【バレー】清水邦広「北京オリンピックの借りは返せたと思います。福澤の分も、北京時代の思いを込めて戦えました」

【バレー】清水邦広「北京オリンピックの借りは返せたと思います。福澤の分も、北京時代の思いを込めて戦えました」

  • バレーボールマガジン
  • 更新日:2021/11/25

【バレー】

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東京オリンピックでサーブを打つ清水邦広/写真提供:共同通信社

バレーボール日本代表でただ一人の五輪経験者として東京オリンピックを戦い、全敗だった北京五輪の借りを見事に返し、29年ぶりのベスト8に貢献した清水邦広選手に話を聞いた。

インタビューの後半に「忘れ物は取り戻せましたか」と聞くと、清水は少し押し黙った後、穏やかに笑ってうなずいた。「はい。取り戻せたと思います」と。

13年ぶりの出場の間には、2度の五輪出場権をその手で逃した苦い経験があり、3年前には引退も考えた大怪我を負った。しかし、清水はくじけなかった。リハビリに耐え、パナソニックの連覇を決めた試合にも出場。その後も2度の準優勝の原動力となった。

東京オリンピックの出場は、若きサウスポーエースの西田有志、チームの後輩である大竹壱青らと争うことになった。西田が圧倒的な決定力を誇る中、清水は「オリンピックでもレギュラーとして出場したい」という気持ちを抑え、「どんな場面でも、どんな役割でも全力を尽くす」とシーズン中からコメントしていた。中垣内祐一代表監督(当時)は、清水のその発言を評価。五輪直前に行われたネーションズリーグでも安定した力を発揮した清水が、直前に怪我をした西田のサポート的な役割も期待されて出場を決めた。

――2度目の五輪。開会式には出られませんでしたが、選手村に足を踏み入れて思ったことは。
「オリンピックの選手村に入ったときには『やっとこの舞台に立てたな』という思いを感じました。普通のバレーボールの国際大会とは違って、バレーボールだけじゃなくていろいろな競技が行われる。オリンピックという舞台はいろんな競技が一つに集まる大会なので、普段とは違う雰囲気をひしひしと感じましたね」

――そこに13年ぶりにたった一人2度目に足を踏み入れて。

「やはりオリンピックというのは独特な雰囲気だったり、プレッシャーが掛かる大会だというのは北京の時に感じたこと。ただ、今回の東京オリンピックは状況が違ってコロナ禍でしたから、例えば他の競技の応援に行けなかった。有明アリーナと選手村の往復だけで、北京オリンピックとはまた違いました。初めての感覚でしたね」。

――段ボールベッドって寝やすかったですか?

「寝やすかったです。日本開催のオリンピックということで、北京オリンピックのときは食事なんかも色んな国の食事がありましたが、今回は色んな国の食事もあったんですけど、日本食もあったのが嬉しかった。段ボールベッドも含めて、すごく環境の質が高かったと思います。選手が競技しやすい環境を整えてくださったので、選手としてはありがたかったですね」。

mikari

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