東急田園都市線の人身事故が減った「ある理由」

東急田園都市線の人身事故が減った「ある理由」

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2017/12/07
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通勤電車の遅延について

筆者は日本で最も熾烈な通勤ラッシュとなる東急田園都市線の沿線に住んでいる。この線は、周辺住民の間では、よく遅延する電車として昔から有名であった。現に、今でもほぼ毎日10分から15分程度の遅れは当たりで、「今日は遅延しなかったな」とうれしくなるくらいである。

かつて関西で、分刻みの運行スケジュールを遵守するあまり、強迫観念にかられた運転手が焦ってスピードを出しすぎて脱線、通勤客を中心に多くの犠牲者を出すという痛ましい事故が起きたが、遅延が常態化した電車で通勤する筆者は、運行スケジュールにそこまでこだわる路線もあるのかと不思議な気分になったものだ(もっとも事故を起こすよりは多少遅れたほうがまだマシだが)。

そして、つい先日、田園都市線の連日の運転見合わせ事故が全国ネットのニュースでついに取り上げられた。筆者の実家のある九州の友人などからは、「お前が毎日乗っている通勤電車ってしょっちゅう止まるんだ、大変だなぁ」とそのとき初めて同情された。

ところで、ニュースで話題になったのは、停電や車両故障といった設備の老朽化が遠因と思われる事態で電車の運行停止が頻発しているということであった。これも問題といえば問題だが、沿線に20年弱住んでいる筆者にとって、設備の老朽化による遅延というのは、むしろ「平和な出来事」と感じられた。

そこで、今回は、「街角エコノミスト(街エコ)」の立場から、この点について考えてみることにした。

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〔PHOTO〕iStock

「人身事故」の背景を考える

東急田園都市線では、数年前まで、遅延及び運行停止の主な理由は、「人身事故」であった。「人身事故」というのは婉曲的な表現であり、多くの場合は、「自殺」を意味する。すなわち、この沿線では数年前まで、「飛び込み」によって電車がストップする頻度が非常に高かったのである。

自殺に至る事情は人それぞれであるが、この沿線の住宅地が、高級住宅街として特に若い主婦層の間で「あこがれの場所」になっている、ということが大きく影響しているように思える。

この沿線は1980年後半のバブル期にトレンディドラマの舞台になったこともあり、不動産価値が高く、しかも、バブル期からそれほど大きく価値が下落していない(筆者はリーマンショック直後に、新築ではなく中古物件を比較的安い価格で購入したが、売買契約のときにちょうどバブル期終盤に購入していた前の家主さんの抵当権の設定状況をみて驚いた)。

しかも、筆者の感覚だと、「あこがれの場所」だけあってか、不動産価値の割に住民の年齢層は比較的若い。また、若年の富裕層がキャッシュで不動産物件を購入しているというよりも、それなりの「ステイタス」がある一流企業に勤めている30~40代くらいの「意識の高い」世代が多い印象が強い。

つまり、勤務している企業に倒産のリスクが小さいことから、多くの世帯が長期の住宅ローンを組んで物件を購入しているのではなかろうか。また、勤務先としては金融機関が多いようなので、行員向けに金利が優遇された住宅ローンで購入している可能性もある。

デフレが長期化する中で、住宅ローン金利も極めて低い状況が長期化している。また、金融機関は借り手不足に直面しており、比較的マージンの高い住宅ローンの獲得にしのぎを削っているという側面もあるだろう。そのため、田園都市線沿線の比較的高級な物件も、ひとまずは購入することが可能になる。

問題は、長期デフレの中で、これまでは「倒産するはずがなかった」、もしくは「経営危機に陥る可能性が皆無であった」はずの超一流企業までもが、倒産・経営危機のリスクに直面する事態が発生したことである。

また、そこまでの事態に陥らなくとも、年功序列で、賃金が一定ペースで上昇する「平和な」企業の数も随分と減少している。これは、日本経済がデフレから一向に抜け出せていない中、「デフレは企業の構造問題に起因する」として、雇用の流動化が先行して実現してしまったことも大きく影響しているように思われる。

そんな具合に、多くのサラリーマンが、当初描いていたキャリアパスの実現が厳しくなったのではなかろうか。

こうした経緯もあり、給料が減るくらいであればなんとか我慢できるかもしれないが、早期退職やリストラなどで職を奪われ、収入を確保するメドが立たなくなってしまった状況下で、それなりに高価な物件を住宅ローンで購入してしまった人たちが自ら死を選ぶという悲惨な結末が、つい最近まで繰り返されてきたのはなにも当該沿線だけではない。

いずれにせよ、通勤時間帯の「人身事故」による田園都市線の運行停止には、このような背景があったのではなかろうか。

デフレ観が後退してきている

ところが、振り返ってみると、このところ、田園都市線が「人身事故」によって運転見合わせとなる事態は劇的に減少している(筆者の経験からいうと、ここ数ヵ月は遭遇していない)。

このことは、ちょうど、雇用環境の劇的な改善とも歩調があっているように思われる。賃金の上昇がまだまだ不十分であるとの見方もあるが、GDP統計の雇用者報酬でみると前年比2%程度の上昇、総務省の家計調査における実収入も前年比で平均して2%を上回る上昇となるなど、所得環境もそこそこ改善している。

これは、多くの人にとって、住宅ローンの支払いが途中で立ち行かなくなるリスクが相当程度低下したことを意味しており、もしかするとそれが「人身事故」の減少として現れているのではないだろうか。

さらにいえば、筆者は、週末には朝夕それぞれ2時間程度、犬の散歩をしているのだが、その際の印象では、数年前までは目立っていた空き地(高齢化の進展により、持ち家を売却して都内の老人ホームなどに入居する高齢者が増加していたことや、経営不振等で、会社の寮や保養施設を売却する企業が増えていたことがその背景にあると考えられる)がほぼ一戸建ての新築で埋まり、しかも、続々と若い世帯が入居している様子が見て取れる。

日銀の「マイナス金利政策」による住宅ローン金利の低下で、マクロ統計では住宅投資が堅調に推移しているが、筆者にとっては、それを裏付ける「体験」であった。

このように、家計部門では、徐々にではあるが、デフレ観が後退してきていると考えられる。残されたのは、企業部門のデフレ観である。

そこで、話を通勤電車に戻すと、このところの運行見合わせの理由の多くは、設備の故障である。朝から、駅での停電や車両故障が相次いでいる。ついにこれが、全国ニュースになったので、鉄道会社も早急に設備の更新を行う方針を固めたようだ。

つまり、最近顕著なのは、企業の生産・サービス設備の老朽化であり、これはとりもなおさず、長期的に設備投資を怠ったことの「つけ」が回ってきたことを意味する。企業が、自社の事業環境が今後も長期的に悪化していくと考えれば、なるべく設備更新は先送りし、老朽化して使い物にならなくなったものはそのまま廃棄しようとするのは当然であろう。

鉄道の場合は廃棄するわけにはいかないが、実際に車両の更新頻度も落ちているように思う。それが、これ以上設備の更新を怠ると企業自体の評価を落としかねない状況(この例でいえば、高級住宅地としてのブランドイメージを損なうことで不動産開発を含めた事業環境が悪化しかねないリスクが台頭)になりつつあることから、いよいよ新規の設備投資を行わざるを得ない状況になったのだろう。

これも、GDP統計における設備投資の回復と軌を一にしている。ただし、まだ勢いは弱い。

まずデフレを止めよ!

以上のことは、ここまでのアベノミクスが、少なくとも国民生活を安定化の方向へと導いてきたことを「街角エコノミスト」の立場から示す好例ではないかと考える。

ただし、これまでは国民生活を安定化の方向へ導いたからといって、今後もそうなるとは限らない。例えば、沿線住民にはかなりの金融機関関係者が住んでいると思われるが、金融機関では、AIなどの技術進歩によって、今後、省力化が急激に進むと考えられる。

先日も、メガバンクが長期的な方針ながら大量の雇用削減計画を発表した。いわゆる「フィンテック」の進歩は「べき乗」に近いペースで進んでいるため、場合によっては省力化のペースもそれにあわせて加速していかざるを得ない状況も想定しておくべきだろう。

他の業種でも同様のことが加速度的に起こるとすれば、大量の失業者が発生することになりかねない。

「AIが人間の雇用を奪うか否か」については様々な議論がある。かつては、「AIは人間の職種のほとんどを奪うかもしれない」という議論が主流であったが、最近では、かつての産業革命での事例を参考に、AIの進展と補完的な新たな職業が生まれ、失業者はその新たな職業の担い手として吸収されるため、結果として大量失業は発生しない、という議論も出てきた。

どちらが正しいのかはまだわからないが、日本の場合、AIが従来の人間の職業を奪う「閾値」に到達する前にデフレを解消していないと、補完的な新しい職業は生まれにくいのではなかろうか。その意味で、日本では、AIによる技術革新とデフレ脱却が「競争状態」にある。

AIと人間が共存する新たな世界では、ありうるべき税制や社会保障、もしくは公的部門のあり方も、現時点で想定しているものとは大きく異なる可能性もある。従って、現局面では、財政再建を焦るよりも「まずデフレを止めよ」ということを最優先すべきではないだろうか。

だが、残念ながら、どうも、政策当局は、そうは考えていないようなので、来年は注意すべき年になるのではないかと危惧している。

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