5歳児を虐待死させた継父が「親になろうとしてごめん」と泣いた理由

5歳児を虐待死させた継父が「親になろうとしてごめん」と泣いた理由

  • PRESIDENT Online
  • 更新日:2021/01/13

東京都目黒区で船戸結愛ちゃん(当時5歳)が亡くなった事件の公判では、虐待した継父が「親になろうとしてごめんなさい」と謝罪した。彼は「親」を目指してはいけなかったのか。明治学院大教授の野沢慎司氏、大阪産業大准教授の菊地真理氏は「理想とする家庭像とのギャップに苦しんでいた」と分析する——。

※本稿は、野沢慎司、菊地真理『ステップファミリー 子どもから見た離婚・再婚』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

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写真=iStock.com/gyro※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gyro

「継親子だから虐待が起きやすい」のではない

子どもが死に至るような痛ましい児童虐待事件が、各種メディアで繰り返し大きく取り上げられています。「親」はしつけのためだったと主張することが多いのですが、どうして自分の子どもにそのようなひどい行為ができるのか、まったく理解できないというのが多くの人の反応ではないでしょうか。

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野沢慎司、菊地真理『ステップファミリー 子どもから見た離婚・再婚』(KADOKAWA)

最初に強調しておきたいのは、親の再婚などで継親子関係が生じるステップファミリー“だから”虐待が起きやすいのでは“ない”ということです。確かに、ステップファミリーが陥りやすい落とし穴があります。その落とし穴とは、初婚同士の夫婦(両親)とその子どもだけの核家族、つまり、親がふたり揃っている「ふつうの家族」として振る舞おうとすることです。そして、そのように振る舞わせようとする社会からの暗黙の圧力があるため、気づかないうちにその落とし穴の方向に進みやすいのです。

けれども、そのような状況にはまらないよううまく回避しているステップファミリーが、虐待のリスク要因になることはありません。ステップファミリーであれば必ず落とし穴の方向に進むというわけではないのです。

「思い描いた理想を結愛に押しつけてきた」

東京都目黒区で当時五歳の女児、船戸結愛ちゃんが亡くなった事件で保護責任者遺棄致死罪などに問われた、結愛ちゃんの継父の公判は、二〇一九年秋に開かれ、法廷での様子が詳細に報じられました。『朝日新聞』によれば、彼は「結愛ちゃんに『父親が必要だ』と思い」、結愛ちゃんの母親と結婚したと述べています。そして、「『笑顔の多い明るい家庭』にと理想を描いたが、血のつながりがないことを負い目に感じ、それをはね返そうと必要以上にしつけを厳しくした」と陳述しています。

「歯磨きや『食事への執着』について結愛ちゃんを直接しかるようになり、改まらないと『焦りやいらだちが暴力に向かった』」と言いました。同紙によれば、彼は「思い描いた理想を結愛に押しつけてきた。エゴ(自分勝手)が強すぎた」と事件の原因を分析し、「『親になろうとしてごめんなさい』と泣きながら謝罪」したのです(『朝日新聞』二〇一九年十月五日朝刊)。

継父は「親」になってはいけなかったのか

この「親になろうとしてごめんなさい」という言葉は象徴的な意味を持っています。彼の陳述を文字通りに受け取るならば、結愛ちゃんの継父は「親」になろうとしていたのです。いわゆる「ふつうの家族」になる理想を描いたと言い換えられるかもしれません。

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写真=iStock.com/kieferpix※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix

そして、親になろうと努力したけれど、それに失敗したことを認めています。彼は「血のつながりがないことを負い目に感じ」たと言っていますが、継親子に「血縁」がないことが「ふつうの家族」になれなかった決定的な要因なのでしょうか。この点をどうとらえるかが、ステップファミリー理解のための重要なポイントです。

彼は、継子である結愛ちゃんの「親」として「ふつうの家族」を目指すべきだったのでしょうか。それとも「親」になってはいけなかったのでしょうか。この点について、私たちの社会は、これまでしっかりと考えたり、議論したりしてきませんでした。つまり「落とし穴」を放置してきたのです。この点をさらに掘り下げ、「落とし穴」の意味を探る必要があります。そこで、結愛ちゃんの母親が書いた手記を手がかりにして、事件にいたる経緯を詳しく見ていくことにしましょう。

母親が手記に残した家族の変遷

二〇二〇年二月に、結愛ちゃんの母親が、『結愛へ─目黒区虐待死事件 母の獄中手記』を出版しました(以下『手記』と略します)。その記述からは、彼女が夫から受けた精神的DVの被害者であったため、娘を虐待から守れなかった側面があるように推測できます。しかしその一方で、母親の視点から描かれたこの家族の変遷をよく見ていくと、継父の公判陳述と(矛盾するというよりは)響き合いながら、ステップファミリーが陥りやすい落とし穴にはまっていった様子を読み取ることができます。

『手記』の第1章には、高校生だった彼女が、後に結愛ちゃんの「父親」となる男性と出会い、結婚・出産した後に離婚し、その後、結愛ちゃんの「継父」となる男性と出会って再婚するまでの経緯が書かれています。

手記』にははっきりと書かれていませんが、離婚後は母親が結愛ちゃんの親権者となったようです(日本の法律では、婚姻中は両親が共同で親権を行使しますが、離婚後にはどちらか一人だけが親権者となります)。離婚後に彼女は結愛ちゃんと二人の生活を支えるために、キャバクラで働きました。離婚後しばらくは元夫と会っていたと書かれています。彼は養育費を払うことはなく、むしろ彼女に多額のお金を強く要求してきたのを断りきれなかったと書かれています。

「今度こそ憧れの家族になれるはずと信じていた」

離婚後に彼女は、働いていたキャバクラのボーイだった男性と親しくなりました。そして、その人柄に惹(ひ)かれていきました。彼について、「結愛と遊ぶのも面倒を見るのも上手だった。結愛もすぐなついた」と『手記』に書いています。そのときの気持ちを、「私は今度こそ、お父さん、お母さん、娘という憧(あこが)れの家族になれるはずと信じるようになった」と表現しています。

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写真=iStock.com/kazoka30※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazoka30

以上のような母親の『手記』第1章の記述を、すでに紹介した継父の法廷での陳述と重ね合わせてみましょう。すると、結愛ちゃんの母親も継父も、新たな家族生活に理想や憧れを持ち、積極的に、前向きに家族関係を築こうとしたという点では一致していることがわかります。目標とする家族像は、「お父さん、お母さん、娘」という構成の家族です。

娘の将来について毎晩話し合っていた

この『手記』には「継父」という表現はまったく登場しません。継父が結愛ちゃんの「父親」になって、夫婦とその子どもから成る核家族が再構成されるイメージです。実際、継父は継子と養子縁組をしたのですから、親権者であり、法律上も「親」になったことになります。

一方、結愛ちゃんの「父親」は、結愛ちゃんの人生から姿を消しています。「親」ではなくなったように見えます。この時点で継父は、結愛ちゃんにとっての唯一の「父親」になり代わりました。そして、結婚後ますます結愛ちゃんの教育に熱心になったようです。「両親二人の教育方針がバラバラだと結愛が混乱するから」と言って、毎晩仕事から帰ると結愛ちゃんの将来についての話し合いが始まったというのです。

父親をリーダーとして夫婦が連帯したチームとなり、子どもの教育に力を入れる家族がスタートしたように見えます。最終的に、暴力やハラスメント行為に突き進んでしまったことは明らかに問題です。しかし、当初二人が目指したことに問題はなく、「正しい」道を歩み始めたようでもあります。

理想が実現しない原因を子どもに求めてしまう

子どもの視点から見ると、家族の変化はどのように映るでしょう。結愛ちゃんの場合、四歳近くになるまでの母と二人の暮らしがあり、その前にも二歳までは父親を含む親子三人の暮らしがありました。それに馴染(なじ)んできたはずです。

一緒に暮らし始めたばかりの継親と継子が長年の親子のような関係にならなくても不思議はありません。子どもの親と同居や結婚をし、養子縁組をすれば、自動的に継親子間に愛着関係が生じるわけではありません。

そのような愛着や信頼関係のない大人が、急に子どもに高い目標を課し、目標を達成できなかったら厳しく罰するようなこと(しつけ)をしたら、その子どもはその大人に対して抵抗を感じるでしょう。そうした子どもの抵抗はむしろ自然な反応ですが、大人にとっては理想とする親子関係とのギャップとなります。

さらに、結愛ちゃんの継父(あるいは母親)のように理想化された目標(憧れの家族)へのこだわりが強い場合、理想が実現しない原因を特定の誰かに求めるようになります。家族の中で弱い立場にある子どもがそのターゲットになりがちです。結愛ちゃんもターゲットになってしまいました。

同様に、継親から「子どものしつけができていない」と親が責められることがあります。逆に、親から「自分の子どもをなぜ愛せないのか」と継親が責められることもあります。結愛ちゃんの家族ではこれらすべてが起きました。理想的な家族に向かうように夫婦(だけでなく夫の母も)が相互に圧力をかけ合ったことでターゲットの子どもを責める暴走が加速されたように見えます。

「結愛が悪いんだ。結愛を直さなくちゃいけない」

手記』の中でもっとも強烈な印象を与える次の場面に、そのことが象徴的、集約的に表現されています。結婚式直後の時期に、床に横になっていた結愛ちゃんのお腹を継父が蹴り上げるという出来事です。少し長くなりますが、引用してみましょう。

おそらく〔結愛が:筆者注〕彼を本気で怒らすことが直前にあったのだろう。
結愛はきっと泣いていた。でも結愛の泣き声は聞こえない。彼の声だけしか聞こえない。
「結愛が悪いんだ。結愛を直さなくちゃいけない」
この時のことは、題名のついた写真のように頭の中に保存されている。
結愛と私は二人だけで自由にやってきた。新しいパパが来て、私たちの生活は180度変わった。
「これまでOKだったことがどうしてダメになったの。ママ、なんとかしてよ」。結愛の目はそう言っていた。
ママももうあなたを助けられない、パパの方が正しいんだよ。
(『手記』五二~五三頁)

「親」になるという目標の「落とし穴」

これは、子どものしつけに熱心な父親と母親と子どもという理想の終着駅に向かう列車に乗ってしまった家族にとって、重要な分岐点にあたる場面です。結愛ちゃんの母親の記憶に「題名のついた写真」として保存されていることからもその重要性がわかります。結愛ちゃんが家族の中の急激な変化に対してあまりにも理不尽だと感じていることに、母親も半ば気づいていたことが告白されています。

しかし、「正しい」「新しいパパ」をもはや簡単に下車させるわけにはいかないと感じた彼女は、その現実から目を背け、結愛ちゃんからの救助を求めるメッセージを遮断してしまいました。

こうした文脈から、公判陳述での継父の「親になろうとしてごめんなさい」という言葉を解釈すると、走っていた列車から降りてみたら、目指した理想自体が現実離れしていたことに気づき、暴走を止めるべきだったことにようやく思い至った、と言っているのだとわかります。結愛ちゃんの「親」になるという目標は「正しい」路線ではなく、「落とし穴」だったと気づいたのです。

「ふつうの家族」として見なす日本社会

非現実的な目標に向かって走っていることに気づかなかったのは、この家族あるいは継父だけに責任がある問題なのでしょうか。この点を考える上で興味深いエピソードが『手記』に書かれています。虐待の疑いで結愛ちゃんを保護した香川県の児童相談所での経験を回想した部分です。

「『一般的には』『普通の家庭は』と他と比べられて、何かマニュアル通りに進められている気がしました。相談しても『そうですか』と言うだけで解決策をくれずにとても困りました」と結愛ちゃんの母親は書いています(『手記』一七四頁)。彼女の記憶と記述が正しいとすれば、彼女自身も、対応した職員も、ステップファミリーを「ふつうの家族」と見ていたことになります。にもかかわらず、彼女は一向に解決への出口が見つからない気持ちを内側に抱え込んでいったようです。

しかしこれは、特定の児童相談所の対応の問題なのではありません。現状では、ステップファミリー向けに特別な支援体制をもっている公的機関は、日本のどこにもないと言ってよいでしょう。これまで私たちは、臨床の専門家に相談した継母さんの多くから、「ふつうの家族」の「母親」向けの助言や励ましを受けるだけだったというエピソードを聞きました。

つまり、ステップファミリーを、両親とその子どもから成る単純な核家族と「同じ」ものと見る視線が日本社会全体に蔓延(まんえん)しているのです。

リスク要因だけを周知すれば虐待の深刻化につながる

その一方で、厚生労働省のウェブサイト上で公開されている『子ども虐待対応の手引き』の第2章「発生予防」には、虐待が発生しうる「リスキーな家庭環境」として他の要因とともに「子ども連れの再婚家庭」があげられています。冒頭では、ステップファミリーであること自体が虐待のリスク要因ではないと書きましたが、国の虐待防止政策の方針を示すこの手引きでは、リスク要因として明示されてしまっています。

ステップファミリーであることがなぜ、どのようにして虐待につながるか(つながらないか)の理解がともなわなければ、マニュアル上でリスク要因だと示しても虐待を予防する効果が期待できません。しかし、予防や支援の方法は厚労省の『子ども虐待対応の手引き』には書かれていません。単に、このような家族は危険だから警戒せよと言っているのと同じです。

予防や支援が不可能なまま、リスク要因として社会に周知することは、むしろ虐待の深刻化につながる恐れがあります。虐待リスクが高いかのようなマイナスイメージ、否定的な先入観が社会に広まったら、当事者は「ステップファミリー」であることを周囲に隠そうとするでしょう。

虚構に基づく家族を目指す危うさ

こう考えてくると、結愛ちゃんの継父の「親になろうとしてごめんなさい」という謝罪の言葉は、虚構に基づく家族を目指す危うさを告発する言葉のようにも聞こえてきます。すでに述べたことと重なりますが、継親を唯一の父/母とみなす「常識」が浸透した社会全体がステップファミリーを虚構に基づく家族へと導いている側面があります。

そして、これこそが虐待のリスクを生む社会的な背景要因です。この方向に進むことを避けさえすれば、ステップファミリーにもそのようなリスクは生じにくいことを再度強調しておきます。

私たちは、原因を血縁がないことに求めがちです。そして、継親子という「血縁のない親子」の存在自体が「問題」であるかのように考えがちです。『ステップファミリー 子どもから見た離婚・再婚』(KADOKAWA)の第一章後半では、千葉県野田市で二〇一九年一月に起きた血縁の父親による女児虐待死事件との比較から、さらにこの点を検討しています。

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野沢 慎司(のざわ・しんじ)
明治学院大教授
1959年生まれ、茨城県水戸市出身。1989年、東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得満期退学。社会学修士。専門は家族社会学、社会的ネットワーク論。明治学院大学社会学部教授。2001年より菊地真理らと協働して日本のステップファミリー研究を牽引。その間、フロリダ州立大学・オークランド大学で客員研究員。支援団体SAJと協力して一連の国際会議を開催する。単著に『ネットワーク論に何ができるか「家族・コミュニティ問題」を解く』、共著に『ステップファミリーのきほんをまなぶ 離婚・再婚と子どもたち』などがある。
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菊地 真理(きくち・まり)
大阪産業大准教授
1978年生まれ、栃木県宇都宮市出身。2009年、奈良女子大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。専門は家族社会学、家族関係学。大阪産業大学経済学部准教授。2001年よりステップファミリー研究および当事者支援団体SAJでの活動を始める。共著に『ステップファミリーのきほんをまなぶ 離婚・再婚と子どもたち』『現代家族を読み解く12章』などがある。
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野沢 慎司,菊地 真理

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