隣の芝が青いように、うちの芝も青いはずだ

隣の芝が青いように、うちの芝も青いはずだ

  • かがみよかがみ
  • 更新日:2021/04/07
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大学生になって、今まで以上に自分の容姿について気にするようになった。コンプレックスが今になって大量発生してきている。

まんまるで、少しエラが張った顔。太めの太もも、アンバランスな脚。猫背。狭い二重幅。唇の厚さ。下がっている口角。太い眉毛!

今思いつくだけでもこんなに。

なんでだろう。自分じゃなければ、そうは思わないのに。少しふっくらしているあの子は、柔らかい雰囲気を出していて素敵!とか、眉毛がキリッとしていて、奥二重の少しつり目なあの子は、アンニュイでクールな顔に見えてお洒落だなとか。本人は、もしかしてコンプレックスに感じているのかもしれないようなことでも、私からみたらそれがその人にはなくてはならないパーツのように感じるし、いいなあって思うのだ。

でも自分だと、どうしてもそうは思えない。厳しい評価の目で自分を見てしまう。もっとリンパマッサージをして小顔にならなきゃ、エラは後毛で隠さなきゃってどんどん自分の嫌なところを見つけて誤魔化そうとしてしまう。

「もう毛を剃らないでほしい」と言われ、剃刀を捨てた。彼はとても嬉しそうだった

自分の粗探しばかりするのは、自分のことを信用できていないから

私だって、自分のコンプレックスも可愛いって思いたいし、ダメなとこも含めて自分のことを大好きでいたいんだ。なのに、どうして自分の粗探しばかりしちゃうんだよう。

もしかしたら、自分のことを信用できていないからなのかもしれない。いくら自分で自分に向かっておーい!そのままでいいんだよー!素敵だよーって言ったとしたって、それはなんだか説得力がなくて、素直に頷くことはできない。他の人に同じように言ってもらったら、きっとすごくすごく嬉しいのに。

だから私は、自分のコンプレックスにばかり目が行ってしまって自分を好きになれない時はいつも、おばあちゃんの手を思い出すようにしている。

おばあちゃんの手はしわくちゃだ。シミもこれでもかというくらいたくさんある。でも私は、その手が今まで、毎日ご飯を作ったり、掃除をしたり、時には私のバスケットボールをしてくれたりしていたことを知っている。

おばあちゃんの手には味がある。歳を取ったらこんな手になりたいと思わせるような何かがある。生き方は手に表れるっていうのは、あながち嘘ではないだろう。

私の身体にだって、今まで一生懸命生きてきた証が刻まれている

そして、また思い直すのだ。

20年弱生きてきた自分の身体にだって、自分が今まで一生懸命生きてきた証がたくさん刻まれている。例えば、私の太ももが太くて、アンバランスな脚に見えるのは、今までサッカーやバスケやダンスでたくさん走り込んで足に筋肉がついているから。猫背なのも、ずっと机に向かって勉強していたから。太い眉毛は私の意志の強さを現している!口角が下がっているのは、今までたくさんしんどい場面を切り抜けてきたから。顔が丸いのは……わからない!まあでも、愛嬌があると思えばいいか。

こう考えると、私は今までたくさんのものと闘ってきたんだな、と思う。この身体と共に。愛おしくなる。自分を自分で抱きしめたくなる。本当にそんなことをしていたら気持ち悪いけれど。

歳を重ね、妊娠出産を経てきっと私の身体にはもっと証が刻まれていく

私は今19歳で、これからもっと歳を重ねていったら、シワもクマも増えて、体型も今の理想とはかけ離れていくかもしれない。白髪や薄毛に悩まされていたりして。

でも、それと同時に私の身体にはもっとたくさんの証が刻まれていくに違いない。妊娠や出産を経て、体質が変化して太りやすくなっても私はきっと、赤ちゃんが天からお肉をたくさん運んでくれたんだと思うだろう!

周りにはたくさん可愛いくてお洒落な子がいて、たまにそんな子達と自分を比べて落ち込む時もあるけれど、私は私を生きていればいいのだ。私には私だけの愛すべきところがたくさんあるのだから。

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たん

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