じてしまうわけです。

「強いプレッシャーとの戦い」は人生を苦しめる

先ほど成長という話をしましたが、私の場合、さすがにもう試験は受けません。でも、新しい企画を提案したりすることは多々あります。これは試験みたいなものです。そのたび、採用されるかどうかドキドキします。どんな反応がくるか心配なのです。

それがプレッシャーになるなら、やめておけばいいようなものですが、成長したいのでついチャレンジしてしまいます。自分から進んでオーディションを受けるようなものです。そう考えると、プレッシャーを感じる人というのは、きっと目標が高く、成長に対する欲求が強いのでしょう。

成長に対する欲求が強い。それ自体はいいことなのですが、問題はそのせいで人生がプレッシャーとの戦いの日々になってしまうことです。本来楽しいはずの人生が、とても苦しいものになってしまうのです。

だからといって、目標を下げたり、成長をあきらめたりはしたくはない。誰だってそうではないでしょうか? 高い目標を掲げたり、成長欲求を抱きつつも、もう少し楽に生きる方法はないものか。

そこでいくつかの哲学を概観しながら、その可能性を探ってみたいと思います。

プレッシャーを受け止め覚悟を決める

難易度が低い順に紹介していきたいと思います。まずはドイツの哲学者ニーチェの超人思想です。

ニーチェはプレッシャーについて論じたわけではありませんが、彼の超人思想はいわば開き直りの思想なので、役に立つように思うのです。

ニーチェはいいます。「人生は同じ苦しみの繰り返しだ」と。それは逃げても逃げても追いかけてくる悪夢のようなものです。だとすれば、その悪夢から逃れる方法はただ一つです。逆説的ですが、いっそ受け止めてしまうことです。

もちろんそんなことができるのは、意志の強い超人のような人だけでしょう。だから「超人思想」と呼ぶのです。

プレッシャーも同じです。「ええい、こうなったらやってやる!」と思いきらない限り、緊張は消えてくれません。覚悟を決めるということです。

ただ、これだとプレッシャーがなくなるわけではないので、かなり気負い続ける必要があるかもしれません。そこで、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルの宇宙思考はいかがでしょうか。

「失敗なんて大したことない」と考える

ラッセルは二十世紀の知の巨人といわれるほどの偉大な哲学者です。と同時に、ノーベル賞を授与されながらも、何度か投獄されているほどの筋金入りの平和活動家としても知られています。

そんなラッセルですが、若いころは極度に緊張するタイプで、講演会の前などには、足の一本でも折れてくれればやらなくてすむのにと思っていたそうです。世界に向けて力強く反戦を訴えるほどの人なのに!

どうして彼がプレッシャーをはねのけることができるようになったかというと、それは宇宙思考を見出したからです。といっても宇宙物理学の話ではありません。そうではなくて、自分がどんな失敗をしようが、どのみちこの宇宙には影響はないと考えるようになったというのです。なんと楽観的なのでしょうか。

プレッシャーを感じるのは失敗したり、うまくいかなかったりしたときのことを考えるからです。それならラッセルのいうとおり、失敗なんて大したことないと思えるようになればいいだけのことです。

ただし、これは目標を下げるのとは違います。目標の高さはそのままに、プレッシャーの度合いを下げるだけです。

気負わない、抗わない…。それが最善

それでもそんなふうに想像できる人ばかりではないでしょう。そこで難易度は少し上がりますが、受け止めるのでも想像するのでもなく、むしろかわすという方法はいかがでしょうか。中国の哲学者、老子の思想です。

老子は、何もしないことによって、実はすべてのことをしているのだと説きました。それを分かりやすく表現しているのが、「上善は水の如し」です。

「最上の善は水のようにさからわない状態だ」という意味です。たしかに水は流れていくだけです。さえぎるものがあっても、道が曲がっていても、そのまま従います。そしてすっと流れていくのです。抗うことはないにもかかわらず、きちんと流れていく。これが最善の状態だといいます。

これをプレッシャーに置き換えると、気負うことなくやるという感じになるでしょうか。やるのだけれども、気負わない。別に宇宙を想像するのでもありません。ただ、さからわないだけです。何に? それは自分の身体に起こるすべての現象に、でしょう。喉が渇けば水を飲む。息苦しければ窓を開ける。「わーっ」と叫びたければ叫ぶ。やってはいけないと思うからプレッシャーが高まるのです。

いつでも逃げ出すことはできる

緊張するといろんな欲求が生じます。ならばそれに従えばいいのです。走って逃げだしたくなったらどうするか? それもやればいいのです。でも、最後は逃げ出せると思っていれば、そういう気にはならないものです。逃げられないと思うから緊張するのです。

人生は誰のものでもありません。ほかならぬ自分のものです。ですから、高い目標を掲げるのも、成長したいと望むのも自分なのです。嫌ならそこから逃げ出すことは可能です。何ものにも強制されているわけではないからです。にもかかわらず自分が好んで戦おうとする。これが人間の素晴らしさだといっていいでしょう。

なんだか緊張できる、プレッシャーを感じることができるというのも、また素晴らしいことであるように思えてきませんか? プレッシャーを楽しめる人生を送れるといいですよね。

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小川 仁志(おがわ・ひとし)
山口大学国際総合科学部教授
京都府生まれ。京都大学法学部卒業。名古屋市立大学大学院博士後期課程修了。伊藤忠商事勤務、フリーターの経歴を持つ。市民のための「哲学カフェ」を主宰。
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小川 仁志

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