オリラジの吉本退社、小林賢太郎の引退から考える「テレビ芸能界」の終焉。“テレビからネットの時代”の行く末とは?

オリラジの吉本退社、小林賢太郎の引退から考える「テレビ芸能界」の終焉。“テレビからネットの時代”の行く末とは?

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  • 更新日:2021/01/14
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2020年1月、20年代の始まりに『ポスト・サブカル焼け跡派』という書籍を上梓した1984年生まれのふたり組のテキストユニット、TVOD。同ユニットのパンス氏とコメカ氏のふたりが、前月に話題になった出来事を振り返る時事対談連載の第2回をお届けします。

今回はラーメンズ小林賢太郎の表舞台引退とオリエンタルラジオの吉本興業退社の話題からスタートして、「テレビ芸能界」からYouTubeやオンラインサロンへと活動の場を移しつつあるお笑い芸人たちの動き、さらにその先の展開について考えていきます。

ラーメンズ小林賢太郎の表舞台引退とオリラジの吉本興業退社

パンス 明けましておめでとうございます。昨年は世界もTVODも怒涛でしたが、新年最初の対談となりますね。12月の話が中心になるかと思いましたが、どうでした?

コメカ 12月も相変わらずCovid-19感染拡大が止まらなくて、これはホントにどうしたものか……と思いながら過ごしていました。とりあえず先月の文化に関するニュースで個人的にウワッと思ったのは、ラーメンズ小林賢太郎の表舞台仕事からの引退と、オリエンタルラジオの吉本興業退社。

【HP更新】
“小林賢太郎より”を更新しました。
「肩書きから「パフォーマー」をはずしました。」 pic.twitter.com/6f07QlDqAn
— 小林賢太郎のしごと【公式】 (@kkw_official)
December 1, 2020
from Twitter

パンス そうなんだ。僕はどちらもあまりなじみがないもんで、ウワッとなるというのは気になるな。

コメカ このふたつの出来事にもちろん関連性はないんだけど、ただ小林もオリラジも「テレビ芸能界」という環境、それも80年代以降に構築されたバラエティの世界に対する距離を模索した結果としてここに辿り着いたことが、けっこう感慨深かったんだよね。
小林はお笑い芸人でありながら「テレビ芸能界」にはコミットしないことをゼロ年代の時点で選択していて、その際の活動環境としてテレビではなく舞台を選択していたわけだね。そして今回、身体的な事情もあり表舞台での活動は終えることになった。
で、オリラジは(中田敦彦が)「テレビ芸能界」から離脱し、YouTubeやオンラインサロン、つまりネットを活動環境として選択した。戦後日本の情報環境においてテレビというのは絶対的な力を持つメディアだったわけだけど、そのメインプレイヤーたるお笑い芸人たちのなかに、テレビ環境を相対化する動きがいよいよ目立ってきたことのひとつの実例。まあただ、中田の動き方や志向を僕は肯定はしないけどね。

【緊急会見】オリラジ吉本興業独立までの経緯

21:45からYouTubeでプレミア公開します!中田チャンネル→藤森チャンネルの連続プレミア公開です。 https://t.co/p4bGDJ5RVT
— 中田敦彦 (@AtsuhikoNakata)
December 28, 2020
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パンス なるほどねー。小林賢太郎は僕が小さいころのラーメンズの記憶こそあったものの、劇作家として大物になっていたというイメージだったなあ。パラリンピックの演出から離れることが明らかになったのも12月でしたね。テレビの有名人がYouTubeに場を移すというのは最近加速しているけど、まあ当人としての動機はそれぞれあれど、テレビという環境でできることが減っているとか、そういうことなのかな?

コメカ 単純に、80年代以降に構築されたテレビ・バラエティの世界というのはヒエラルキー構造が固定化されちゃったじゃないですか。プレ段階として萩本欽一がお笑い芸人の地位を高め、そしてビートたけしがお笑い芸人がその他タレントを見下ろすような構図を作る「革命」を起こしたあと、その王国の中でずっと環境維持がつづいているわけよね。
お笑い芸人=プレイヤーでありながらそういう「テレビ芸能界」から距離を置こうとした場合、これまでは舞台ぐらいしか選択肢がなかったんだけど、ネット環境がインフラ化して新しい手段ができ上がったと。石野卓球がかつて「日本はテレビ教だ」と言っていたけれど、この宗教の盤石さに陰りが見えてきたということだね(笑)。
まあテレビでの活動をつづけながらYouTubeなどのネット活動をやり始める芸人も多いけど、かつてはそれこそ80年代フジテレビがそうだったように、「表層的で使い捨ての、スピードの速いメディア」だったテレビというものが、どんどんネット世界の速度に敗北していっている様は感慨深いものがある。

パンス 自分たちが子供のころのテレビが「速過ぎた」という感じがするねー。どうしてもそこと比べて考えてしまうというのもある。宗教性に陰りが見えてきたといえば、今は『M-1』にしろ紅白にしろツイッターとかでみんな実況するよね。そっち側におもしろさが発生して、テレビもそっちを意識した作りになったりして。もう一方的に「放送」するものではなくなって久しい。むしろネットのほうが使いようによっては「一方的に」情報を送るメディアになってきているのかもしれない。昨今のオンラインサロンの動向なんかを見ているとね。

中田敦彦オンラインサロン「PROGRESS」のコンテンツとは?

「小さなカリスマ」の乱立

コメカ メディアに触れるとき、速度の快感というのがあるじゃないですか。とにかくスピードが速ければ速いほど気持ちいいし楽しいっていう。かつては週1回のバラエティ番組がその装置だったとして、それは今現在、たとえば毎日動画投稿しているようなYouTuberには当然負けるよね。これまではテレビが一番「使い捨て」のメディアだったけど、もはやそうではなくなってしまった。
ツイッター実況まで含めて、とにかくどこまで速くなれるかっていう志向がネットで展開されている一方で、たとえばオンラインサロンとかはさ、囲い込まれた閉鎖空間を作ることで、密教的に濃度を上げていく快楽があると思うんだよね(笑)。
キングコング西野亮廣がYouTubeの生配信で、自身の映画作品『えんとつ町のプペル』のエンディングで一斉に拍手してほしい、とファンに要望していたけど、こういうケースは速度でなくコミュニケーションの濃度で客をつなぎ止め囲い込んでいる。「囲い込み」のビジネスモデルというのはその環境構築がかつてはとても手間がかかるものだったわけだけど(新興宗教を立ち上げたりだとか)、今はそのためのインフラとしてのネット環境がかなり整っているからね。こういう「小さなカリスマ」は今後もどんどん乱立するだろうなと思う。

キンコン西野の顔パンパン早朝配信!

パンス 『えんとつ町のプペル』は市場規模も大きいし、もうここまでできるようになったんだねえ。コンテンツそのものの力もあるのかもしれないけど、ファンコミュニティで「作っていく」感覚を楽しむ流れになってきているんだな。
しかしまあ、小さなコミュニティ内での盛り上がりというのはそれまでの時代にもたくさんあったわけじゃないですか。テレビとか大きなメディアはそれらをピックアップして広げる効果があったわけだけど、テレビ自体の規模が小さくなると、そこかしこで盛り上がっているだけでお互いのことは見えづらくなってしまうのかもしれないね。SNSがその代わりになっているという側面もあるけど。

コメカ 閉鎖的な情報環境を構築するためのインフラが整っているというのが、かつての時代との大きな違い。でさ、2010年代まで、巨大ウェブサービスがあたかも社会の公共性を担っているかのような構図があったわけじゃない? 日本でも、ツイッターがまるで公共的な言説空間であるかのような扱われ方をしていた。
でもたとえば、アメリカである種のトランプ支持者たちがツイッターやフェイスブックの「検閲」を逃れて(彼らは自分たちの発信にこそ正当性があり、それに対するプラットフォームの措置は不当な「検閲」であると捉えている。それがどんなに無茶苦茶な発信だったとしても)Parlerに流れ込んでいるというけど、今後はこういうふうに言説空間自体が小さなセクトに分裂していくのかな、とちょっと思ったりしている。

米交流サイト大手フェイスブックのマーク・ザッカーバーグCEOは7日、米連邦議会議事堂で前日に起きた暴力行為を扇動したとして、ドナルド・トランプ大統領のアカウント凍結措置を「無期限」で延長したと発表した。 https://t.co/hlYCw4FjVe
— AFPBB News (@afpbbcom)
January 8, 2021
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コメカ 中田にしても西野にしても、これまでの「テレビ芸能界」で培った知名度や技術を、「囲い込み」的環境の構築にうまく利用しているところがあると思うんだけど、不特定多数を相手にする自由市場よりも「囲い込み」のほうがビジネスとして旨味があるのなら、今後もこういう動き方をする人間は増えるよね。巨大なゲームボード=たとえばツイッターやフェイスブックみたいな環境の上で相互衝突する状況でなくて、本当に情報環境自体が今後はタコツボ化してしまうのかも、みたいなことを最近は考えたりしていた。

閉鎖的なネット空間から「トランスローカル」へ

パンス SNSがテレビと違うのは、当然ながらあんまり意識されない事実として「各個人によって見てるものが違う」ってのがあるよね。全体として世論のようなものを形成することがある点ではかつての大メディアに近いかもしれないけど、それってたとえば新聞に取り上げられたりとか、大メディアあってこそ機能している状態だったりする。基本的には小さな言説がグルグル回っていて、なんとなく外が見えなくなっていると思うパターンも多い。と考えると、オンラインサロン的な空間が片一方の極として、それに近いような現象はあちこちで起こっているともいえるわけだ。そうすると、どうなんだろうな。最近は新聞取ろうかな、なんて考えているんだけど。
小さな空間で協働する、という点だと、かつてもコミューンとかはそこに可能性を見出したりしていたわけじゃないですか。でもそれって外に見えることでインパクトを与えて、時代が変わっていくものだった。SNSやYouTubeにおいてそれがどうなるのかは気になるな。ただタコツボ化していくのか、そうでないものになっていくのか。

コメカ オンラインサロンの濃度を上げようとすると、先日の鼎談で粉川哲夫さんが仰っていた「トランスローカル」性を持ち得なくなると思うんですよ。スタンドアローン的な密閉空間を作って内部濃度を上げていくことが重要になるわけだから。

コメカ ただそうなると、かつて村上春樹が言った「精神的な囲い込み」みたいな問題が出てきかねない。「僕が今、一番恐ろしいと思うのは特定の主義主張による『精神的な囲い込み』のようなものです。多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。オウム真理教は極端な例だけど、いろんな檻というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる」(『毎日新聞』2008年5月12日掲載インタビュー「僕にとっての〈世界文学〉そして〈世界〉」)というのが村上の発言だったんだけど、オンラインサロンはこういう「精神的な囲い込み」の装置になりかねない危険性が常にあるビジネスだと思うんだよね。
粉川さんがポピュリズムはローカリズムの亜種だと仰っていたけども、ポピュリスト政治家が特定のローカル単位を強調して大衆を扇動するように、オンラインサロンのカリスマも、濃密なローカル環境に顧客を落とし込むことでマネタイズする。どちらも「囲い込み」があってこそ成立する手法であるわけだ。参加者たちが、そこで発生する精神的な枠組みから抜けることができなくなってしまう可能性が出てくる。

パンス 「囲い込み」つつ、自分もそのプロジェクトに参加できる、いわば協働して何かを作り出すというのがウリになっているパターンもあるよね。そこが新しく、既存のシステムを変えるという触れ込みになってるんだけど、誰かリーダーがいて引っ張っていくという構造自体は温存されている。そこがポイントになると思うな。

コメカ 中田や西野はたぶん、今の自分たちの動き方こそが「外部に対してインパクトを与えて、時代や社会を変えていく」ものだと自負しているんじゃないかと思うんだけど、彼らが「小さなカリスマ」として作っているローカルは、ほかのローカルなり「社会」なりとリンクを持つ「トランスローカル」なものではなくて、「内部の盛り上がり」に大きく依存したインナーサークルビジネスだと思うんだよね。
正直、ツイッターで右派発言をしてネトウヨの支持を取りつけているほんこんのやり口と基本的には変わらない(笑)。マネタイズの方法論が確立されているか否かの差があるだけで、情報技術を利用した芸人/タレントの「囲い込み」商売であるという意味では同じ。これらが今後「外部」にインパクトを与えて大状況を動かしていくことは正直言ってないと思う。
お笑い芸人の動向というのはそれそのものは単なるサブカルチャーの一ジャンルの出来事に過ぎないわけだけど、情報環境内でプレイヤー化・キャラクター化するということについて、この国では80年代以降彼らが先端的な存在になってしまった。そして彼らが今直面している「テレビからネットへ」という事態のなかで、果たして誰が「トランスローカル」的な動き方に辿り着けるかということに、僕は興味がある。テレビがかつて担保していた広範な接続可能性が失われたあと、何がしかのローカル環境を各自が構築せざるを得ない状況を前提として、その各ローカルの間にユニークな「交通」を立ち上げるような芸人たちが、今後出てくるような気がするんだよね。

TVOD

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