2007年には中国から“報復”されたが... “人権派”メルケルが“独裁者”習近平から国益を守り抜いた“秘策”

2007年には中国から“報復”されたが... “人権派”メルケルが“独裁者”習近平から国益を守り抜いた“秘策”

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/11/25

近く政界を引退するドイツのアンゲラ・メルケル首相(67)。4期16年にわたり、ドイツを率いてきたメルケル氏は、最大の貿易相手国である中国に融和姿勢を取ってきた。科学者出身の女性宰相であるメルケル氏の素顔に迫った決定的評伝『メルケル 世界一の宰相』から、中国・習近平国家主席とのエピソードを再構成して紹介する。(全2回の1回目。後編を読む

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アンゲラ・メルケル首相 ©️AFLO

「敵を憎むな。判断が鈍る」

「敵を憎むな。判断が鈍る」――映画『ゴッドファーザー・パートⅢ』でアル・パチーノ演じるマフィアのボスによるセリフだ。長年にわたり中国の独裁政権の相手をしてきたドイツ首相メルケルだったら、きっとこのセリフに賛同するだろう。

西側諸国の代表として民主主義や人権を擁護するメルケルは、中国やロシアといった独裁国家のリーダーたちとは真逆な価値観の持ち主だ。しかし、正義感に駆られるまま、国際社会の面前で独裁者を吊るし上げても、結果的には逆効果になりかねないリスクも分かっていた。首相としてドイツの国益を守る責務もある。それゆえ、ときにソフトパワーも駆使して、独裁者たちから実質的な成果を引き出してきたのだ。

中国の将来性を見抜き、有益な貿易協定を締結

ITテクノロジーなどの進化とともに経済成長を遂げ、いまや世界トップの座を狙う中国。けれども、メルケルはなんと2005年というかなり早い段階で中国の将来性を見抜き、以来ほぼ毎年のように訪中を敢行。江沢民、胡錦濤、習近平と、じつに三代に渡る指導者たちと対話し、関係性を重ねてきた。そして中国を訪問するたびに、ドイツ企業にとって有益な貿易協定を結び、ドイツ車は中国においてトップ3のシェアを誇るまでになった。

そもそもメルケルが、中国の経済的発展をいちはやく予想できたのには理由がある。歴史への造詣が深かったから、また、政界入りするまでは物理学者だったため科学にも強かったからだ。はるか歴史を遡れば、中国は火薬などの貴重な技術を発明し、天文学の研究も盛んに行なってきた。その昔はテクノロジー大国であり、世界史に君臨してきた時期が長かったことをメルケルは知っていた。それゆえ、いつの日かまた世界の主役の座へと返り咲くであろうことも容易に想像できたのだ。

そんなメルケルの中国への深い理解と洞察のもと、順調そうに見えた両国関係。だが2007年、ある異変が起きる。

チベット訪問による中国からの報復

北京を訪問したメルケルが、ひとつも協定を結べないという目に遭ったのだ。理由は政治的なものだった。訪中直前にメルケルが、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマと面談したから、また、北京滞在時に非政府組織や反体制派のフリージャーナリストとも話をしていたからだ。そのため、人権問題を常に警戒する中国当局から、受け容れ難い内政干渉であるとみなされ、報復を受けてしまったのだ。

中国当局はメルケルへ当てつけるかのように、同じ週に北京を訪問したフランスのサルコジ大統領へ対しては、原子力や航空関連で300億ドルもの多額の契約を結んだ。中国の人権侵害という非常にデリケートな問題に対して、サルコジがはるかに慎重に振舞っているということに、メルケルは気づかされた。

それ以来メルケルは、中国のリーダーに悟られないよう自身の民主主義的な価値観に従いながらも、ドイツの通商上の利益を守るという綱渡りを続けてきた。

2013年に国家主席に就任した習近平は、メルケルにこう語った。「中国であれどこであれ、人権を擁護する最良の方法は貧困問題に取り組むことだ」。表向きには中国を褒めたたえているメルケルとしては、その意見に全面的に反対はしなかった。しかし一方で、本当のところは人権派であるメルケルは、「こんなことを続けるなら、私たちは反体制派を公に擁護しなければならなくなります」と、習近平に言ったこともあるという。とくに昨今における習近平の強硬路線と個人崇拝に対しては、「失望した」とさえ発言している。

歴史に魅了され中国へ敬意を払ってきたメルケル

とはいえ、自由か自由でないかというよくある二項対立の視点ではなく、もっと複雑な視点で中国を見てきたメルケルは、ある時点から既にソフトパワーを使いはじめていた。中国の長い歴史や、西洋では無視されがちな文化に敬意を払っていることを中国側に伝えるためだ。

悠久で豊穣で波乱に満ちた中国の歴史に魅了されていたメルケルは、2010年の段階で、西安にある兵馬俑の視察も体験済みだった。始皇帝陵そばの兵馬俑に収められた7000体の兵士をかたどった埴輪をみて、いたく感動したメルケル。中国の指導者も、気をよくしていたに違いない。だが、中国文化の底力を目の当たりにしたメルケルは、一方でこうも感じたはずだ。紀元前210年の時点で、中国の職人は埋葬用に本物そっくりの兵士の埴輪を作っていた。その頃、ヨーロッパは何をやっていただろう、と。中国の文化や技術の力から学ばなければ、ヨーロッパは遅れを取ってしまうとの危機感も、メルケルは抱いたのだ。

「中国は人工知能の開発でも世界トップに立とうとしている」

2018年、メルケルは、テクノロジーの中心地である深圳(シンセン)を訪問した。ドイツの自動車産業は独自のバッテリーを開発できずにいるのに、深圳はなんの変哲もない地方都市からハイテク産業の中心地へと変貌を遂げた。その様子を自分の目で確かめたかったからだ。

「中国は人工知能の開発でも世界トップに立とうとしている」――メルケルは閣僚たちに語っている。2017年に、中国は120億ユーロをAIの研究に充てたが、かたやドイツは5億ユーロにとどまっている。

「10年もすれば、中国語の特許書類を読める者が必要となるはずです。なぜなら、中国人は英語で特許書類を書く必要を感じなくなるでしょうから」と、メルケルは予測する。

「個人データを国家や企業に所有させてはならない」という信念

ITやAIの時代においても、人権問題はついてまわる。もともと監視国家である東独出身者のメルケルは、常に見張られ、ときに同僚に密告されるなどの目に遭いながら育ってきた。だからこそプライバシーについての思いは人一倍強い。そのため、アメリカや中国ではなく、ヨーロッパがプライバシー保護の基準を決めて、世界的なデジタル規格についても主導権を握るべきだと考えてきた。「個人データを国家や企業に所有させてはならない」という信念があるのだ。現実主義者のメルケルは、中国の大手電話会社ファーウェイと交渉しながらも、プロバイダー企業に関してはドイツがしっかり管理するという点は譲らない。

このように監視国家の中国に対して、用心深く振舞ってきたメルケル。けれどもプライバシー侵害を仕掛けてくるのは、中国だけではなかった。メルケルは、最も信頼していた自由主義国家のトップに、みずからの携帯電話を盗聴されるというショッキングな経験もしている。まさに足元をすくわれたような思いをさせられたに違いない。その相手こそが、アメリカ大統領だったオバマである。

後編へ続く 「今はもう冷戦時代じゃない。友達が友達をスパイするなどあり得ない」 メルケルが“知的レベルが同じ”オバマに“激怒”した真相

(文藝春秋翻訳出版部/翻訳出版部)

文藝春秋翻訳出版部

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