朝日新聞の内部告発、“捏造記者”と罵られた記者が暴露するワケ

朝日新聞の内部告発、“捏造記者”と罵られた記者が暴露するワケ

  • 週刊女性PRIME
  • 更新日:2022/06/23
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元朝日新聞政治部の記者で、ウェブメディア『SAMEJIMATIMES』を運営する鮫島浩さん

『朝日新聞政治部』という本が今、話題だ。発売日である5月27日の初日になんと3刷り、3万部を超えた(6月21日現在、4刷4万部)というのだから、爆発的に売れている。著者は元朝日新聞政治部の記者で、現在は自身のウェブメディア『SAMEJIMA TIMES』を運営する鮫島浩さん(50歳)。本の帯には《崩壊する大新聞の中枢 すべて実名で綴る内部告発ノンフィクション》とあり、衝撃的で、なるほど食指が動く。

【写真】「すべて実名で綴る内部告発」と過激な字が踊る『朝日新聞政治部』

「こんな政治取材はおかしい」

ページをめくっていくと、帯に偽りなし。実名で朝日新聞政治部の中枢にいた記者、経営陣、政治家が登場し、鮫島さんが入社した1994年から物語は始まる。それは日本の政治と巨大新聞社の、私たちにはふだん見えない姿。『半沢直樹』とか『ハゲタカ』とか、『白い巨塔』とか。企業や病院のドロドロを描いた小説(&テレビドラマ)があったろう、あんなふうなのだ、しかもこちらはリアル!

印象的な場面が、最初から登場する。

鮫島さんがまだ入社4年目の1997年、朝日新聞の浦和支局(埼玉県)にいたときのことだ。自民党の加藤紘一幹事長(当時)が極秘で来県する情報を得て、ビルの前で張っていた。そこへ黒塗りの車が到着し、加藤幹事長がSPを従えて降りてくる。と、車からいっしょに降りたのは鮫島さんの上司である、次の朝日新聞政治部部長に有力視されていた橘優(たちばな・まさる)記者。加藤幹事長と橘記者は鮫島さんに目もくれずビルのエレベーターに乗り込み、慌てて鮫島さんも乗ろうとするとSPの腕が制する。

「なぜ私はダメなのですか! あの人は乗り込んだじゃないですか!」

鮫島さんが橘記者を指さして叫ぶと、SPがひと言。

「お立場が違います」

呆然とする若き鮫島記者をひとり残し、エレベーターの扉は無情にもスルスルと閉まる。鮫島さんは、「こんな政治取材はおかしい、いつか変えてやる」と思うのだ。

「悔しかったですね。だから、いつか変えてやろうと思うわけです。立場によって人に会うとか会わないとか。そいうのが政治の世界で、今も変わりません。でも確かに何を言うかも大事ですが、誰が言うかが大事なのもあります。岸田文雄総理大臣が言うのと、小川淳也議員(鮫島さんと同じ高校の同級生である衆議院議員)が言うのと、和田さん(筆者)が言うのとでは、政治的意味合いがぜんぜん違うわけだから。

それは仕方ない部分はある。だけど、このムカつきを忘れないで、負けずに怒って、自分の発信力をつけようと思って頑張ったんです。それでもやっぱり、今思えば、これぞまさに権威主義そのものですよね」

そう振り返る鮫島さんは、本の版元である出版社の豪華な椅子にジーンズとチェックのシャツのラフな姿で座る。どう見ても、今もエレベーターに乗らない方にいる気がする。

「僕は今、新聞はとってないから朝起きるとまずインターネットで情報を収集します。ワアーッと一気に見て見極め、深掘りしていくほうが効率いいんですよ。そういう頭に今はもうなっています。ネット脳なんです。

僕のライバルは新聞じゃありません。ライバルはスマホのゲームであり、LINEやFacebook。目標とする人は(オリエンタルラジオの)中田敦彦、あっちゃんです。『中田敦彦のYouTube大学』の登録者数は476万人。中田さんは小説から政治、お金儲けまでしゃべって、一般の人はそういう人から政治を知る。中田さんをライバルと捉え、中田さんを見てもいいけど、こっちもいいよぐらいじゃないと。そこと戦えるクオリティを目指して行きたい。敵は読売新聞とか、もうそういう考えは古いんですよ」

竹中平蔵に国会のトイレを教えた

鮫島浩さんは1971年、神戸生まれ。香川県立高松高校から京都大学の法学部へ進み、朝日新聞に入社し、27歳で花形の政治部へ。自民党の小渕恵三元総理大臣、重鎮の古賀誠元幹事長や与謝野馨元官房長官、そして小泉政権での竹中平蔵金融・経済財政政策担当大臣、民主党の菅直人元総理大臣と、幅広く番記者として担当し、39歳の若さで政治部デスク(次長)に抜擢された。鮫島さんはエリート中のエリート新聞記者だった。

「竹中平蔵さんは、今では日本を弱肉強食の社会にした大物戦犯で、既得権益の代表のように言われているけれど、僕が記者として担当した、彼がまだ永田町に来たばかりだった21年前は弱小の民間人大臣だったんですよ。言い換えれば、挑戦者。今じゃ信じられない? でも僕は国会のトイレの場所まで教えてあげたんだから。『鮫島さん、トイレどこですか?』って焦って聞いてくるから。

最初は誰にも相手にされずバカにされて、財務省のエリート官僚なんかは『何あれ?』なんて鼻で笑ってる。そりゃ僕とは政策的意見は合いません。でも、あのときの彼の闘いを、知ってるから。何もない弱小軍団、ちびっこギャング軍団みたいなところから官僚たちへ攻め入るわけよ。気がつくと財務省をやっつけ、今や逆に霞が関全体が竹中化している。竹中さんは勝ったんです」

本にはこうある。

「私の竹中氏取材は、権力者の懐に食い込んで情報を入手する旧来型のアクセスジャーナリズムの典型である。竹中氏らが抵抗勢力との戦いを有利に進めるために番記者である私(朝日新聞)を味方に引き込み情報を流したのは間違いない。朝日新聞はそれを承知の上で、情報の確度を精査して主体的に報道すべき事実を判断して記事化していたが、結果的に竹中氏を後押しする側面があったことは否めない」(第二章より)

その後、鮫島さんは自民党内で改革派だった竹中氏に対して、抵抗勢力側のドンであった古賀誠元幹事長の番記者になる。ふつう政治部の新聞記者は自民党のある派閥の番記者になると、同じ派閥、同じ政治家を長く追いかけることになるのだという。担当する政治家の浮沈が自分の記者としての出世にも直結して、政治家と運命共同体みたいになっていくんだとか(なるほど、だから批判はしづらくなる)。ゆえに鮫島さんの担当替えは異例のことだった。

「僕なんか最初から跳ねっかえりで政治部1年目にして会社の悪口言いまくってた奴で、読売新聞あたりだったらとっくにクビになっただろうけど、朝日新聞だと当時はそういうのを“面白い奴”と引き立てる茶目っ気というか、ジャーナリズムはこんなもんだという理解がまだ上層部にあったんだよね。だからすごく若くしてデスクにもなったし、抜擢もされた。僕は別にそうなっても、それまでの雰囲気を変えたつもりはなかったんですよ」

そう話す鮫島さん。でも、本人も知らず知らずのうちにエレベーターに乗る側になっていなかったろうか。2010年に政治部デスクに昇格すると、民主党結党当時から懇意にしていた菅直人総理大臣(当時)とは、ほかのどの記者よりもツーカー。震災のあった2011年ころには「政治報道に携わる者として、社内外でこれほど強い立場に立つことは二度とないだろう」(第四章より)というほどになる。

「俺の記事を読め! ここに答えが書いてある! 何でこれが分からないんだ? これが民主主義だ! これが憲法だ! (当時の自分は)そう、やってたからね」

でも、鮫島さん、ひとりでイキって肩で風切るだけのスカした記者だったわけじゃない。

朝日新聞は最初からずっとダメだった

覚えているだろうか? 民主党の小沢一郎代表をターゲットとした東京地検特捜部の執拗な強制捜査。2009年のことだ。捜査に疑問を感じた鮫島さんは「朝日新聞がこの捜査に警鐘を鳴らす記事を一面に掲げるべきだと強く思って」、編集局長室に乗り込んで直訴したという。これ、かなりの掟やぶりだったそうで、そういう一か八かで勝負に出るところがある。しかし、これはかなえられず。検察に甘い内容の記事が載り、鮫島さんは「怒りで発狂しそう」になった。

「朝日新聞社は元々ね、ダメだったんですよ。自分はそれに気づいてなかっただけで、最初からずっとダメだった。僕が入ったころもすでに8割ぐらいは官僚的な人ばかりで、本当は大蔵省に行きたかった、外交官になりたかった、親が学者だとか外交官とか、そんなのばっかりだったんです。読者側に立つというよりは、政治家になりたいような人たちの中に2割ぐらいはけっこうジャーナリズムに燃える人がいました。

この本ではボロクソに書いた木村伊量(きむら・ただかず)元社長とかにもいいところもある。『ジャーナリズムは調査報道にある』とか言った秋山耿太郎(あきやま・こうたろう)元社長とか、いちおう建前を守るっていうね。そういう人たちが主導権を握っていてかろうじてセーフだったんです」

福島第一原発事故の『吉田調書』誤報事件

しかし2014年、鮫島さんの記者人生はガラガラと音を立てて崩れていく。

鮫島さんがデスクを務める特別報道部が伝えた、福島第一原発事故の陣頭指揮にあたっていた故・吉田昌郎所長の政府による聴取記録、「吉田調書」についての一面トップ記事が“誤報”だったとされ、朝日新聞社の当時の木村社長が引責辞任をする大騒ぎに発展し、上司は停職に、鮫島さんも停職2週間となり記者職を解かれた。記事を担当した現場の記者たちも処分され、彼らは会社を去っていく。

このあたりの一連の流れはぜひ本を読んで確かめてほしい。そんなことがあったのか……と驚く。朝日新聞社はなぜもっと早く対処しなかったのか? これが大新聞社のあるべき対応なのか? 何より、購読する人たちのことをいちばんに考えていたのか?素朴な疑問が沸いて、読んでいてザワザワする。ちなみに今この記事を書く筆者は、長らく朝日新聞の購読者で、今はデジタル有料購読者だ。

そして“誤報”だとする記事が伝えた、原発に過酷事故が起こったときに「誰が対処するのかという議論を棚上げしたまま、原発を再稼働してよいのかを問いかける」(第六章より)という鮫島さんたちが記事を作った根本的な意図は、今だ解決していない原発の大問題を問うためのものだった。

果たしてそれは“誤報”だったのか? まったくわからない。

「集中砲火を浴びました。朝日新聞も罵詈雑言を受けたけど、僕自身にも“捏造記者”だとか、“エリートのくせしやがってウソ書きやがる”とか、強烈に言われ続けた。最初はひたすらムカついていたんだけど、本に書いたように、自分が犯した罪は、記事が間違っていたとかいないとかよりも、尊大に社内でふるまってきた傲慢さを問われる『傲慢罪』だと妻にはっきりと言われたんです。いちばん身近にいる人からそう言われ、もうグウの音も出ない。“ああ、それこそが本質だな”と思って。立ち直れないぐらいのショックでした。そこと向き合わないと次の一歩にはいけないと思いながら、会社を辞めるまで6年もかかった。

いろいろな気持ちが交錯し、過去の自分を反省していく。でもダメだったとなかなか認められないんです、人間は。正当化したくなる。心から本当に『アカンかった』と認めるには時間がかかる。言われて、そうだと思っても、消化するのに6年。何度も、『いや、俺は間違ってなかった』って思う、思いたいから。ただ、それを苦しみながらやると、意外と間違ったって認めちゃうのはラクになれるんだって気づくんだよね」

自分の間違いを認めたからこそ、鮫島さんたち現場の記者たちを切り捨てた朝日新聞への言葉は厳しい。本の中でも鮫島さんは朝日新聞へ何度も厳しい指摘をし、「この会社にはもう未来はないと確信した」(第七章より)と、突き放す。

朝日新聞の失敗

でも、鮫島さん、そうやってお先真っ暗と決めつけられた会社には、今も記事を書き、新聞を作ってる人々がいて、鮫島さんの厳しい言葉に「後ろ足で砂をかけられた気分」と怒る記者たちだって当然いますよね?

「そう批判されるのは別に構わないし、(批判は)あっていい。ただ、僕を批判する人は自分の言ってることが唯一の正義で、これだけ見れば世界が変わるとか、“世界の教科書”があるとすれば、それ以外認められないんじゃない? そもそも絶対に正しい真実とか正義ってないと思う。今起きている戦争やコロナも、100年後には今の考え方が覆るかもしれない。

僕が言ってることは間違っているかもしれないけれど、僕は僕なりに誠意をもって正しいと信じるものを伝えます。もちろん、間違っているかもしれないというリスクもすべて背負って伝えます。朝日新聞の失敗は、『朝日新聞が言うことは真実です』とやっていること。本当かよ?です。政府の言うことを垂れ流してるだけじゃないのか?っていうのがいっぱいあるのにね」

そうした経験と思いから、鮫島さんは朝日新聞を退社して自身のウェブメディア『SAMEJIMA TIMES』をスタートし、日々記事をアップする。YouTubeチャンネルも開設して、独自の政治報道を行う。その報道はこれまでのいわゆる政治の客観報道、中立であろうとするばかりにどこか傍観者的で、記者の感情や体温が感じられない報道とは一線を画す。

「客観中立、第三者的、傍観視点は面白くないんですよ。巨人vs阪神にみんなが熱狂するのは、ファンが熱狂的で負けたら泣くし、一心同体で応援するからだよね。それに対して新聞の政治報道は『客観中立性を保つフェアな報道』とか嘘みたいなこと言ってるから、いつまでもつまらない。

僕のやり方は逆です。自分はこの人を応援してる、こんなに素晴らしい、でも自分はこの人を応援してるから割り引いて読んでね、と。でも、本当に好きだから自分なりに精一杯データと論理に基づいていかに素晴らしいか伝えたい。駄目なところも含めて伝えたい。それをみなさん自身で判断してくださいっていう。

今は、そういうところにみんなが信頼を寄せる時代になったと思います。欧米ではとっくにそうなっています。調査報道でもそうで、みんな主観的な視点で記事を作っていく。記者は顔を出して自分のバックグラウンドまでいう。『私はこういう人間で、政治は○○党を支持しています。こういう研究をしてきました、これの専門です』とぜんぶ経歴を出してから、『その私がウクライナ問題を伝えます』とやる。

日本がそうなれないのは記者がサラリーマンだからですよ。記者は署名記事でも会社の意向に反したことは書けないし、上司の顔色をうかがいながら誰からも抗議を受けないように細心の注意を払って記事を書く。その結果、誰の心にも響かない無難な記事が量産されていくのです。僕はそこに挑戦したいんです。もっとみんなで応援しようよ!って。政治でいうなら、まず応援してみる、参加してみる、当事者になってみる、というのが政治にいちばん関心を持ってくれることだと思うんですね」

鮫島さんは骨の髄まで政治記者なんだと思う。だから、なんとしても今の政治への無関心を変えたいと必死に思っている。それが鮫島流、新しいジャーナリズムだ。

捏造記者と呼ばれ、全身から血が流れたからこそ

「それは全・朝日新聞的なものへの否定、僕が出した答え。朝日新聞を読めば世界がわかる。ここに答えが書いてある。朝日新聞は教科書だ、みんなを俺が啓蒙してやる、大衆よ、朝日を読め、世界をこれで知れ、みたいなのは『傲慢罪』ですよ。 僕も、僕自身がそうだったんだから」

でも、キツいことを言えば、そうした鮫島さんの報道姿勢への批判も大きい。ひとつの政党に肩入れし過ぎだと、私の周囲でも批判する人は大勢いる。

「今はもう批判には慣れちゃった。なかなか経験したくてもできることじゃないよね。批判は怖いよ。世間中からバッシングをあびて、うわーっと罵詈雑言が押し寄せてくる。誰も声を掛けてくれなくて壮絶な孤独になる。でも、それを1回経験すると、強くなるんですよ。そうすると、たぶん、能力以上の何かが出てくる気がします。やっぱり経験は大事だね。

僕は捏造記者と呼ばれ、全身から血が流れ、出血多量で死んでしまいそうな痛みを味わった。大学に入学した当初は六畳一間に水道もトイレもない部屋に住んで必死にバイトしてお金を貯めて車を買い、納税者にまでなった。そういう経験を積んで、それゆえのバイアスは自分にある。

でもそういう自分をさらけだすことで、『あいつ、ちょっとひとつの党に肩入れし過ぎてるとかあるけど、書いてあるところは筋通ってるし』って読み方をしてもらえば、説得力が増すんだと思うんですよね。

ジャーナリズムとは、ひとつの見方を示してる人がいて、また違う人もいる。いろんなのがあって、押し合いへし合いしながら事実が修正されていくものなんだと思います。決して答えを教えるものがジャーナリズムじゃないでしょう」

和田靜香(わだ・しずか)◎音楽/スー女コラムニスト。作詞家の湯川れい子のアシスタントを経てフリーの音楽ライターに。趣味の大相撲観戦やアルバイト迷走人生、政治など書くテーマは多岐に渡る。主な著書に『スー女のみかた』(シンコーミュージック・エンタテインメント)、『世界のおすもうさん』(岩波書店)、『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか?国会議員に聞いてみた。』(左右社)がある。ちなみに四股名は「和田翔龍(わだしょうりゅう)」。尊敬する“相撲の親方”である、元関脇・若翔洋さんから一文字もらった。

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