移住者インタビュー/米富繊維 大江健さん「絶対に無理だと思っていたファッションの仕事を今、山形でしています」

移住者インタビュー/米富繊維 大江健さん「絶対に無理だと思っていたファッションの仕事を今、山形でしています」

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  • 更新日:2022/07/05

山形市の隣、山辺町はかつてニット産業の町として栄えていました。その立役者となっていたのが、創業70年の歴史を誇る米富繊維。ニットテキスタイルの開発、編み立て、縫製、仕上げなどニット製造に至るほとんどの工程を自社で行なえる世界でも有数のニットメーカーです。OEM(他社ブランドの製品を製造すること)とODM(他社ブランドの製造だけでなく、デザインもすること)で国内の大手セレクトショップやデザイナーブランドと取引を行なってきましたが、2010年に自社のファクトリーブランドをスタートさせました。その新事業プロジェクトを索引したのが、現社長の大江健さんです。大江さんは、東京で生活をしていた頃「ファッションを仕事にするなら山形ではできない」と考えていたそうですが、山形市にUターンした今も、ファッションの仕事を続けています。その環境の変化は、なぜ生まれたのでしょうか。米富繊維の新しい取り組みとともにお伺いしました。

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大江さんが立つのは、米富繊維が誇る全自動横編機の前。

米富繊維のブランド化にチャレンジしないといけないと思った

大江さんは、大学進学とともに東京に上京。ちょうどそのときは『裏原宿』がブームだった時代だ。『A BATHING APE』や『UNDERCOVER』などのストリートブランドが流行り、ファッション業界からスターも生まれていた。今のように通販が気軽にできなかったため、地方では雑誌に載っているものを実際に見ることすら難しい。それが東京では、すべて手に取ることができる。まさに流行の中心にいることで、大江さんはファッションへの興味が高まっていった。

「就活をする年になって考えたのは、ファッションの世界で働くことでした。まずはしっかりと勉強するためにも、『IFIビジネススクール』でファッションマーケティングとデザイン、ファブリックについて学びました」

卒業後は、大手セレクトショップに就職。都内の路面店で販売員として5年半勤務した。セレクトショップを選んだのは販売がしたかったというよりも、いずれバイヤーやマーチャンダイザーとして働けると思ったから。

「販売の仕事には満足していたのですが、30歳になる頃、結婚して子供が生まれ、ライフスタイルの変化とともに自分を見つめ直していました。僕が働いていた時代は会社が急成長しているときで、先輩や上司のレベルもものすごく高い。一方で僕は、まだかなり下のラインにいる…。誰でもその位置にいけるわけではないと気づいたんですね。40歳になっても同じように販売をしているのかと思うと、不安も感じ始めていました」

当時、大江さんが担当していたのは、メンズのスーツを販売するフロア。海外のファクトリーブランドを多く扱っていて、イタリア、フランス、アメリカなどの製品をお客様に勧めていた。そこで気がついたのは、日本のファクトリーブランドがひとつもないということ。

「90年代以降、日本の工場は受注が減って倒産が続いていると聞いていました。それなのに海外のファクトリーはOEMで「PRADA」や「GUCCI」の生産をしながら、自分のブランドを持って世界中でブランドを展開している。その差はなんなのかと思い始めていた頃、父親と初めて会社の話をする機会がありました。その中で『米富繊維は長い歴史と技術があるけれど、自社のブランド化に取り組んでいない。誰かがそこにチャレンジしないといけないんじゃないか』ということを感じたんです。将来について考えている時期だったこともあり、僕が新規事業として自社のファクトリーブランドを立ち上げよう、米富繊維に転職しようと決めました。とにかく『会社がなくなってしまう前にチャレンジしなければ』という思いで飛び込んだんです」

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10代のときは、父親が買ってきたアメリカントラッドの定番ものをお下がりで着ていたそう。

ブランドスタートには販路開拓が重要だった

2007年に米富繊維に入社。家族との暮らしの拠点は東京に置いたまま、山辺町の工場と行き来する生活をスタートさせた。最初は工場で生産の現場を経験し、その後OEMの営業に。取引先のブランドとの間に入って仕事をするうちに、現場が置かれている状況の深刻さを目の当たりにしたという。

「これまでブランドを作ろうとならなかった理由が見えてきました。2008年にリーマン・ショックがあり、取引先の倒産が増えて受注はさらに減少。売上が急になくなることも。毎日残業をしても作業が終わらないのに、やってもやっても儲かった感覚がありませんでした。誰と話してもポジティブな話は出てこなくて、これはもう終わっている産業なのか。もう復活はできないのか、と感じたこともありました」

それでも奮起して2010年に自社ブランド「COOHEM(コーヘン)」をスタート。当時は社内にデザイナーもいなかったので、大江さんが自らデザインをして完成させた。東京で行なわれた合同展示会に出展し、現地で商談の仕方や取引条件を学びながら交渉をした。「SHIPS」や「ベイクルーズ」といった大手セレクトショップなど数件と交渉が成立。好調なスタートを切ることができた。

「ブランドをスタートさせたときは、販路を開拓することが大変でした。東京で行なわれる展示会でどれだけ知名度を上げられるのかが重要になります。それ以外には、都内のセレクトショップと百貨店を回り、地方にも行きました。少しずつ販路を広げ、2013年にはパリの展示会にも出展し、海外ショップとの取引も開始。それには英語ができるスタッフが入社してくれたことが大きいです。可能性が広がりました」

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ブランド名の由来である「交編」は、素材や色、太さの違う素材を組み合わせて織物のように仕上げる技術のこと。

2020年にはふたつ目の自社ブランド「THISISASWEATER.(ディスイズアセーター)」を立ち上げた。「メンズとウイメンズの区別がなく、年齢もファッションの嗜好性も問わない、あらゆる人たちに支持されるもの」というのがコンセプトだ。「Yonetomi NEW BASIC」をコンセプトにパックTシャツや靴下を買いやすい価格帯で展開するブランドも始まった。どの自社ブランドも米富繊維の技術をベースに素材開発、商品開発、量産までを一貫して自社のファクトリーで行なっている。

「毎年新しいモデルにするのではなく、来年、再来年も、同じものを展開し続けます。サイズも、色の展開も多いけれど、カタチはずっとこのまま。それが『THISISASWEATER.』の魅力です。セカンドモデルとして昨年『アランセーター』もリリースしています。どちらも卸売をしていないので、基本はECサイトとポップアップストアのみの販売です」

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「THISISASWEATER.」はUNISEXモデル。シーズンでカタチを変えず『定番』の良さを伝える。

自然遊びが特別なものではなくなった

7年ほど二拠点生活を続けた後、2014年に山形市にUターン。奥さんからの「家族は一緒にいたほうがいい」という言葉が決定打となったそう。

「海外出展を始めてから、これまで以上に時間の余裕がなくなっていました。妻も働きながらほとんどワンオペで子育てをしてくれて、お互い頑張って生活している状況だったんです。それもあって娘が小学生に上がるタイミングで決意しました」

引っ越しを決めた後も大江さんは、どこかで「本当にいいのか」と思っていたという。自分が暮らしていた時代と大きく変わっているのはわかっていても「山形には何もない」という考えを拭い去れないでいたからだ。

「『これは転勤だ』と思おうとしていました。将来的に東京に戻ることになってもいいとすら考えていましたね。でも、そんな僕の思いとは逆に子供たちは山形での暮らしを満喫していました。西蔵王公園や西公園に連れて行くと、すごく喜んでくれて。スキーやキャンプにも行くようになり、より楽しみが増えています。妻も馴染むのが早くて、そんな家族を見て、僕も山形での暮らしがどんどん良くなっていきました」

休日になると「今日は天気がいいからキャンプに行く?」なんて突然の提案も。東京ではできない“自然に近い暮らし”ができていると感じ始めている。

「車で30分も走ればキャンプ場があるから、すぐ行けるんですよ。何をするわけではないけれど、子供たちは外で遊んで自分は本を読む。そういう休日は、東京では“特別”でしたが、山形に戻ってから“日常”に変わりました。展示会ではバイヤーさんから『毎週、ソロキャンプに行っていて、よっぽど好きなんですね』とか言われたりします(笑)」

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工場内の社長室。社員とのコミュニケーションも欠かさない。

“作り手”ならではのコンセプトが詰まったショップをオープン

米富繊維は、この夏、工場内に初の直営店「Yonetomi STORE」をオープンさせる。それは大江さんにとっても大きなチャレンジだ。

「直営店を作ろうと思った最初のきっかけは、コロナ禍で『THISISASWEATER.』のローンチ企画を都内で思うようにできなかったときです。山形市内の『とんがりビル』でイベントを開催したんですが、もしかして『お客様が来てくださらないかもしれない』と不安がありました。でも実際は、想定以上の方がいらしてくださって『実際に手にとってみたかった』、『直接お話をしてみたかった』という言葉をいただきました。それを受けて『ここに行けば買える』という場所を山形に作ることも大事なのではと思ったんです」

直営店をやるのであれば「東京で」と考えていた時期もあった。しかし、どこにいてもECサイトで気軽に買える昨今、わざわざ東京からスタートする意味はあるのか? と考えたときに「いや、ないだろう」という結論に至ったとも話す。

「店に直接買いに行く良さは、製品を手に取れるだけでなく、作り手の声を聞けることだとも思っています。工場内に直営店を作ることができれば、僕たちはどんな人が買ってくれるのかを知ることができるし、お客様に思いを伝えられます。お客様側も、より商品に愛着が湧くかもしれませんよね。そこに意味があると感じたので、山辺町で直営店をやろうと思ったんです」

自社製品のほか、OEMで取引のある「ハリウッドランチマーケット」や「Bshop」といったセレクトショップ、デザイナーズブランドから買い付けたシャツやスニーカー、パンツなどの販売もする。大江さんが企画をするときに参考にしている本やセーターの洗濯洗剤、工場で使っている毛玉を取るブラシといった“ファッション”に紐付いた雑貨類も展開予定だ。

「『Yonetomi STORE』限定の商品を販売したり、作り手である僕たちならではの商品と思いを詰めたコンセプトショップになる予定です」

かつて大江さんは「山形ではファッションの仕事はできない」と考えていた。それは東京こそがファッションの中心だった時代を経験していたことも大きい。しかし、ECサイトの普及やコロナ禍の影響もあって地方の価値は変わり始めている。

「この環境の変化に自分自身が一番驚いています。今は、“あえて地方で”と考えるデザイナーも増えている。僕もそうですしね。同じように山形でファッションの仕事をしたいと考えている人がいるのなら、その人がやりたいことを諦めずに働ける場所を提供していきたい。それも僕らが山形でブランドをやり続ける理由でもあります」

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20代〜70代まで、幅広い人が働く現場。それぞれの意見も反映される。

米富繊維では 2022 年 8月末に直営店「Yonetomi STORE」をオープン予定。
詳しくは→米富繊維https://www.yonetomi.co.jp/

写真:伊藤美香子
取材・文:中山夏美

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中山夏美

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