【石井和義コラム】FEGの借金を返すため「K―1」の商標を売ることを決断

【石井和義コラム】FEGの借金を返すため「K―1」の商標を売ることを決断

  • 東スポWEB
  • 更新日:2023/09/19
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K―1は数億円の負債を抱えていた。(左から)ジマーマン、オーフレイム、カラエフ、バダ・ハリ、テイシェイラ、シュルト、ボンヤスキー(09年12月)

【石井和義の光と影#29】K―1を企画・運営していた会社「ケイ・ワン」の脱税事件で2007年6月11日に収監されてから約1年たった08年8月7日、静岡刑務所から出所しました。最初に取り組んだのは「ケイ・ワン」に代わって、K―1の大会企画・運営などを任せていた「FEG」の財務チェックです。どんな状況になっているのか。それを把握することが急務でした。

収監中もFEGの関係者から「お金が足りない」と手紙が届き、僕個人が所有している「K―1」の商標を「FEGに移してくれ」と言われて「何か変だな」と思っていたからです。同社の株主でもあった僕は、同社の会計士を入れて社内調査をしました。そしたら大会にかかる経費などが1年半前に比べて大きく膨らんでいて…。だから、いろいろとカットして経費を3分の1くらいに減らしました。

当時、FEGの関係者に「どうして、こんなにお金使うの?」と聞いたんですよ。そうしたら彼らの論理は「1億円儲けるには10億円使う」というものでした。僕は「5000万円で1億円儲ける方がええやないか」って言ったんですけど。彼らは「K―1を『石井商店』に戻すつもりはないんです。5年先に黒字にするような大きなことを考えています」って。経営の基本概念がまったく違ったんですね。

僕も一度は「経営に戻ろうかな」と考えてフジテレビ関係者と話もしたんです。だけど「石井館長は前科1犯なので一緒にはできない」と。それで「そうか、もう無理なんやな」と悟りました。裁判や刑務所暮らしで5年くらいの空白もありましたしね。それで一線から退いたという感じです。もともと事件があった時に「もう基本的に興行はやらない」と決めていました。みんなに迷惑をかけましたから。

ただ、まだ問題は残っていました。収監前、FEGがある企業から借りた数億円の支払いが残っていたんです。彼らが「返せない」って言うので連帯保証人となっていた僕が返すことになりました。お金を貸してくれた会社の社長さんは友達で、義理もありましたから。その資金繰りのため、僕は「K―1」の商標を売ることを決断しました。そのお金で借金を返したんです。これでK―1から完全に離れることになりました。

そこから「K―1」は紆余曲折を経て世界中に散らばっていくことになります。ですから23年3月に今の「K―1」が全世界のライセンスを取得・保有したと発表したのは正直、うれしかったですよ。10年くらい迷子になっていたK―1がまた表舞台に戻ってきたわけですから。だからこそ、今のK―1には成功してほしいし、再び格闘界を盛り上げてほしい。心から応援しています。

石井和義

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