〝時の人〟東北・佐藤洋監督が巨人時代に見せた〝野球脳〟 川相のバントに合わせ二塁から生還

〝時の人〟東北・佐藤洋監督が巨人時代に見せた〝野球脳〟 川相のバントに合わせ二塁から生還

  • 東スポWEB
  • 更新日:2023/03/19
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巨人軍新入団選手発表記者会見に出席した(前列左から)上田和明、正力亨オーナー、王貞治監督、金城基泰(後列左から)藤本建治、藤岡寛生、井上真二、佐藤洋、小幡晴彦、佐野元国、鴻野淳基、原田明広(1984年)

【赤坂英一 赤ペン!!特別編】今年のセンバツ、開幕戦で初戦敗退した東北・佐藤洋監督が、一躍〝時の人〟となっている。

18日の第1試合、初回に敵失で出塁した選手がペッパーミル・パフォーマンスを披露。ベンチの選手も一斉に同じ仕草をしたところ、佐藤監督が審判に注意された。これに「なぜいけないのか、理由を知りたい」と真っ向から反論したのだ。

「これだけ(WBCで)日本中が盛り上がっている。なんでこんなことで、子供たちが楽しんでいるのを大人が止めるのか。(高野連は)自由に野球を楽しむことを考えてもらいたいです。高校野球のスタイルをちょっと変えたほうがいいんじゃないかな」

この佐藤監督、就任1年目に指導法を一新し、母校を12年ぶりのセンバツ出場へ導いた。

頭髪を自由化し、練習ではユニホーム着用を義務づけず、選手に自分を「ヒロシさん」と呼ばせる。さらに試合は選手任せのノーサインと、常に自主性尊重の方針を徹底してきたという。

そこで思い出したのが、佐藤監督が巨人選手時代に見せた好プレーである。佐藤は1984年秋のドラフト4位で電電東北から内野手として巨人入り。実働6年で打率2割5分4厘と平凡な成績に終わったが、要所で首脳陣を唸らせるいい働きを見せた。

そのひとつが92年7月29日、甲子園の阪神戦。巨人が2―1と1点をリードした9回二死満塁、打者川相(現巨人総合コーチ)という場面だった。阪神が前進守備を解き、三塁手オマリーがベース後方に下がる。すると、二死にもかかわらず、川相はオマリーの足元へバントしたのだ。

すぐさま本塁に駆け込んだ三走・大久保(現巨人打撃チーフコーチ)に続いて、一気に本塁を陥れた二走が佐藤。川相がバントをする前、彼は早くもスタートを切る準備をしていたのだ。

試合後、川相はバントがサインではなく、独自の判断だと明かした。

「アレは打席に入る前に考えついたんですよ。オマリーが後ろに下がったし、シンカーを狙えば打球が死ぬと思って」

佐藤はニヤリと笑いながらこう話している。

「何をやってくるかわからない川相のことですからね、二死からでもバントがあるぞと、僕も予想してたんですよ」

佐藤監督は当時から、そうした優れたセンスと〝野球脳〟の持ち主だった。31年前の佐藤の好走塁、川相コーチは「もちろん僕も覚えています」と話している。

赤坂英一

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