【MLB】9.11から20年、ニューヨーカーにとって特別な「サブウェイ・シリーズ」の是非

【MLB】9.11から20年、ニューヨーカーにとって特別な「サブウェイ・シリーズ」の是非

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  • 更新日:2021/09/16
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米同時多発テロから20年を迎えた11日(日本時間12日)、ニューヨーク・メッツの本拠地シティ・フィールドでニューヨーク・ヤンキースとの特別な「サブウェイ・シリーズ」が開催された。

■「真のサブウェイ・シリーズ」を考える

メッツとヤンキース、両チームの本拠地を地下鉄で行き来することができることから、この呼称となっている点はあまりにも有名だ。しかしテロの日、9月11日に本シリーズが開催されるのは、史上初めてのこと。

1994年、ストライキによりワールドシリーズさえ開催されず、MLB人気は著しく低迷。この打開策として、歴史的に頑なに開かれなかったアメリカン・リーグとナショナル・リーグという異なるリーグの交流戦が97年にスタートした。これによりア・リーグのヤンキースとナ・リーグのメッツの対戦は日常の出来事となってしまった。

これと同様にドジャーズ対エンゼルスのフリーウェイ・シリーズ、サンフランシスコ・ジャイアンツ対オークランド・アスレチックスのベイブリッジ・シリーズ、カブス対ホワイトソックスのウインディシティ・シリーズなども珍しい光景ではなくなってしまった。

だが筆者としては、単なるレギュラーシーズンにおけるインターリーグの試合を軽々しく「サブウェイ・シリーズ」と呼ぶべきではないと考えている。元来、同シリーズはニューヨークに本拠地をおく球団同士が頂点を争う「ワールド・シリーズ」の別称であり、名称そのものにも伝統が息づいている。上記に挙げた他「シリーズ」も同様だ。

「サブウェイ・シリーズ」に至っては、その歴史を19世紀にまで遡ることができる。ニューヨーク・ジャイアンツ(現在のサンフランシスコ・ジャイアンツ)対ブルックリン・ブライドグルームス(現ロサンゼルス・ドジャーズ)により1889年に行われた「トロリー・シリーズ」が最初とされる。

当時はまだニューヨークに地下鉄がなく、公共機関がトロリーだったための名称だ。このトロリー、実は意外な形で現在のチーム名にも影響を及ぼしている。ブライドグルームスは幾多の変遷がありつつ1910年、「トロリー・ドジャース」と名称を変更。当時、路面を走るトロリーの前に立ちはだかり、直前でこれを避ける(ドッジする)遊びが流行ったとか……。その結果、直訳すると「トロリー避け遊びをする者たち」というのがチーム名となった。これが短縮され現在の「ドジャース」となった。

1904年、ニューヨークに地下鉄が登場。以降、常に「ア」と「ナ」に分かれていたチーム同士が対戦するワールドシリーズが「サブウェイ・シリーズ」と呼ばれるにようになった。

「真の」ワールドシリーズは、これまでに14度しかない。

1921年 ジャイアンツ対ヤンキース(太字は優勝チーム)1922年 ジャイアンツ対ヤンキース1923年 ヤンキース対ジャイアンツ1936年 ヤンキース対ジャイアンツ1937年 ヤンキース対ジャイアンツ1941年 ヤンキース対ドジャース1947年 ヤンキース対ドジャース1949年 ヤンキース対ドジャース1951年 ヤンキース対ジャイアンツ1952年 ヤンキース対ドジャース1953年 ヤンキース対ドジャース1955年 ドジャース対ヤンキース1956年 ヤンキース対ドジャース

以降、ジャイアンツもドジャーズも西海岸へと移ってしまい、2000年に初めてヤンキース対メッツの「サブウェイ・シリーズ」が行われるまで実に44年が経っていた。当時、私はアトランタに移り住んでいたが、それでもこのシリーズの報道に関わることができ元ニューヨーカーとしては感無量だった覚えがある。

しかし、つまり21世紀においては、いまだ「真のサブウェイ・シリーズ」は実現されていないというのが、私の持論だ。ちなみに1923年のヤンキースの優勝は、名門チームにとって初の世界制覇であり、それがサブウェイシリーズを制しての勝利だけにより趣き深い。

こうした持論がありながらも、2021年9月11日に行われたこの対戦には、平常心ではいられなかった。

■「9・11」の風化を防ぐために

2001年9月11日の米同時多発テロにより世界貿易センター(WTC)が崩壊。救出に向かい崩壊に巻き込まれ命を落とした消防士、警察官を含む犠牲者を追悼するためのセレモニーが行われ、マイク・ピアッツァなど当時のメッツ選手にエスコートされ救助活動に尽力した地元警察官や消防団員も紹介された。

犠牲者に黙祷を捧げた後、当時のヤンキース監督だったジョー・トーリ、メッツ監督のボビー・バレンタインが始球式を行った。2人とも年を取った……という印象どおり、トーリのキャッチャー役は、ホームベースの手前でその投球を受けたほどだ。

両チームとも「FDNY」のベースボールキャップをかぶっての試合。ニューヨークに住み、この事件を記憶している者の多くは、さまざまな感情の波に襲われたことだろう。当日、日本の報道では「アメリカでは…」という文脈が多かったが、実際には24名の日本人も犠牲者に含まれており、決して「アメリカだけ」の出来事ではない。

ブーン監督は会見で「この日の悲劇と哀しみが蘇り、ニューヨーカーにとって感情的な夜になるだろう。この街をホームとする2チームがこの日、試合を行い、人々と思いを分かち合うことに意義がある。このフィールドに立てることは名誉だ」と語った。ニューヨークの試合にも関わらず、地上波で全米に中継されるという異例の扱い。この試合がアメリカ人にとってどれだけの意味を持つかが窺い知れよう。

それだけ意義があるがゆえか、試合自体も拳を握りしめて見入ってしまうようなシーソーゲームだった。試合は2回表、ヤンキースのカイル・ヒガシオカの2ランで先制、アーロン・ジャッジのソロも含め、一気に5点を挙げ、ワンサイド・ゲームかと思いきや、その裏にメッツが3点を返しその後も小刻みに加点、6回裏に逆転に成功する。

だが、ここで終わらない。8回表にジャッジの2ランで同点とすると、その後メッツのハビア・バエズの悪送球によりヤンキースの逆転を許す。その裏、ツーアウト1、2塁でメッツのピート・アロンソの放った大飛球は、センター後方で失速。スタジアムはメッツ・ファンの悲鳴とため息で包まれ、ヤンキースが逃げ切った。

メッツ・ファンとしては09年6月12日(米国時間)、8対7のメッツ・リードで迎えた9回裏ツーアウト1、2塁、メッツのリリーフ・エース、フランシスコ・ロドリゲスこと「Kロッド」がヤンキースのアレックス・ロドリゲス「Aロッド」をポップアップ・フライに討ち取った……かように見えたが、セカンド、ルイス・カスティーヨが痛恨の落球、逆転サヨナラ負けした悪夢を思い起こさせたが、まぁ、それも忘れよう。この夜、ニューヨークの2チームがこうした力を絞った戦いを見せた事実に意義があるのだから。

20年の歳月は「9.11」の記憶さえない若い選手も生み出した。その風化を防ぐため、どうだろう、この際、ヤンキース対メッツのインターリーグは、毎年9月11日を含む3連戦にしては……。もしそうであるなら、ワールドシリーズでの対戦でなくとも「サブウェイ・シリーズ」と呼ぶに値いいする意義ある試合と信じるのだが……。

さて「真のワールドシリーズ」、次はいったいにいつになるのか……元ニューヨーカーとしては、死ぬまでにもう一度観たい。

◆地下鉄シリーズ、9.11初開催 大リーグなどで犠牲者追悼

◆米同時多発テロから20年のメモリアルをNFLがキックオフウイークエンドで実施

◆9・11米同時多発テロから20年、今スポーツにできること……

著者プロフィール

たまさぶろ●エッセイスト、BAR評論家、スポーツ・プロデューサー

『週刊宝石』『FMステーション』などにて編集者を務めた後、渡米。ニューヨークで創作、ジャーナリズムを学び、この頃からフリーランスとして活動。Berlitz Translation Services Inc.、CNN Inc.本社勤務などを経て帰国。

MSNスポーツと『Number』の協業サイト運営、MLB日本語公式サイトをマネジメントするなど、スポーツ・プロデューサーとしても活躍。

推定市場価格1000万円超のコレクションを有する雑誌創刊号マニアでもある。

リトルリーグ時代に神宮球場を行進して以来、チームの勝率が若松勉の打率よりも低い頃からの東京ヤクルトスワローズ・ファン。MLBはその流れで、クイーンズ区住民だったこともあり、ニューヨーク・メッツ推し。

著書に『My Lost New York ~ BAR評論家がつづる九・一一前夜と現在(いま)』、『麗しきバーテンダーたち』など。

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