
立川談春さん(右)と酒井順子さん(左)(撮影:洞澤佐智子)
17歳で立川談志さんに弟子入りし、古典落語の名手といわれる立川談春さん。変化の激しいこのご時世に何を思い、落語の灯を繫いでいるのでしょうか。大の落語好きで、長年の知人でもある酒井順子さんと深く語り合いました(構成=篠藤ゆり 撮影=洞澤佐智子)
【写真】『赤めだか』は、談志さんへのラブレターのような本、と話す酒井さん
* * * * * * *
<前編よりつづく>
落語にとって試練の時代
酒井 私たち、同い年ですよね。
談春 そう。同じ時代の空気を吸ってきた。で、今ピンチなんです。
酒井 えっ、どうしてですか?
談春 知り合いのところの20歳のお嬢さんが、「男なんて面倒くさいからいらない。ひとりで生きていく」って言うんです。
酒井 結婚しなくてもいいと考える若い人が増えていますね。年代を問わず、離婚も多いですし。
談春 僕は高校2年の時、立川談志の「芝浜」を聞いて衝撃を受けて、高校辞めて弟子入りした。飲んだくれて働かない男が、女房のおかげで心を入れ替えて真人間になる。夫婦の情愛を描いた「芝浜」みたいな噺が、成立しない時代になっちまったんじゃないかな。
酒井 つまり、落語そのものがピンチというわけですね。
談春 子どもたちに伝統芸能に触れる機会を、ということで学校寄席というのをやってるんだけど。でも、「ご隠居さんがいて八っつぁんとしゃべる話はしないでください」って言われるの。
酒井 なぜでしょう。
談春 たとえば、「薬缶(やかん)」って噺。「こんちは、ご隠居さん」「来たな、ぐしゃ」「踏み潰しました?」「いや、そうじゃない。愚かなる者と書いて愚者だ」。これは人を馬鹿にしているからハラスメントなんだって。
落語には、ぼんやりして失敗ばかりする与太郎というキャラクターがいる。これも人をあざ笑うことになるからダメ。
酒井 もちろん吉原が舞台の噺も教育上よろしくない。となると、話せるネタが少ないですね。
談春 「じゃあ、人情噺?」と思ったら、今の子はそもそも結婚する気もないっていうんじゃあ……。
酒井 夫婦の情愛の噺を聞いて、「夫婦っていいかも」みたいな感想を持つ人もいるのでは? でも、今の若者は、傷つくのがイヤだから恋愛もしないのかな……。
談春 傷つくのは心が揺さぶられるからで、その前に興奮や感動、愛情がある。その揺らぎがもう面倒くさいんだと思う。今は、人と関係を築くための「認識・把握・分解・判断・行動」の全部がイヤなのかな。
酒井 「芝浜」も「文七元結」も、あえて面倒に突っ込んでいって、それが結果的にいいほうに向かう噺ですよね。「面倒を避けて行動しない」とは、まったく逆です。
談春 いまや落語は瀕死。世の中全体がこうして大きく変わって、僕が死んで5年後くらいに落語そのものがなくなっちゃいました、なんてことになったら、教えてくれた師匠や先輩方に申し訳ない。
酒井 面倒くささの先にある世界や、人と人の差異が呼び起こす騒動を描く落語に接することは、子どもたちにとっても、人間関係のトレーニングになると思うのに……。
談春 そう思ってくれる人も、なかにはいるだろうけどね。
「好き」になる力が道を開く
酒井 『赤めだか』は、談志さんへのラブレターのような本でした。好きな人のもとで、好きなことを仕事にするつらさはありませんか。
談春 まわりを不幸にします。高校辞めちゃったし、二親は泣くし。だから、僕には戻るところがない。クビだと言われたら師匠と刺し違えようと思っていたんです。
酒井 それほど思い詰めていた。
談春 徒弟制度というのは非合理なもの。理不尽な怒られ方もしたしね。僕らの時代は、師匠を妄信する。洗脳と言ってもいいくらいだった。それで潰れるような個性は個性じゃないって。
酒井 談春さんは、「好き」になる力が並外れています。
談春 談志がこう言ったんですよ。「おまえは談志の弟子なんだ。おまえが思っている以上に、談志の弟子ってのは偉いんだ」って。17歳だから真に受けちゃった。「本当に惚れてるんなら、死ぬ気で尽くせ。それで振り向いてもらえないんだったら、そんな奴に惚れた自分を恥じろ」とも。ただし、「恋愛はその限りにあらず」だって。(笑)
酒井 うふふふ。
談春 師匠の言ってることはめちゃくちゃだ、と思った人間は当然辞める。でも妄信した人間も、いつか疑わなくてはいけない時が来るんですよ。さらには、捨てなきゃいけない時が来る。
それは落語家になってだいたい10年、いわば10歳。思春期に自立したくなって真打に昇進し、運がいい弟子は20歳になったあたりで師匠が死んでくれる(笑)。死なれてみたら、「自立を目指した数年間、俺は何をしていたんだ」と悩む。でも七回忌くらいで、忘れるんですよ。
酒井 親子関係のようです。
談春 「守破離」という言葉があるでしょ。入門して前座の間は師匠の芸のコピーを目指すんです。これが「守」。次に、教えや型を破るために必死で考える。これが「破」。それを破って師匠のもとを離れられるのは、ほんの一握り。
ただ、自分をちょっぴり出すのは簡単だけど、観客にウケなければ続きません。破ったことすら忘れたら、自分の心のままにやれる。そうなって初めて、己からも離れられる。
酒井 落語家人生のなかで、記憶に残るつらい出来事はありますか。
談春 売れなくて心が壊れそうになってた頃、談志が「こいつは俺より上手い」と言ったことがありました。明らかに噓です。談志は、このままだと壊れるなと思うと褒めてくる。だから褒められるのが怖かったの。
でも談志が褒めたというだけで、周囲の状況は変わる。やってきたことが報われたなんて思わなかったし、むしろ「世の中こんなものか」とひねくれた。その気になって自分はちょっとやれると思ったら、迷いの森に入って戻ってこられなくなる。そんな芸人、山ほど見てますから。
時代を見据えて自分を追い込んでいく
酒井 そうやって行きつ戻りつ、いろいろなことを乗り越えて、もう40年ですね。
談春 もうちょっと頑張ればよかった。
酒井 えっ?
談春 談志は70代で体調を崩したんです。だから僕の落語家生活を60年と想定して春夏秋冬に分けてみたら、もう秋から冬に向かっているところ。自分の才能や努力の量を考えると、希望に満ちた明るい冬は考えづらい。
偶然と幸運のおかげでここまで来たけれど、立川談志の落語に対する愛情や努力を見ているから、自分は落語に惚れられてはいないとも感じるしね。
酒井 でも、談志師匠であれ落語であれ、好きな相手を振り向かせる不断の努力をなさっています。
談春 俺が落語家になったことで、落語という芸能にプラスがあったかどうか。常に疑ってしまうところが、好きを仕事にするつらさかもしれないね。
酒井 難儀な相手に惚れましたね。
談春 談志はこんなことも言ってた。「もはや伝統でも技術でもない。落語は『個』だ。おまえが語るということが出ていないと、どんなに噺がよくても、時代に、あるいは日本人に負けるよ」と。
酒井 まさに今、落語も落語家も大変な時代を迎えているんですね。
談春 とにかく、自分を追い込むしかない。だから「いままでの芝浜、これからの芝浜」と銘打った独演会をやろう、なんて無茶を考えるんでしょうね。
酒井 楽しみにしています!
立川談春,酒井順子