来年結成40周年!「PERSONZ」のヴォーカリストJILLさん。コロナ禍、自分たちの歌300曲、ちゃんと歌えるのかやってみた。閉経前後は、自分をコントロールするのが大変で

来年結成40周年!「PERSONZ」のヴォーカリストJILLさん。コロナ禍、自分たちの歌300曲、ちゃんと歌えるのかやってみた。閉経前後は、自分をコントロールするのが大変で

  • 婦人公論.jp
  • 更新日:2023/05/26
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中脇さん(左)とJILLさん(写真提供◎中脇さん)

新型コロナ下での生活も3年となり、これまでよりストレスを感じて暮らしている方も多いのではないでしょうか? ステイホームでも、一人でもできる、自分を癒したり元気づけたりする習慣をもっていることは、精神の安定や免疫UPにも役立ちます。Perfumeやきゃりーぱみゅぱみゅなどのヒット作品に携わり、アーティストやクリエイターの成功とメンタルの関連性について研究を続けている音楽プロデューサーの中脇雅裕さんの連載「美しくそして健康に 音楽のあるHappy Life」。第16回は「ミュージシャンの若さと健康の秘訣」です。

【写真】大きな王冠をかぶったJILLさんと、メンバーの皆さん

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ミュージシャンの若さと健康の秘訣

何度かこのコラムで「ミュージシャンは若い!」というお話をさせて頂いていますが、今回は来年に結成40周年を迎えるPERSONZのヴォーカリストJILLさんにその若さと健康の秘訣をいろいろと伺ってみました!

中脇:N)JILLさん、初めまして!お会いできて光栄です。PERSONZ、来年は結成40周年なんですね。早速ですが、このコラムは音楽と健康をテーマにしているのですが、JILLさんは健康そのものですよね?

JILL:J)そう健康ですね。持病的なものはないし、人並みにコレステロール値がちょっと上がってくるとかはありますけど。女性はどうしても閉経したあとに上がるらしいので、そういうこととは日々、戦ってます! (笑)ただ背負っているような病気はないですね。

N)やはり健康維持には気をつけていることはあったりするんですか?食事や運動とか。

J)食事には気をつけていますね。最近はファスティングしたりしてます。家に普通にいるときは自分のペースでできるし、内臓を休めさせることもできますしね。最近、良いアプリがあって、そのアプリがファスティングのコントロールしてくれるんです。「水飲んでください!」とか…。私は今、一日一食にしてるんですけど「何時間抜いてます」とか「今脂肪燃焼する時間です!」とか言ってくれる。

N)良いですね!私も一食というか1日の中で8時間だけ食べて、あとの16時間は食べない。そんな食事の取り方をある本で知って、3ヵ月ほど続けていますが9Kgほど落ちて体調もとても良いです。

J)私の場合は20時間以上食べなくて、夜の7時から10時の3時間だけ食べます。短いですよ(笑)、3時間だけ。ただ、それはあくまで基準としてあるだけで、誰かとご飯行くみたいな時はその限りではなく…。ゆるくやってます。
ただ、やっぱり、これからツアーがあるので、今はあまりゆるくは出来ないです。(笑)
コロナ禍に何回かはライブやったけれども、本気で3ヵ月のツアーやるのは2019年以来、約4年ぶりなんですよね。自分の年齢は、もちろん上がっているし、体調を整えるっていう意味でも、1日のペースを自分で作らないといけないですね。例えば朝昼晩3度しっかりご飯を食べてしまうと多分疲れちゃうんですよ。

YouTubeで歌のトレーニング

N)特にツアーがあると、健康に気を遣われますよね。やはりシンガーの方は喉のケアとか大切にされていると思うのですが、人によってそれぞれ違うんですか?

J)私は50歳になるまでずっと自己流で歌っていて、喉のケアの仕方も自分なりの方法でしかやってこなかったんです。でもこれじゃダメだと思って…。このままでは声を維持できるはずがないって思ってトレーナーをみつけようと思ったんです。だけど、なかなか良いトレーナーが見つからなくて、学校に行くわけにもいかないし、誰かいないかなと思って探していたんです。実は、デビューしてすぐに、ヴォイストレーニングを受けたことがあったのですが、どうも先生と合わなくて辞めてしまった。それで、そのままほったらかしてきちゃってたんです。でも、やっと良い先生と巡り合えて一から声の出し方を習ったんですよ。実はその先生の第一声が「JILLさん、親父だね」って言われて…。「直球だよね。声のコントロールが出来てないかなぁ」って。(笑)
そこで根本的に自分の声をコントロールしなきゃいけないと思い、1年ぐらいしっかりトレーニングしたかな。

思ったのは、やっぱり声は出してないといけない。コロナ禍で皆さんマスクをしていて喋るのもなんか小声だったりで…。それが3年間続いたので、今、マスクを取って人と喋るのはすごい大変だと思うんですよ。マスクに慣れちゃってるしね。私は今、何とか社会復帰しようと思って、なるべくマスクをしてないんですけど。
でも、やっぱり恥ずかしいからってマスクをしちゃう人いるでしょ。女の人は特に。化粧しなくていいし。だけど、マスクをしてコソコソって喋る癖がついていると、やっぱり喉が衰える。前は喉を使いすぎて、耳鼻咽喉科行く人多かったけど、今は声が出ないって行く人が多いって聞くしね。

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N)へえ!喉を使わなさすぎて声が出なくなるんですね。

J)だって下手すると自宅でリモートとかで1人でずっと仕事するでしょう。そうすると声を出さないので、結果出せなくなる。私は自分で1年間のヴォイストレーニングで培ったメソッドがあるんで、それで声を出したり…。あと、昨年、一番コロナで外出できない時期に配信をしたんですよ。最初はインスタだったけど、次はYouTubeで。自分達の曲が300曲ぐらいあるのですが、その曲をCDでランダムにかけて、ちゃんと歌えるのかっていうのやってみたわけですよ。「皆さん、次の曲、私は歌えるでしょうか!?」みたいな。(笑)

300曲もあると忘れている曲もあって。一瞬、このイントロなんだっけ?って。それをファンの人と一緒にやったらすごく喜んでくれて。
最初は4〜5曲のはずが、だんだん1時間コースになって、多い時は17曲も歌っちゃって。 実は、家で歌うって、ライブとは状況が違うので、やっぱり声のコントロールをする必要があって、結果すごく良い歌のトレーニングになりました。
あと、ちょうど同じ時期に「三味線JILL屋」っていうユニットをやり始めたのですが、それも家の中でマイク使わないで歌うわけですよ。日本家屋だったりしてね。そんなことをしていたら、声のコントロールもしっかりできるようになってた。
でも結局は、身体のコンディションが良いおかげかな。

三味線JILL屋

N)三味線JILL屋を始めたのは最近なんですか?

J)始めたのは2017年です。このコロナの間もライブを3回ぐらい頑張ってやりました。

N)なんで三味線ユニットをやろうと思ったんですか。

J)たまたま知り合いに三味線を弾く人がいたんです。それも2人。
1人は三味線の家元で、1人は芸者さん。三味線を目の前で弾いてもらったときに、すごく懐かしくて。私、生まれたところが浅草なんですけどね、浅草のおばあちゃん家に行ったときに、こんな音を聴いたことあるなって思い出して…。これをバックに歌ってみたいって自然に思ったんです。
その2人は邦楽の人だったけれど、理解があって、「PERSONZ、私も知ってるからともかくやってみよう!」って。でも最初のライブがお座敷で正座して歌わないといけないなぁと正座椅子買いました。(笑)

N)正座して歌うんですね!

J)最初はね、お座敷でやったので。私の親戚が、浅草で天ぷら屋をやっていて、そこの30名くらい入る座敷を借りて、3ステージやったんですよ。それがすごく面白くって。生音だけなんです。マイクも使わない。それが楽しくて、自分の声が一番奥の人も聞こえるかっていうことを調節しながら歌うのが、すごくためになって。
このコロナの間も含めて、2017年から今までは、もうむちゃくちゃ激動だったんですよ。自分が変わるっていうか、意識も変わったし。やっぱり歌う、声を出して歌うって、若返るっていうか。やっぱヴォーカリストは感性が若い人が多いですよね。

そもそも歌は好きじゃなかった

N)そうですね、ヴォーカリストの方はみんな若い!ところで歌を歌おうと思ったのはいつ頃からですか?

J)17歳です。でもそもそも歌は好きじゃなかったんです。

N)本当ですか!?

J)自分で歌うことになるとは思っていませんでした。ましてや昔って、カラオケもないし…。歌謡曲を口ずさむこともなかったし、本当に歌ったことなかった。あんまり音楽自体好きじゃないって感じ。

N)歌おうって思ったキッカケはなんだったんですか。

J)実は高校でつまずいて。私立の高校に行ってたんですけど、辞めたんですよね。「嫌だ!こんな軍隊生活みたい」と思って。その高校を辞めたんですが、何をしたいのかがまだなくて。17歳ですからね。でも、やっぱり高校の卒業の資格は取りたいと思って、通信高校に行きつつバイトしてたんですけど、やっぱ鬱々するわけですよ。
何もすることない。私、将来、生きていけるんかしら?って思ったんです。そうしたら幼なじみの子が「ロックコンサートを見に行かない?」って言ってくれて。それがエアロスミスだったんですよ。自分が初めてロックを見たのはエアロスミス。
良いのに行きました。(笑)

それは今でも語り草で、武道館にも初めていったし。武道館の3階のほんとに一番上の席で。その当時のライブって照明の光量がないからステージが暗いんですよね。
なんか音はエネルギッシュだけど、友達に「どの人がエアロって?」(笑)。何の知識もなくて。 そしてアンコールの“Toys in the Attic”っていう曲で「うわー!」って歓声が上がって、バックライトが点いて会場全体が見えたんですよ。そしたら、武道館が超満員だったんです。もうそれまでは暗くて分かんない。昔はみんな椅子に座って見てて、アンコールあたりで盛り上がって立ち上がるんですよ。それを見たときにステージ側でこれを見てみたいって思ったんです。それがキッカケで「バンドでやってこう!」って。

N)そうなんですね!

J)単純ですけど、本当にやることが見つかって良かった。ミュージシャンって音楽学校に行けばなれるものでもないし、マニュアルがないからこそやれると思った。
その頃の鬱々した気持ちが、バンドを始めたことにより、いきなり世界が広がりましたね。最初はベースとか楽器をやってたんですけど、その内、コーラスをやってるときに、幼なじみの子が「JILLの声は抜けるから、歌った方がいいよ」って言ってくれて。それで家でレコード聴きながら合わせて歌い出したら気持ちよかったんですよね。
歌い出してからは、もうそこで感情を全部全開に出せるっていうのかな。そのうち歌詞も書くようになって自分の言いたい事を歌うようになったら、これ以上に発散する場所がないなと思いました。いい職業を選んだなと思います。(笑)

元気でいる大切さ

N)でも、長く活動されていてモチベーションが切れたことないですか?

J)ありますね。2回はあったかな。30歳ぐらいが最初。それも一番忙しいとき。忙し過ぎて、それに自分の気持ちが追いついていかなくなっちゃうっていうか。それと3、4ヵ月ツアーに行ったきりになるんですよ。他のメンバーは全員男性で、話をできる人もいないし、何て言うんだろう、もがいているような…。正直、休みたいってすごく思ってました。急に売れてしまったので、前の年までライブハウスでやってたのが、いきなりホールで「さあ、30、40ヵ所まわりますよ!」とか言われて…。体調もキープしなきゃいけないし、極限な感じをずーっと感じていて。今だったら余裕もあるし、コントロールも利くんですけど、その頃は、どう向き合っていいかわからなかったから…。いつも目一杯のところにいたんです。

N)その時はちょっと休まれてたんですか?

J)休むというよりは逃避行に近いですよね。凄くもがいていて。それで、いろんなことが起きたけど、結局自分がやんなきゃいけないんだなっていうのはありましたね。

N)なるほど。でも今はモチベーションをしっかりキープされている感じですか?

J)そうではありますけど、やはり年齢的な限度をちょっと感じますね。メンバー全員4人集まると「みんなでいつまでやっていけるのかね」って話になります。でもね70歳ぐらいでもバリバリやってらっしゃる方もいるし。だから、今さらですが元気でいる大切さに気がついてるというか…。

最近はメンバーが集まると、体のケアの話になります。ようやく全員60歳を超えたんです。60歳になってる自分たちを、若い時は考えられなかったけど、メンバーの誰一人欠けてももうPERSONZはできないって分かってるので、どこまでいけるのだろうって…。 そして、次はこれが最後だと思うぐらいの気持ちでやらないとねっていう。 ただ、お陰様でうちのメンバーはみんな元気なんですよ。逆に90歳くらいまでできちゃったらそれはそれでどうするんだっていう。(笑)

N)やってください。ギネスブックに挑戦とか!

J)前例としてローリング・ストーンズなんかミックジャガーは80歳近いでしょ。でもドラムのチャーリーワッツが亡くなってしまって…。やはりバンドが変わってしまったなと…。バンドってメンバーが本当に大切なんだなと…。

ソロ活動

N)本当にそうですね。ところで今、JILLさんが特に力を入れてる活動はなんですか?三味線の話もありましたし、ツアーもそうだと思うんですけど。

J)半分はPERSONZというものがあって、半分は自分のソロっていうのがあって…。
そのソロっていうのはいろんな意味でのソロで、昔は全部PERSONZだったんですよね。でもPERSONZはメンバーが一人でも欠けたらできなくなるかもしれない。すると、私はそこで立ち止まっちゃうので、それが絶対嫌だと思ったんです。50歳のときでした。

何のお膳立てもないと何もできなくなるのは嫌だと思って、2017年にソロ活動を始めたんです。
PERSONZはPERSONZ。ソロはソロで。そして自分のプランを立てて、70歳になったらこういうのをしたいなとか…。そんな気持ちで考えています。二つがちょうどいい住み分けになってる。

N)ソロ活動は長期プランができているのですか?

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J)もうできてますね。「70歳くらいにはこうしよう!」というのは凄くあって今から準備しています。

N)やっぱりステージに立っていたいっていうところが大きいですか?

J)「イエーイ!!!」みたいな、いわゆるロックの王道のステージがコロナの間にできなかったこともあって、お客さんが目の前にいないと駄目だなっていうのが本当に分かりました。結構、そのことが具体的には分かんなかったわけですよ。コロナが来るまで。
ライブってお客さんとの一体感なんだって。
あと三味線JILL屋みたいに場所はお座敷でも全然できるステージだっていうのがある事にも気がついたので、何となく70歳になったときには自分の砦を作りたいなって。

N)砦とは場所?

J)あのね、イメージとしては瀬戸内寂聴さんの寂庵みたいな感じのJILL庵を作ろうかなと思って。みんなが訪ねて来てくれる所を全国に何ヵ所か作ろうかと。この何年間の間に、ご縁があって、たくさん知り合いができて、皆んな協力してくれるんです。でもね、コロナがなかったらこういうことは考えなかったと思う。コロナがあって今に繋がってるような気がするんですよ。コロナの時期、悪いことばかりではなかったな。いい意味で準備ができたって思います。

実は、一人の時間が長くて一日中外に出ないことも意外に好きなんですよ。結構、バンドマンは引きこもりタイプが多いから(笑) とはいえ、絵を描いてみたり、ステージで発散できないフラストレーションを何かに向けないとやっていられない。(笑)
それと、例えば、テレビをつけて悪い情報なんかが入ってきてしまうと心配になっちゃう。これから未来がどうなっちゃうんだろうって。そういう時は、今に向かおうとする。自分のやりたいことをまずやる。それは例えば、歌もそうだし、なんか自分でモノを作ったり…。いろんな邪魔なものが入ってきたときには何かやる。今に集中するみたいな感じですね。
それは若い頃はできなかったかな。

アウトプット

N)このコロナ禍で何かしたことはありますか?

J)私は10年間ぐらいプランを立てようとしたんです。で立てようとしたら「コロナで立てられないじゃん!」っ ていう(笑)「だったら準備しよう!コロナが明けたときにいつでもいろんなことができるように、この時間を無駄に使わないようにしよう」って。だから家でも歌ってたし、本当、ベランダで走ってたり、屋上行ってマスクなしで深呼吸したり。家の中でYouTube見ながら毎日違う先生と運動して、とにかくじっとしてなかったですね。

N)今日は JILLさんの元気の秘訣をいろいろと伺いましたが、最後に言い残したことがあれば教えていただけますか?

J)女性の方は特にあるかもしれないけど、ホルモンから来る気持ちの浮き沈みがあるんですよ。30歳のときの自分もそうだったし、閉経前の自分、あと閉経後の自分なんて、もうコントロールするのが大変だった。
やっぱりちょっと気持ちが落ちるっていうかね。そういうときに私は行きつけの婦人科の先生だったり、友達にもそういう話をできる人がいるからいろいろ相談してますね。あんまり自分を閉じ込めない。ブログとかでも「閉経いたしました!」みたいに全然普通に言ってるし(笑)そうしたらなんか、うちのファンはちょっと私より若い人が多いから「そういう話をもっと聞きたい!」って。

あと、コロナが落ち着いて、人と話をしたり、会食するのは、嬉しくてしょうがない。もうなんか楽しくて喋りたくてしょうがないじゃん。人に会うは楽しい!人に会ってお喋りしてアウトプットするのは結構大事だって思ってます。相談も含めてね。今まで全部インプットばかりだったから、アウトプットを今からもうガンガンにしたくてしょうがないっていう。 (笑)

N)それは、ファンの人にとってもありがたい話ですね。ライブやブログ、SNSなどで JILLさんのアウトプット楽しみにしています!

前回「究極の癒し効果!バッハの「G線上のアリア」、ヴィヴァルディの「四季」などで有名なバロック音楽の秘密とは?」はこちら

中脇雅裕,JILL

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