「3カ月間で売り上げ60%増」ドラッカーも絶賛する江戸の商人・三井高利が行った最先端マーケティング4選

「3カ月間で売り上げ60%増」ドラッカーも絶賛する江戸の商人・三井高利が行った最先端マーケティング4選

  • 文春オンライン
  • 更新日:2021/06/10

現代、世界を席巻するシェアリングエコノミーやデザイン経営、サブスクリプションなどのビジネスモデル。その原型は400年前の江戸時代にすでにあったのです。

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江戸にいた12人の天才起業家たちが編み出したマーケティング戦略をまとめたのがコピーライター・川上徹也氏の『400年前なのに最先端!江戸式マーケ』。今回は同書から一部抜粋し、ドラッカーも絶賛する江戸の商人・三井高利が三井越後屋を“江戸一の豪商にするまで”を紹介します。(全2回の1回目/#2を読む)

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三井高利、52歳で悲願の江戸進出

三井越後屋(以下越後屋)は、延宝元(1673)年、江戸本町一丁目(現在の中央区日本橋本石町日本銀行近く)に開業しました。まわりには徳川幕府が開かれた時に、京や大坂からやってきた老舗の大店が建ち並んでいる一等地です。同時に京にも仕入れ専門店を開いた三井高利は、長男に京都店を、次男に江戸店を任せ、本人は松坂にいながら事業を指揮しました。当初、江戸店は間口わずかに九尺(約2.7m)の小さな店でしたが、あっという間に大繁盛店になります。三男はその様子を「千里の野に虎を放ったような勢いであった」と記しています。その分、まわりの同業者からの嫌がらせも激しく、火事で延焼したのを機に、天和3(1683)年に駿河町(現在の中央区日本橋室町三越本店付近)に移転。そこから大躍進を遂げ、やがて幕府御用達店になり、江戸一の豪商になるのです。

現在にも応用できるマーケティング手法

高利は現在にも応用できるビジネスモデルを開発し、卓越したマーケティングを実行することで、江戸のビジネスにイノベーションを起こしました。その戦略・戦術を順番にご紹介していきましょう。まずは、越後屋の名前を江戸中に広め、ブランド価値を上げる役割を果たした「番傘の無料貸出」です。

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【1】「番傘」の無料貸出――シェアリング・エコノミーは江戸にもあった?!

傘を貸して社会問題を解決

越後屋は、ロゴマークが大きく入った傘を常に大量に準備していました。そして、にわか雨が降ると、店頭でその傘を貸し出すサービスを実施したのです。顧客はもちろん、客以外の通行人にも貸し出しました。当時、傘は大変高価なものでした。現在のビニール傘のように安価で気軽にどこにでも売っている商品はありません。折り畳み傘も当然ありません。多くの町民は、濡れるか雨宿りしてやむのを待つしかなかったのです。雨に打たれて風邪をこじらせるなんてことも当然あったでしょう。そんな傘を無料で貸してくれるのですから、町人にとって、こんなにありがたいサービスはありません。現在流行している「シェアリングサービス」の先駆けでもあり、社会問題の解決にも役立つイノベーションでした。

町人を「歩く広告塔」に

しかし、これは慈善事業としてだけ実施されたわけではありません。新参者の越後屋の名前を江戸中に知らしめる大きな役割があったからです。にわか雨が降ると、江戸のあちらこちらで「越後屋」のマークが入った傘が開きました。その様子は、「江戸中を越後屋にして虹が吹き」「呉服屋の繁昌を知るにわか雨」などという川柳にもうたわれているほどです。日本橋に店を構える呉服屋は、町人にとっては高嶺の花。今で言うブランドショップのようなものですから、越後屋の傘をさしていること自体が、ちょっとしたステータスだったと思われます。広告換算すると莫大な金額になり、大きなブランディング効果がありました。

【2】「店頭販売」という革命――慣習を破ディスラプト壊し、顧客志向を徹底

「屋敷売り」から「店前売り」へ

当時の呉服商は、得意先の屋敷を訪ねて商品を販売する「屋敷売り」が主流でした。越後屋が採用した「店前売り」とは、客の要望や予算を聞きながら、店舗で商品を対面で販売する方法です。お客さんにとっては、必要な時に店に出向き、いろいろな商品を見比べることができるというメリットがありました。

「掛け売り」から「現金正価販売」へ

掛け売りは、年に2回、盆と暮れの「掛け払い」のことで、江戸では一般的な手法でした。ただし、現金化が遅れるため呉服商にとっては資金の回転が悪く、貸し倒れなどのリスクがありました。そのリスクを負う分が価格に反映され、結果として呉服は庶民には手が出ない高価格商品になっていました。また、「掛け払い」のために顧客によって価格も異なるのが普通だったのです。三井越後屋は、この慣習を店舗の商品に値札をつけることで、「現金払い」に変えました。「現金払い」には貸し倒れなどのリスクがありません。そのため低価格での販売が実現できたのです。越後屋はその代わりに値引きはしない同一価格を打ち出しました。

「一反単位の販売」から「切り売り」へ

越後屋はそれまでの常識だった「一反単位での販売」から、客が必要な分だけ反物を切って販売する「切り売り」を採用します。これは呉服屋業界の慣行を破ったもので、周囲を驚かせました。たとえば子供に呉服を買おうと思っても、これまでは布が余ってしまうから高くつくと親は躊躇するのが一般的でした。そこに「切り売り」が登場し、親が子供に買うニーズを取り込むことに成功したのです。その結果、幼少期から越後屋の顧客になり、のちにその子供が結婚する時にも利用してもらえるようになりました。

「時間がかかる仕立て」から「即座仕立て」へ

今までは納期まで時間がかかっていたものを、即座に仕立てて渡す「即座仕立て」も実施。お客さんは再び来店する手間がなくなり好評を得ました。これも慣習を打ち破る、越後屋の「顧客志向」を表すイノベーションです。

【3】「現金安売り掛け値なし」――日本初!1行バカ売れコピー

本邦初の大々的な広告キャンペーン!

越後屋は、「店頭販売」などの画期的な販売方法を世の中に広めるために、広告に力を注ぎました。結果として越後屋は、日本における広告の先駆けとも言える存在になったのです。特筆すべきは天和3(1683)年、本町から隣の駿河町に引っ越して再オープンする際、日本初と言われる引札(現在のチラシ)を使っての大々的な広告を実施したことでしょう。

その時のキャッコピーは「現金安売り掛け値なし」です。これは「どんなお客さんにも値札通りの安い値段で提供します」という宣言でした。

世界初⁈広告測定を実施

この「現金安売り掛け値なし」の引札は、江戸中に5万枚以上も撒かれたと言われています(当時の江戸の人口は約50万人と推定されるので、その広告の規模が想像できるはずです)。それに加えて越後屋は、この広告の効果測定を実施しました。結果、売り上げは3カ月間にわたって60%増を記録しました。このような広告測定は、世界初と言われています。

その後も越後屋は江戸時代を通して何度か広告測定を行っています。

【4】「暖簾(のれん)印」によるブランドイメージ統一 ――家紋を変えて新しいブランドロゴを

駿河町で再オープンをする頃、三井越後屋は、それまでの家紋に替えて、新たに暖簾印と呼ばれる店章(現在のブランドロゴ)を定めました。先祖から伝わる家紋を変える異例の決断でしたが、その後、越後屋は、暖簾や看板はもとより、風呂敷や番傘にもロゴを使い、ブランドイメージを統一することになります。今で言うブランディングですが、このマークは段々と浸透していき、のちに幕府の御用達となってからは、信頼の証となりました。越後屋の暖簾印(〇と井桁と三)は、それぞれ天地人を表しています。

店を江戸の観光名所に

越後屋があった駿河町は、駿河の國の富士山を望むことからつけられました。ここからの富士山の眺望は江戸一と言われていたこともあり、江戸時代に有数の観光名所となり、浮世絵などによく描かれることになります。店の様子も描かれることから、当然越後屋のブランド価値も上がったのです。

徹底した顧客志向で新規参入に成功

高利は「商いの道、何にても、新法工夫いたすべく候(商売をするなら何にでも創意工夫しなさい)」という言葉を残しています。今までみてきた徹底した顧客志向は、当時の江戸の激戦区・日本橋で新参者の越後屋が生き残っていくために生まれたものでした。高利は「これからは町人が消費の主役になる」と分析し、顧客をこれまでの大名・旗本・豪商などの富裕層から、町人に替えたのです。さらに高利は旧来の販売法を破壊し、町人たちが買いやすいような価格や販売方法に変えました。その結果、越後屋は江戸の町民から圧倒的な支持を得たのです。

「誰かひとりに家督を継がせるのではなく…」三井家・三井高利が死ぬ前に行った驚きの“イノベーション”へ続く

(川上 徹也/ノンフィクション出版)

川上 徹也

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