龍馬の幕末日記96:新撰組・見廻組の自白調書が出ても違うという人あり

龍馬の幕末日記96:新撰組・見廻組の自白調書が出ても違うという人あり

  • アゴラ
  • 更新日:2021/04/09

※編集部より:本稿は、八幡和郎さんの『坂本龍馬の「私の履歴書」』(SB新書・電子版が入手可能)、『「会津の悲劇」に異議あり【日本一のサムライたちはなぜ自滅したのか】』 (晋遊舎新書 S12)をもとに、幕末という時代を坂本龍馬が書く「私の履歴書」として振り返る連載です。(過去記事リンクは文末にあります)

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坂本龍馬 Wikipediaより

新撰組の相馬肇、大石鋤次郎、横倉甚五郎は次のように供述した。

「相馬」新撰組の内部で犯行に及んだのは見廻組だということで新撰組の疑いは晴れたと回覧文が来た。

「大石」下手人は見廻組の海野、高橋、今井信郎、他一人。薩摩に捕らえられて原田佐之助の刀と鞘だと犯行を自白したのは拷問が怖かったからだ。さすが見廻組と感心するのを聞いた。近藤勇が自分たちが殺したようなことをいったとすれば、どうせ打ち首だからどうでもいいと思っただけだろう。

「横倉」局長から龍馬を殺したのは新撰組だというようにいわれているので襲撃などに油断するなと指示があった。

そして、厳しく取り調べられた今井信郎は、「龍馬の幕末日記91:ついに龍馬暗殺」で紹介したような暗殺現場の詳細を供述したのである。

そして判決が下されて今井は無期禁固となった。明治二年9月20日である。

そして、明治5年正月、政府は大々的な赦免を行い、今井信郎も出獄できたのである。

こうしたことは、非公表ではなかったのだが、SNSもなく、情報が広まることもなかった。

しかし、今井が甲斐新聞の記者に話した者が、「近畿評論」という雑誌に載ったのが、明治33年で、それをみた谷干城がこれは嘘だと騒いだので話がややこしくなった。

それでも、今井は何度も細かく説明しようやく見廻組ということになり、先に書いたように、見廻組に命令を出した手代木直右衛門も容保ないし定敬だと自白したのに、それでも違うという人がいるのだから、日本人の陰謀史観鋤には付ける薬がない。

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八幡 和郎

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