
秋季練習で走り込む小林(先頭)。隣は高橋一、右端は新浦=昭和50年11月、多摩川練習場
「放任主義」から一転、昭和50年オフ、巨人軍は11箇条の〝長嶋憲法〟を制定した。
①グラウンドでは禁煙
②練習中は座らない
③グラウンド内は常に駆け足
④道路を横切るときは横断歩道を渡る
⑤練習中は声を出す
⑥あいさつの励行
⑦練習中は歯を見せない
⑧グラウンド内での私語厳禁
⑨車の運転には注意する
⑩集合は練習開始30分前
⑪ユニホームの裾はヒザまで上げる
なんだか可愛い。もともと2軍の合宿組を対象に作られた規則を、2軍監督から1軍打撃コーチとなった国松が提案し、1軍でも採用されることになったのだ。
10月、雪辱への厳しい秋季練習が始まった。そして「大事件」が起こった。雨が降ったある日、練習の途中で緊張をほぐそうと小林は1歳年上の新浦とふざけ合った。2人の笑い声が室内練習場に響く。とたん杉下コーチの怒鳴り声。
「ふざけるな、この馬鹿者が! オレがよしというまで外で走っとけ!」
小林と新浦は雨の中を走った。
「長い練習の途中でほんの一瞬、気が緩んだのかな。叱られて当然と思って走ったよ」
雨の中、1時間、2時間とずぶ濡れになって走った。3時間がたった。もうそろそろ許してもらえるかな…と練習場へ戻ると、コーチも仲間たちも誰もいない。「どういうこと? 今度のコーチはこんなひどい仕打ちをするの」。小林はドクン、ドクンと自分の心臓の鼓動が高鳴るのがわかったという。
「完全にブチ切れた。とてもじゃないがこんなコーチとは一緒に野球をやっていけない。ユニホームを脱ぐ。辞めてやる―と腹をくくったんだ」
すぐにカーッとなり、一度こうと決めたら一直線。それが小林のいいところでもあり悪い癖。宿舎に戻ると宮田コーチに電話をかけた。
「お世話になりました。辞めます。再就職先を探します」
もちろん翌日の練習にもでない。
「プロゴルファーになろうと思った。プロの知り合いもいたしね。栃木県佐野市にあるゴルフ場の〝研修生〟になる段取りをつけたんだ」
自室でクラブを磨く小林に一本の電話がかかってきた。(敬称略)