驚異的な熱効率! 蒸気機関に替わる革新の「ガスエンジン」19世紀の誕生ルーツをたどる

驚異的な熱効率! 蒸気機関に替わる革新の「ガスエンジン」19世紀の誕生ルーツをたどる

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  • 更新日:2022/06/23
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オットー・ランゲン・ガスエンジンの実物大動態レプリカ。縦型のボディ内部にはピストンとラックロッドが上下逆さまに収められていた。燃焼室は一番下。右側は2分の1サイズの動態レプリカ。オットー・ランゲン・ガスエンジンの実物は欧米の技術博物館などに相当数が現存しており、その多くは動態である(画像:守山進)

1869年パリ万博でゴールドメダル受賞

1867年のパリ万国博覧会、それまでの蒸気機関に替わる新時代の動力機関が見事にゴールドメダルを受賞した。その名は「オットー・ランゲン・ガスエンジン」。これは19世紀に革新をもたらした動力機関の物語である。

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オットー・ランゲン・ガスエンジン。その実物大動態レプリカは、一見するとエンジンというよりはポンプのようなルックスであり、その構造理論は極めて独創的かつ先進的だった。それは当時としては驚異的な熱効率8%(当時の標準的な蒸気機関の2倍近い数字)を実現していたことにも表れていた。

このエンジンを開発した人物の名はニコラス・アウグスト・オットー。1832年生まれのドイツ人技術者である。彼の名前は後にオットーサイクル、すなわち4ストロークサイクルの内燃機関を世界で初めて実用化したとして歴史に残ることとなる。

オットーは少年時代から機械全般に興味を抱いていたのだが、工学関連の高等教育に接したことはなく、20代の終わりまでは食料品店の営業マンをしていたと言われている。1860年頃、営業先のとある街で当時市販化され始めていたジャン・ジョセフ・エティエンヌ・ルノワール考案のガスエンジンが動いているのを初めて見た。

ルノワールのガスエンジンは、外観および機械構造的には、1860年の時点でほぼ完成の域にあった横型レシプロ複動蒸気機関をそのまま転用したものであり、シリンダー容積がおおむね2万ccという大型機でありながら、最高出力は2hp程度、熱効率はやっと4%をクリアできるだけのレベルに止まっていた。

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ルノアール設計のガスエンジン。1959年に特許を取得、1860年に初めて製造したこの方式は、世界初の実用的な内燃機関として有名。2サイクル、無圧縮、電気点火を特徴とする(画像:国立国会図書館)

世界初の内燃機関、燃費に課題

これは同時代の標準的な蒸気機関にも劣る数字だった。熱効率が悪いということは、イコール燃費が悪いということである。

使用していたガスはガス灯用の石炭もしくは石油ガス。シリンダーにはあらかじめ空気と混合した状態で注入していたが、燃焼前の圧縮が行われていなかったことから、十分なパワーを発生させることができなかった。

オットーがルノワール型ガスエンジンの独自改良に着手したのは1861年頃のこと。ほどなくしてパワーアップと熱効率向上のためには燃料ガスと空気の混合物の燃焼前圧縮が必須であるとの理論を導き出す。しかし、圧縮行程を設けた試作エンジンは何度作り直しても始動から数分で破壊という有様で実用化にはほど遠いものだった。

その後、オットーは友人のランゲンとともに、ルノワールのものを性能的に上回る新たな内燃機関を開発するため「オットー&シー」という会社を1864年に設立する。ただしこの時点でも理想的な圧縮機関は画に描いたもちだった。

オットーとランゲンが新会社において新たな開発に着手したエンジンは、ひとまず圧縮機関から離れて、まずはルノワール型の熱効率を上回ることを目指した。それがここで紹介する1867年度パリ万博ゴールドメダルの縦型機関であり、その熱効率は8%に倍増していたと言われている。

なぜこのようなことが可能だったのか? それは極めてユニークな構造に由来していた。

ユニークな構造、熱効率を倍増

オットー・ランゲン・ガスエンジンは、その基本構造を現代の内燃機関スペックと同様に表記するなら、無圧縮2ストロークサイクル倒立単気筒スライドバルブとなる。

ユニークだったのは、フライホイールと動力取り出しプーリーがセットされている上部出力軸とピストンとの連結は、コンロッド/クランクシャフトではなく、ラック&ピニオン/ワンウェイクラッチフリーハブだったということである。

構造と作動をもう少し詳しく説明するとこうなる。

まず、燃焼はピストンが下死点近くにある段階で、燃料となるガスと空気の混合物が吹き込まれ、ほぼ同時に常時燃焼状態にあったパイロットファイアー(タネ火)によって着火。燃焼というよりは小規模な爆発とともにピストンがシリンダー内を勢いよく上に持ち上げられることとなる。

ピストンには長いラックが剛結合されており、この動きはそのまま上部の出力軸のピニオンに伝えられたものの、この時点では出力として取り出されることはなく、ワンウェイクラッチによってピニオンは空転するだけだった。

実際に出力が発生したのは、上死点まで上昇したピストンが下降に転じた瞬間であり、ピストンはその自重および燃焼後のシリンダー内に発生した負圧、さらにはピストンの背面を押す大気圧によって相応の勢いで下降しピニオンを駆動。

上昇時とは異なる逆回転ゆえに、ワンウェイクラッチは固定され出力軸は回転するというもの。そしてこうした構造ゆえ、フリーピストンエンジンもしくは大気圏圧エンジンなどとも呼ばれることとなる。

最高回転数は毎分80回転程度で最高出力も1/2hpに過ぎなかったものの、前述した熱効率を高く評価された。

パリ万博後に実用化、初の成功作

オットー・ランゲン・ガスエンジンが熱効率に優れていた理由。それは基本構造がシンプルだったというのもあったが、最大の理由は極めてストロークが長かったことと言われている。

パリ万博に出品された個体の場合、ピストンボアは150mm、ストロークは実に900mmに達しており、圧縮行程がないことも良い方向に作用した。

ここでは、圧縮行程に対して燃焼行程を長く取ることで熱効率の向上を目指した後年のアトキンソンサイクルと考え方がダブる。

ちなみにこうした構造の内燃機関の設計案は、オットーとランゲンのオリジナルではなく、1857年にイタリア人のバルサンチとマテウチが試作していたものがルーツと言われているが、バルサンチとマテウチの機関は安定した運転とともに実用化されることなく終わった。

オットー・ランゲン・ガスエンジンはパリ万博後に実用化とともに商品化され、オットー&シーにおける最初の成功作となった。

彼らの会社は1869年には事業拡大とともにガスモトーレン・ファブリーク・ドイツという新たな組織へと再編され、ほどなくしてゴッドリープ・ダイムラーとヴィルヘルム・マイバッハという後年にその名を残す優秀なエンジニアを迎えることとなった。

そして1876年には、ついに念願だった圧縮行程を設けた4ストロークサイクルエンジンの実用化に成功する。それまで製造されたオットー・ランゲン・ガスエンジンは1000台近くに上り、ライセンス生産品なども合わせると、相当数が欧米で普及したと言われている。

バリエーションは1/4hpから3hpまで存在したと言われており、改良型では回転ウエイト式のガバナーを装備することで低負荷時には燃焼を休止したこともあって、熱効率と機械効率はさらに向上していたという。

優良ガスエンジンが廃れた理由

そんな優れた商品だったオットー・ランゲン・ガスエンジンが廃れた理由は、

・3hp程度が出力の限界だった
・回転数を安定させることが難しく、時間当たりの作業総量が重要だったポンプ駆動などはともかく、一定の回転数が必須だった工作機械の駆動などには向かなかった
・作動騒音が極めて大きくその改善は不可能だった

など、複数の理由が伝えられている。

オットー・ランゲン・ガスエンジンが市場から消えた後、オットーが先鞭(せんべん)を付けた4ストロークサイクル・ガスエンジン、もしくは灯油エンジンは、その静かな作動音と安定した回転とともに、新たな時代を作ることとなる。

ちなみに、これらの技術革新が行われていたそのとき、わが日本はちょうど明治維新から新政府建設の途中という産業革命前夜の時代でもあった。

守山進(フリーライター)

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