吉開菜央×石川直樹『Shari』に、アオイヤマダ、柴田聡子、片岡礼子ら著名人が絶賛コメント

吉開菜央×石川直樹『Shari』に、アオイヤマダ、柴田聡子、片岡礼子ら著名人が絶賛コメント

  • Real Sound
  • 更新日:2021/10/14
No image

『Shari』(c)2020 吉開菜央 photo by Naoki Ishikawa

10月23日公開の吉開菜央による初の長編映画『Shari』に著名人が絶賛コメントを寄せた。

【写真】『Shari』シーン写真

カンヌ国際映画祭に正式招待された『Grand Bouquet』をはじめ、米津玄師「Lemon」MVの出演・振付でも知られる吉開と、初の映画撮影となる写真家・石川直樹とのコラボ作。数十年に一度の少雪に見舞われた2020年冬の北海道・知床・斜里町を舞台に、“摩訶不思議なほんとのはなし”を描き出す。

羊飼いのパン屋、鹿を狩る夫婦、海のゴミを拾う漁師、秘宝館の主人、家の庭に住むモモンガを観察する人……彼らが住むのは、日本最北の世界自然遺産、知床半島。2020年の冬は雪が全然降らない。流氷も来ず、地元の人に言わせれば、「異常な事態」が起きている。 そんな異変続きの斜里町に、突如現れた「赤いやつ」。そいつは、どくどくと脈打つ血の塊のような空気と気配を身にまとい、いのちみなぎる子どもの相撲大会に飛び込む。自然、獣、人間がせめぎあって暮らす斜里での物語。

映画公開に先駆け、ダンサーのアオイヤマダ、人類学者の中沢新一、ミュージシャンの柴田聡子ら、各界の著名人よりコメントが寄せられた。

■コメント
・アオイヤマダ(ダンサー)

赤、緑、青。
その三原色を守りたい、
あの白い景色と、未来の光は消えてしまう。
私は15歳で上京して以来、
気がついたら自分の心臓の音を忘れていた。
生きている、当たり前のような、奇跡の現象。
北海道の奥地に行った時、
自然と人間は共に生きている。という感覚になったのを思い出しました。
この映画の途中、気がついたら、
胸に手を当て、心臓の音を聞こうとしてた。
久しぶりの感覚、音、ありがとうございました。

・佐々木敦(思考家、作家)

現在、長らく「映画」と呼ばれてきたものの臨界が激しく揺らいでいることに異を唱える者はいないだろう。
だが吉開菜央は、それとはまったく違った手つきで、「映画」を押し広げ、変型させ、新たなかたちに仕立て直す。
おおらかさと過激さ、大胆さと柔らかさが、唯一無二のありようで共存する、彼女の作品世界は、それは最初からそうだったのだが、気づいてみると、ずいぶん遠くまで来ていた。
『Shari』は驚きと発見に満ちた映画だ。
あたらしい映画が、ここにある。

・中沢新一(思想家・人類学者)

「赤いやつ」って何だ。白い雪の大地をころげ回って、新しい芽吹きを促そうとしている。幾重にも重なりあったメタファーの宝庫。

・柴田聡子(ミュージシャン)

『Shari』を見ていて思ったのは、吉開さんは作品の中にぐいっと入る。気持ちを入れるとか出演するとかそういうレベルじゃなく、本当に入る。こわいくらい一体となりにいく。作品と己の境界線が自由自在で、それが作品になっている様は、驚愕、爽快です。今回は石川直樹さんや斜里町の方々など、たくさんの要素が入り込んでいて、人と知床と作品、それぞれの吉開さんとの境界線の違いや、それについて考えた跡みたいなものも面白くて、愛らしく感じました。淡々とした挑戦と本当のハートウォーミングが詰まっていて、すごい。

・小野和子(民話採訪者)

これを作られた方の息づかいが伝わってくる、いい映画だと思いました。あくまでも平凡といってもいい日常に根を置きながら、その平凡な日常を包んでいる実は摩訶不思議の一つ一つを丁寧に巡る、そんな印象を受けました。少しも無駄のない、しかし実は無駄だらけで構成された真実とでもいうべき世界がそこに展開していたと思います。荷馬車につけられた鈴の音のように、いくつもの音、音、音が、観る者を新たな世界へ連れ込んでくれる映画でした。

・片岡礼子(俳優)

語り継がれる赤いやつと
ナレーションの声がどれだけの体験をしたのかを物語っていた。守りたい自然とどこかへ続いてほしいひとの営み。それを同時に願うのは我儘なのか。
子どもたちの帰ってくる場所も
大人たちのやがて還りゆく場所も
Shariだけは知っているようで
笑って観たけれど、秘めているものは少しだけ怖かった。

・円香(魔女)

私もあなたもこの赤いやつなんだ。 皮膚に収まっていた血潮が身体から吹き出し、生命のつながりが鼓動する。 けものとにんげん、殺すか生かすか、赤と白、積もる雪、吐く吐息は赤く、 流氷も溶ける熱と斜里の雪景色の裂け目で、吉開菜央が相撲をとっている。

・荻野洋一(番組等映像演出/映画評論家)

カンヌ短編部門への正式出品を果たした吉開菜央の次回作はいったいどんな勝負作が出てくるのかと待っていたら、意表を突くほどリラックスへといざなう北海道の旅日記である。肥大する自我としての赤い毛糸のバケモノのそぞろ歩きと、「鹿肉、鹿肉」と無邪気にくり返す一人称語りとの遊離が、吉開的ダンス/映画の新たな進化を示す。流氷の軋むギシ、雪原を踏みしめるザク、パンを焼く炎のバチ、不眠の心臓ドクという摩擦的擬音と、小鈴のリン、結晶のチャリという軽金属的擬音がせめぎ合うパ・ド・ドゥとしてのシャ+リ[ʃa-ɽi]。

・石井達朗(舞踊評論家)

ジャンルをこえて映画づくりのために集まった少数精鋭のスタッフ、登場する大人たちと子供たち、そして斜里を抱えてそこにある海と山と生き物たちーーーすべてが主役で、すべてが脇役である。その人と自然の、生きとし生けるもののトータルな息遣いが、あとあとまでも尾を引いている。

・大崎清夏(詩人)

血の赤、肉の赤、生きている身体の赤が、点々と跡を残していく。その彷徨に同行しているうちに、見ている私の身体の内側がどんどん裸になっていく。それは山を登る時におぼえる感覚にちょっと似ていて、呼吸は浅くなってゆくのに、血の流れがどんどん身体の隅々まで巡って、澄んでゆくような感じ。

・ヴィヴィアン佐藤(ドラァグクイーン/美術家)

これは幻想と現実が混成するアマルガム(混合物)だ。
私たちの生にはどちらも混在している。幻想だけでは生きていけないし、現実だけでも到底生きていけない。アートに触れているときだって、ふと日常を気にするし、日常の中にだって神秘を見ようとする。
実際の土地も私たちの身体も同じように、幻想も現実も共存している。
『Shari』がスゴイところは、どちらも許容する懐の深さとそれを認める潔さだ!
それはなかなかできない。

・小柳帝(ライター・編集者)

この映画を観たら、『Wilder Mann』の写真家シャルル・フレジェも、「赤いやつ」を撮りにはるばるフランスから斜里まで赴くのでは!?
吉開菜央は、純白の世界に「赤いやつ」という斜めの線を引きながら、劇映画、ドキュメンタリー、アート・フィルムといったジャンルの境界線を軽々と越えていく。

(リアルサウンド編集部)

編集部

この記事をお届けした
グノシーの最新ニュース情報を、

でも最新ニュース情報をお届けしています。

外部リンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加