土葬は違法ではない? 伝統を現代に蘇らせる「土葬の会」の挑戦

土葬は違法ではない? 伝統を現代に蘇らせる「土葬の会」の挑戦

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2021/02/23
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日本の伝統的な葬式である「土葬・野辺送り」が姿を消したのは、昭和の終わり頃とされている。入れ替わるように火葬が増え、現在、日本の火葬普及率は99.9%を超えた。

そんな中、土葬を望む人々の弔いをサポートし、消えゆく伝統文化を守ろうと活動している人たちがいる。現代日本で土葬をすることは可能なのか? なぜ今もなお土葬を希望する人がいるのか?

「土葬・野辺送り」の聞き取り調査を30年にわたって続けてきた高橋繁行氏が日本の千年の弔い文化を記録した『土葬の村』から、「土葬の会」の新たな挑戦を紹介する。

土葬ができない理由は法律ではない

日本では、土葬は法律で禁止されていると思い込んでいる人が意外に多い。しかし、東京、大阪など自治体の条例によって土葬禁止区域が指定されている場合もあるが、国の定める墓地埋葬法で、土葬が禁じられているわけではない。

火葬が義務づけられているのは、旧伝染病予防法によるものか、または現在の法律で定められた感染症で亡くなった死亡者だけである。

ただし、ここ半世紀ほどの間に、全国的に火葬場が整備され火葬が広まった。特に平成以降の増え方は著しく、統計データによると現在日本の火葬率は99.9%以上で世界1位である。

私の聞き取り調査の実感でも、火葬率が急増するにつれ、土葬は消滅しつつある。

そうした状況の中、2001年、市民グループによって、葬送の選択肢の一つとして土葬を推し進める「土葬の会」が発足した。山梨県南巨摩郡富士川町に本部を持ち、主宰する会長は山野井英俊さんという。

なぜ日本で土葬ができないと思われているのかを尋ねると、山野井会長はこう答え
た。

「公営の霊園を別にして、私営の民間霊園は寺院や墓地管理会社が土葬できますといえば、土葬はできます。これまでできないと思われていたのは法律で禁止されているからではなくて、『当霊園は遺骨を納めるための霊園なので土葬は受け入れていません』という霊園管理側の作った使用規則によるものなのです」

土葬ができる場所は極めて少ない

市民グループ土葬の会の誕生のきっかけは、発足の十年ほど前、1990年代にさかのぼる。

「90年代の初めころ、岡山県で出版関係の仕事をしていた友人が突然亡くなりました。友人には生前から死んだら土葬されたいと聞かされていたので、同県で土葬できる場所はないかと葬儀社に問い合わせたところ、土葬できる場所はどこにもありませんという返事でした。そのときに、いつでも土葬できる安全な場所を確保しておく必
要があるなと痛切に思った。それがきっかけでした」と山野井会長は言う。

安全な土葬墓地を探しているうちに、偶然、山梨県の最北端の市、北杜市に土葬できそうな霊園を見つけた。霊園の管理会社と交渉した結果、土葬できる場所を確保できることになった。風の丘霊園という。

同霊園に、樹木葬ができる自由区画があり、その隣に土葬のできる区画を確保することに成功したのだ。

そして風の丘霊園で土葬の実績を積んだ2001年、土葬が今でもできることを広く発信したいという思いから土葬の会は発足した。現在までに同霊園での土葬の実施例は約十件を数えるという。

富士山を望む天空霊園

5年前、風の丘霊園の土葬区画が満杯になった。そのころ、山野井さんは、北杜市
の南方にある山梨県南アルプス市の禅寺の住職と偶然知り合った。曹洞宗の大城寺、
市川大了さん(38歳)という。

大城寺境内に土葬のできる場所は見つからなかったが、市川さんが住職を兼務するもう一つの寺の墓地なら、土葬墓地を確保できることがわかった。

同じ南アルプス市の築山(つくやま)というところにある寺院墓地で「普済寺天空霊園」という。霊園は山間部の山際の傾斜地に立ち、背後には富士山に次ぐ日本第二の高峰、北岳がそびえる。

市川住職の案内で、天空霊園を訪ねた。入り口に約30センチ四方、コンクリートの平板造りの小さな納骨堂が並んでいる。

身寄りのない人や孤独死をした人のために低価格で納骨できるようにしている。納骨堂の上のほうの傾斜地に、土葬のできる埋葬区画があった。

「この普済寺で霊園事業を始めたとき、行政の福祉課から生活保護受給者が亡くなった場合の納骨堂を造ってほしいと要請され、一般墓地とは別に自由墓地区画を作り、天空霊園と名づけました。その後土葬の会と知り合い、土葬区画を設けました。土葬も様々な葬送の仕方の新しいタイプの一つとしてあっていいんじゃないかと考えたのです」と市川住職は言う。

天空霊園のてっぺんまで上がると、そこには1×2メートルの区画の土が盛り上がり、花が供えられていた。まだ土葬して間もないことがわかる。

天空霊園の土葬区画は、土葬の会と提携して、土葬墓地の分譲がすでに始まっていた。

分譲価格は1×2メートルの個人区画の永代使用料が20万円、2×2メートルの一般区画のそれは30万円。一般区画は少なくとも二人以上の家族を埋葬できるという。

土葬区画の頂上から下を見下ろすと、眼下に甲府盆地の全貌を見渡すことができる。その後ろの山並みには富士山が突出して浮かび上がっていた。

土葬を希望する理由

土葬の会の会員は、どんな理由で土葬してほしいと望んでいるのだろうか。

「人間は死ぬとみな土に還るという、ごくまっとうな自然観を持っている方が多いです。人生について深く思い悩んでいる人や病弱な人が、自分が人生を全うするのはいつだろうなどと考え、望まれることが多い」と山野井さんは言う。

「お金を稼いで順風満帆に生きている人、元気な人はあまりいません。そういう人はたぶん自分はまだ死なないと思っている」と笑った。

天空霊園の土葬第1号になった東京の男性の場合、本人は遺志を示さなかったが、娘が、父が火葬されてしまう前に立ち止まって考え、土葬を選んだ。

土葬の2例目は20代の女性だった。彼女は生前に土葬の会に申し込んでいた。入会して間もないうちに、山野井会長のもとへ突然の訃報が届いた。両親から「娘の遺志をかなえてあげたい」と連絡があり、遺体は天空霊園に土葬されたという。

現在、土葬の会の会員は全国に約60名いるが、実際に同霊園で土葬されたのはまだ2例のみである。意外なことに、2例目になった20代の女性や、大学で心理学を勉強したという男性など、若い人が多いのも土葬の会の特徴である。

土葬の会が発行する「土葬の道しるべ」という冊子には、さまざまな声が掲載され
ている。

「土葬してほしいと思っていても、自分の死後、家族によって一般的な火葬にされて
しまうかもしれない不安があります」という声が多い。

「火葬と土葬のどちらを選ぶかは個人の価値観です。しかしそうであればこそ、前者(火葬)の選択肢しか取れない現状は望ましくないと考えています」という声も寄せられている。

これらの声に対して山野井会長は、「亡くなってから周囲の人が慌てふためくことのないように、あらかじめ家族に自分の意志を話しておくなど準備しておくように伝えています」と言う。

宗旨を問わず土葬を

「自分の親が亡くなり、火葬してお骨になってから初めて、どうしてやったらよかったんだろうと寺に相談に来られることがよくあります」と天空霊園の市川住職は言う。

横浜市に住む土葬の会の会員から、亡くなった父を土葬したいという相談があった。

山梨県の天空霊園では遠いとのことで、市川さんは同門のよしみで東京都西多摩郡の曹洞宗寺院を紹介したことがあった。その寺は檀家になるという条件でなら、土葬できるとのことだった。

ただ土葬の会の会員は、現在のところ、寺院による死後供養を望んでいない人が多くを占めている。その点が旧来の土葬の村とは大きく異なる。

それよりも土葬の会に問い合わせをしてくる人のなかには、遺体を冷凍保存したりミイラにしたものを埋葬できないかなどと、昔の風習からすればかなり突拍子もない相談をする人もいるという。

「つまり会員は宗教宗派を問わないで、どんな方法であれ、土に戻してほしいということを一番に望んでいるのです」と山野井さんは言う。

土葬の会は「全国どこからでも、いつでも、人種、宗旨を問わず、檀家にならずとも土葬を希望される方のために、墓所と提携し土葬全般を取り扱」うと趣旨を掲げている。

土葬となじみが深い神道

ある神主の遺族から、土葬による神葬祭の依頼が土葬の会にあった。山梨県にある神道霊園に亡くなった神主を埋葬したいという。

事情を聞くと、神道霊園では、神道に則った埋葬祭ができなくなっているという。それが実現できるのは、代々自前の土葬霊園を持つほんの一部の神社だけである。

あとは天皇家の墓地ぐらいで、他のすべての神道の専用霊園は、火葬を前提にしてい
る。

神道は仏教よりも土葬になじみが深い。多くの神官は山中他界の埋葬地、奥津城(おくつき)に埋葬されたいと望んでいる。

しかし現実には、神官も他の日本人と同様、大半が火葬されている。依頼のあった神道霊園も土葬のできる霊園であるにもかかわらず、霊園管理者にその認識が薄く、それまで埋葬例はなかったようである。

山野井会長は、亡くなった神官の遺族の申し出を了解した。土葬の会と神道霊園の提携が初めて成立した。

「土葬の会」が実現した神式の葬儀

神道霊園の埋葬祭当日、事前準備のため早めに到着し、墓地までの掘削重機の搬入路を確保できるどうか、穴を掘る墓地の土質の状態はどうかを確認した。

掘削重機を搬入するルートがなく階段になっていたことから、重機を吊り上げ、石垣の上にあった墓地へと運んだ。

墓穴が掘られ、遺族や親族が大勢集まるなかで、故人の頭が北向きになるようにして、棺は穴の中に降ろされた。

墓穴の前には神式の祭壇が設置された。墓域全体が榊と注連縄と幣で囲われた。雅楽が奏でられ、厳かな雰囲気のなかで神葬祭は執行された。

最後に墓穴に土を入れ、土饅頭の埋葬地の上に墓碑が建立された。

この土葬の模様を土葬の会のホームページに掲載すると、東京のある神社の権禰宜(ごんねぎ)が山野井さんを訪ねてきた。

「今、日本で神官は土葬の選択肢すらないのに、神式の儀礼に則った葬儀をやっていただいた。これはもうたいへんなことです」と非常に驚いた様子だったという。

千年以上の伝統

土葬の推進を実践する山野井会長の指針となったのは、およそ十年前に読んだ、「土葬を復活して新たな死生観築け」というタイトルの新聞記事である。記事の提言者は、宗教学者の山折哲雄氏だった。

記事では、高度成長期の頃から「葬送」の代わりに「告別」という言葉を使い、葬儀は死者を他の世界に送る儀式でなくなったということが書かれていた。

「今のお葬式は死ぬと火葬し、遺族の心の整理がつかないまま進んでいきます。土葬に立ち会ってみると、死から目をそらさず死者を送る絶好の機会になります。千年以上の昔から日本の弔いの主流だった土葬を再認識する意味でも、土葬地を確保することを国策として進めてほしい」と山野井さんは言う。

天空霊園の市川住職は、子どものころ野辺送りを経験したことが、土葬に協力する
原点になったという。

市川さんの地元、南アルプス市の村では、昭和40年代に土葬の風習はなくなっていた。

しかし、自宅で葬儀を行い火葬場でお骨になっても、自宅または寺から出発して墓にお骨を運ぶ、野辺送りの葬列はまだ行われていた。1991年(平成3)ごろのことという。

弔いの風習を受け継ぐ

その野辺送りの道中、子ども心に強烈に残っているのは、撒き銭の風習である。竹細工でできた花かごという野道具の中に小銭を入れたおひねりがいくつも入っていた。

花かごを揺すると、おひねりが落ち、子どもらは我先に群がっておひねりを奪い合ったという。

「亡くなった人が寺の檀家総代をした人だったとき、お金持ちでおひねりに百円玉が入っていたんです。学校帰りに友だちを誘って撒き銭のおひねりを拾うと、導師をしていた私の父に『寺の子が意地汚いことをするな』と思いっきり頭を小突かれたもんです」と市川さんは笑う。

花かごの撒き銭の風習は、奈良県の高野山のふもとの村でも奇習として伝え聞いたことがある。

柳田国男の『葬送習俗語彙』を見ると、土葬・野辺送りの風習には全国に共通するものが不思議にたくさん見出せる。花かごの風習が遠く離れた山梨と奈良の村に共通して残っていたのは、野辺送りの民俗習慣の各地への伝播を考えると興味深い。

「今後は埋めたらそれでおしまいという土葬ではなく、死後供養や弔いの風習につな
げていければいいなと思っています」と市川住職は言う。

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