エネルギー小国日本の選択(12) ── 資源高と原子力ルネッサンス

エネルギー小国日本の選択(12) ── 資源高と原子力ルネッサンス

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  • 更新日:2017/11/18
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原油高で石油株は上昇した(2013年8月、ロイター/アフロ)

1990年以降、1バレル20ドル前後で推移してきた原油価格は、2000年代半ばから上昇基調となり、2008年に急騰して100ドルの大台を突破、一気に147ドルの史上最高値まで駆け上がる。背景には中国をはじめとする新興国の旺盛な需要があった。将来の安定供給が不安視され、国際商品取引に投機的なマネーが流入し、上昇を加速させた面もある。

携帯電話の部品として使われる希少金属(レアメタル)も高騰した。中国が世界各地の資源を買い集め、諸外国は警戒。獲得競争が激化し、各国が資源外交を繰り広げた。

日本は石油製品の価格上昇を受け、メーカーや運輸など幅広い産業に影響が及んだ。一方、日本が培ってきた技術や製品を官民一体で売り込むことで資源国から有利な条件を引き出したり、新興国の成長市場を取り込もうとしたりした。省エネ技術や鉄道などのインフラと並んで、売り込みを図った商材の一つが原子力だった。

地球温暖化の問題も相まって欧米を中心に「原子力ルネッサンス」なる動きが取り沙汰されていた。日本は政権が自民党から民主党に変わっても原子力を推進する政策は一貫していた。東日本大震災が起きるまでは ── 。

資源獲得に向け、世界中を駆け回る中国

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安徽省合肥市にあるSinopecの石油タンク(ロイター/アフロ)

1978年の第2次石油危機後、原油価格は長らく概ね1バレル10~40ドルで推移していた。変調を来し始めたのは2004年頃。背景には中国をはじめとする新興国の成長に伴うエネルギー需要の増加があった。

1991~2010年代前半、実質国内総生産(GDP)に基づく中国の経済成長率は対前年ベースで平均約10%と高水準で推移した。日本が同時期にほぼ横ばい、時にマイナス成長だったのとは対照的だった。

中国の原動力は世界一を誇る10億人超の人口だ。1990~2010年代を通じて増え続け、現在約14億人を抱える。産業の近代化が進み、整然とした工業地帯もでき始めた。日米欧のメーカーも安い労働賃金をにらんで中国に生産拠点を設ける動きが、21世紀に入り加速した。中国は「世界の工場」と呼ばれるようになり、エネルギーの需給は逼迫(ひっぱく)した。

中国は国内屈指の生産量を誇る大慶油田などを持ち、かつては石油輸出国だった。だが1990年代前半に輸入国に転じ、資源獲得に向け世界中を駆け回った。名だたる大油田は欧米の国際石油資本が押さえていた中、中国は欧米と政治的に距離を置く国家との繋がりを深めていった。ロシアやイラン、ベネズエラといった国々で、開発中あるいは未開発の大規模油田が眠っていた。

CNPC(China National Petroleum Corporation;中国石油集団)とCNOOC(China National Offshore Oil Corporation;中国海洋石油総公司)、Sinopec(China Petrochemical Corporation;中国石油化工集団公司)などの中国国営石油が次々と海外の油田開発事業に乗り出した。

アフリカも未開発油田が多く眠るとして、中国は積極的に展開した。その際に使った仕組みが「Loan For Resource Program」(ローン・フォー・リソース・プログラム)だ。資源獲得の見返りに融資を行う内容で、都市開発や道路建設などインフラ整備をパッケージでセールスし、引き換えに対象国の資源を手に入れていった。

近年、急増する訪日中国人が日本製の化粧品やお菓子を大量購入する「爆買い」が、まさに世界中で行われた。

電力、ガス各社を直撃した資源高

価格面で言えば、石油危機の水準を遥かに上回り、2008年7月には、原油の国際的な指標のWTIが史上最高値となる1バレル147ドルを記録した。原油価格に連動する液化天然ガス(LNG)も急上昇した。

日本の石油元売り、電力、ガス業界はもとより、運輸やメーカーなど影響は広範囲に及んだ。もっとも、1970年代の石油危機に見られたようなパニックはなかった。

資源価格の急騰を受け、電力の燃料費調整制度、ガスの原料費調整制度がそれぞれ見直された。資源価格の変動に伴う料金単価の変更時期に関し、それまでの3カ月ごとから毎月に改めた。価格変動をより迅速に料金に反映できるようにした。

とは言え、資源高は電力、ガス各社を直撃した。東京電力は2007年の新潟県中越沖地震の影響で柏崎刈羽原発全7基が止まったままで、化石燃料を大量消費する火力発電所を酷使していた。そこに資源高が重なり、未定としていた2009年3月期連結純損益予想を、2800億円の巨額赤字とした。東電に限らず、関西電力や中部電力など業界上位が軒並み赤字の業績予想を示した。LNGを原料とするガス各社にも痛手となり、東京ガスが2009年3月期業績予想を赤字に下方修正した。

メタンハイドレートの採算ラインは原油1バレル100ドル

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「深層型」の太平洋側(左)と「表層型」の日本海側(右)の分布の違い(明治大学ガスハイドレート 研究所のウェブサイトから)

原油価格の高騰はまた、2009年8月に「エネルギー供給構造高度化法」が施行される契機となった。電気、ガス、石油のエネルギー企業による非化石エネルギーの利用、化石燃料の有効活用が促された。特に石油元売り業界では、徹底した石油精製設備の効率化も求められた。装置の更新や廃止などの取捨選択、業界内の再編に繋がってきた。

エネルギー産業以外でも、ガソリンやジェット燃料の価格が上昇し、運輸部門に痛手となった。航空業界では、国際線利用時の「燃油サーチャージ」が増額し、顧客の負担が増した。燃油サーチャージの価格上昇を踏まえ、旅行会社のツアー料金が複雑だったため、国土交通省は2008年6月、旅行業界に対してサーチャージを含む総額を明示するよう通達を出した。このほか、トラックなどの運送業界も高まる輸送コストの上昇に悲鳴を上げ、化学品メーカーでも食品トレーなど石油を原料とする製品の値上がりが見られた。

一方、原油高により、従来は不採算だった水深数千メートル級の海底油田の開発なども実現可能性が出始めるなどの効果も及んだ。「燃える氷」と呼ばれるメタンハイドレートなどの開発を後押しすることにもなった。メタンハイドレートは当時、原油価格が1バレル100ドルを超えれば採算に合うとも言われた。日本近海にも埋蔵が確認されたことから、日本が資源を持たざる国から、資源国にもなり得る期待が高まった。

ただ、原油価格はその後急速に萎み、2008年末には30ドルまで下落し、1年を通じて乱高下した。

こうした下落は、資源価格が高止まりすると見越して大幅な赤字決算を覚悟していた電力、ガス会社には不幸中の幸いだった。東電の2009年3月期連結純損益は結局、845億円の赤字にとどまるなど、各社が描いた悲惨な巨額損失は幾分緩和された。一方、高い油価が続くと見込んで新たな開発案件を検討しだしていた国際石油開発帝石(INPEX)などの石油開発会社は事業の見直しを迫られることとなった。

同じことは資源国にも当てはまる。すなわち、資源高で潤沢な資金が手に入ると見込んで都市開発などに大規模投資に向かっていた産油国は、計画の修正や中止を余儀なくされた。資源国はそうした原油急落を回避しようと、石油輸出国機構(OPEC)主導のもと、協調して原油の生産量を減らすなどの取り組みを続けてきた。ただ、最近は盟主のサウジアラビアが調整役を放棄するなど足並みの乱れも指摘され、産油国が一枚岩でないと露呈している。

投機的なマネーが原油先物市場を席巻

2008年の原油価格高騰は一方で、新興国をはじめとする需要の高まりという一側面だけでは捉えられない。すなわち、原油という国際商品が対象となり、投機的なマネーが先物市場を席巻したということだ。

原油価格を形成、変動する要因には、需要と供給といった実際の需給「ファンダメンタルズ」と呼ばれる要因と、他に「プレミアム」と呼ばれる将来的な供給不安や地政学的リスクなどの要因に分けられる。原油の生産が減る、絞られるとなれば商品としての稀少性、価値が高まり、価格上昇要因になる。

経済産業省は2009年のエネルギー白書で、2008年10~12月期の実績値1バレル123ドルの要因を半分の約60ドルはファンダメンタルな要因とした一方、残りはプレミアムに起因していたと指摘した。

それまで長く安い油価に慣れていた日本で再び、エネルギーセキュリティー(安全保障)が叫ばれるようになった。1970年代の石油危機を教訓に、一つのエネルギー源、特定の地域に偏ることのリスクを学んだ。中東でひとたび紛争やテロが起これば、石油の供給途絶が不安視される。

それを避けるため、石油危機後に中東からの輸入依存度、石油の1本足打法からの脱却が図られてきた。ただ、一度は6割台まで下がった中東依存度は、1990年代以降の安い原油価格のもと、2007年度の中東依存度は実に9割前後と石油危機当時、1970年代の比率に逆戻りしていた。

日本のエネルギーの需給に関する大きな方向性を決める「エネルギー政策基本法」が施行されたのは2002年のことだった。閣議決定によるエネルギー基本計画が作られるようになり、2007年と2010年、そして東日本大震災後の2014年に改定された。

エネルギー政策の柱となった原発輸出

中東依存は依然、課題として残るが、石油依存からはある程度脱却できつつあった。原子力が国策として進められてきたためで、政府も電力会社も原発推進策が成功していると自信を持ち始めていた。日本の電源構成に占める石油の比率は、第1次石油危機の1973年度には7割を超えていたのが1991年には2割台まで低下、2010年度には6%にまで下がった。一方、1973年度にわずか2%に過ぎなかった原子力は普及拡大を続け、1990~2000年代まで概ね20%台で推移した。

震災の起きる半年ほど前の2010年6月に決まった第3次エネルギー基本計画では、地球温暖化対策にも資するとの観点から、原発の推進が前面に押し出されていた。原子力による発電割合を20年に40%、2030年に約50%まで高め、新たな原発を2020年までに9基、2030年までに14基以上運転させることを目指した。巨費が動く原発には、2008年のリーマン・ショックに伴う業績悪化を受けた企業からも、期待が大きかった。

他の先進国でも二酸化炭素の排出量が比較的少ないとして、原発推進を是とする風潮が高まりを見せていた。東南アジアなどの新興国でも、急増するエネルギー需要に対応する電源として原発が有望視された。「原子力ルネッサンス」という言葉が世間を賑わせた。

日本政府は、資源外交の武器にもなる原発輸出を、エネルギー政策の柱の一つとしていた。2010年10月には大手電力と東芝、日立製作所、三菱重工業、官民ファンドの産業革新機構が出資する国際原子力開発(JINED)を新設。高度なスキルを要する原発の技術者などの人材育成もパッケージにし、売り込みを図った。まずはベトナムとの交渉が上首尾に進んでいた。次に ── 。

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2011年3月、東日本大震災が発生し、福島第1原発事故が起きた(TEPCO/ロイター/アフロ)

これから本格始動という時に、東日本大震災が発生し、福島第1原発事故が起きた。日本のエネルギー政策、とりわけ原子力政策は根本から揺らいだ。

次回からは2011年3月の震災以降、原発を中心にエネルギーを取り巻く情勢の激変期を見ていきたい。

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