皇室に起こった“婚約破棄”騒動、信じられない「ムチャな理由」! 宮様のワガママで大波乱

皇室に起こった“婚約破棄”騒動、信じられない「ムチャな理由」! 宮様のワガママで大波乱

  • サイゾーウーマン
  • 更新日:2021/05/02

皇室が特別な存在であることを日本中が改めて再認識する機会となった、平成から令和への改元。「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!

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眞子さまと小室さんよりお騒がせ! リアル婚約破棄の皇族

――小室圭さんが長文レポートを出してから、その内容に批判が殺到しています。ネットでは「小室さんとの結婚は考えなおすべき」という論調がいっそう高まった気がしますが、一方で、宮内庁は「眞子さまと小室さんの結婚は規定事実」という構えのようです。過去の皇族方に「婚約解消」の騒動はあったのでしょうか?

堀江 大正時代末~昭和時代初期に、有名な婚約破棄事件がありますね。結論から申し上げると、天皇の結婚の許可が下りた後でも、皇族の婚約破棄は可能のようです。それには凄まじい困難が伴うのですが。

天皇による結婚のおゆるし、つまり裁可が下りたということは、結婚の命が下ったも同然なのですね。とくに皇族は天皇陛下には絶対服従ですから、天皇の命令を拒絶することは無理なのです。この場合、皇族の婚約者が、結婚を辞退するという場合に限って、つまり皇族が、相手から「振られる」という形でなら、婚約解消が可能になりうるのです。

今回お話するのは、久邇宮朝融王(くにのみや・あさあきら・おう)という、近代の皇族の中でも1、2を争うお騒がせの宮様のお話です。

――久邇宮家……どこかで聞いたような……。

堀江 詳しい方はピンと来るかも知れませんが、この方は昭和天皇の皇后である良子さまの父宮でいらっしゃいますね。

さて、1917年9月、久邇宮朝融王と酒井菊子さんの結婚は、両家で結婚の「内約」が交わされ、その年のうちに大正天皇から「内許」が与えられることで動き出しました。これは内定にあたりますが、内許が与えられた時点で、引き返すことは一気に難しくなるのです。

大正天皇の病気の関係で、内許につぐ「勅許」を与えたのは、裕仁親王でした(のちの昭和天皇)。これが1922年6月のことですね。

――ちなみに、眞子さまと小室さんの結婚について、現在の上皇陛下からおゆるしが下りたのは、2017年9月3日のことです。

堀江 眞子さまと小室さんの結婚が、その後に問題が噴出したことでストップしているように、久邇宮朝融王と酒井菊子さんの結婚も、そこで止まってしまったのです。しかし、その理由は朝融王が、菊子さんと「結婚したくない!」とワガママを言い出したことでした。

――えええ……! なぜ急にイヤになったんですか?

堀江 朝融王ご本人の主張では「菊子さんの貞操問題」だそうです。男性関係で妙な噂が立っている女性と私は結婚したくない、と。

しかも、それは根も葉もないうわさにすぎませんでした。うわさの出どころの女性に確かめると「私はそんなことは言った覚えはない!」と否定されてしまいます。「最初はすごく良いと思っていたけど、なんとなくイヤになった」という「だけ」で、朝融王は菊子さんとは結婚したくなくなったらしいのですが、一度口にしてしまったことは、押し通すという困ったお人柄だったようです。

――そんなムチャを婚約者から言われ、菊子さんはどうなさったのでしょう。

堀江 酒井家はこの辺りの資料を公開していません。ちなみに……酒井さんは、この事件の後、前田利為(まえだ・としなり)侯爵の後妻となるわけですが、侯爵との間に授かった娘・美意子さんに語り聞かせた逸話があるのです。ほとんど歴史家の間では取り上げられないのですが、これがすごいんですね。

風貌からのあだ名みたいですが、「唐獅子(からじし)」……つまり、ライオンと呼ばれていた侍女が久邇宮家におり、朝融王と菊子さんの結婚に猛反対。いろいろと手練手管を使って最終的に破談に導いたのはこの女の暗躍だった、と。

――ええっ、本当なんでしょうか。

堀江 菊子さんが愛娘である美意子さんに創作して語った、一種のおとぎ話ではあったのかな、とは思います。ただ、約束どおり、結婚してもらわないと困る! 婚約解消などされたら娘にキズが付く! と菊子さんの父・酒井伯爵が猛主張した背景には、菊子さんの朝融王への好意が少なからず反映されていたのかな……とも思います。

――菊子さんは、あそこまで言われても朝融王に特別な感情を残しており、彼と結婚したかった、ということですか?

堀江 はい。菊子さんの娘・美意子さんが自伝『ある華族の昭和史』(講談社)で語っているのですけど、両者は学習院時代からの顔見知りで、挨拶を交わす仲だったというのですね。当時の皇族・華族の男女は、いくら婚約していても、結婚するまで、親密にお付き合いすることは難しいのですけれど、それでも二人の心はひとつだった、と菊子さんは語っていたわけです。

やっと婚約にこぎつけたのに、そこで結婚を妨害しようとする侍女・唐獅子が現れ、激怒した朝融王は「下がれ、無礼者!」と唐獅子を一喝、「その声は実に雄々しく威厳に満ち、両手の拳はブルブル震えていた」と菊子さんは、美意子さんに語っていたそうです。

――朝融王のキャラクターがまったくつかめないのですが、びっくりです。

堀江 本当に。結局、このケースでも破談しちゃうわけですし。当時、この問題に心を痛めていた西園寺公望の評では、朝融王は「不良」と切り捨てられているんですけどもね。

お話がもどって、菊子さんの父である酒井伯爵がいくら猛抗議したところで、宮家の返事は依然としてNOのままでした。

――どちらも頑固ですねぇ……。

堀江 とくに解せないのは宮家の態度なのです。息子のワガママを、久邇宮朝融王の父宮である邦彦王が諭すところか、熱心に擁護しちゃうのですね~。

この邦彦王という方も、細川家の令嬢・悦子さんという女性を結婚寸前に振ッて、島津家の令嬢・俔子(ちかこ)さんという方に「乗り換え」しちゃったという逸話があるわけです。

――すごい話がポンポンと出てきますが、親子二代でお騒がせ皇族ですか。お父様のときは、問題にならなかったのですか?

堀江 島津俔子さんと、邦彦王のご結婚は1899年(明治32年)のこと。細川悦子さんとモメたのはその前。時代がより古かったこともあるし、このケースでは、天皇によるおゆるしを得ていない段階での破談だったことが幸いしたようです。問題は表沙汰にはならず、久邇宮家で内々に語り継がれるだけの話になっていたようですね。

ところが、大正時代の酒井伯爵は、朝融王に予定通り結婚することを求めつづけました。酒井家の“旧主”である徳川家も間に立ち、宮中関係者も必死の仲介を続けますが、両者の主張は平行線のままでした。

――解決の糸口がまったく見えませんが、次回(5月15日)に続きます!

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