【二十歳のころ 坂本勉氏(4)】「坂本はどこだ」船内でファンが部屋探し

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  • 更新日:2017/09/15

日大卒業後の進路は、就職を勧める人も多かったですが、競輪学校に入学しました。同期のほとんどは高卒の18歳。メダリストなんて眼中にない、やんちゃなヤツが多かったから、いい意味で緊張感がありましたね。学校の成績は一番で、川崎競輪場でファンにも公開された卒業記念レースも1着でした。

1986年の5月、地元の青森競輪でデビュー。3連勝できましたが、続く弥彦競輪は2、4、7着と散々でした。目先の勝ちにこだわるあまり、レースが小さくなっていたんですね。自分のレース(先行)に徹すると決心してからは、吹っ切れましたね。その後の連勝記録は「35」まで伸びました。

函館競輪で連勝がストップしたのですが、想定外でした。先頭の私の後ろについていた選手が、まだ(ゴールまで)1周ちょっと残っているのに、なぜかまくってきた。普通はこんなところで仕掛けません。ふたりで先行争いする形になってしまい、バテてしまった(7着)。罵声がすごかったし、いろんなものがバンクに飛んできた。場内は異常な雰囲気でした。

帰りも大変。函館競輪が終わると、青森へは青函連絡船に乗って帰ります。ファンも大勢乗船していて、いつもは私たちと一般席でワイワイガヤガヤしながら帰ってくるのに、この時ばかりは、不穏なムードを察した先輩が個室を予約してくれたので、隠れておとなしくしてました。

ところが間の悪いことに「青森からおこしの坂本勉さま、◯×◯×にご連絡してください」と船内放送が流れたものだから、大騒ぎです。当時のファンは今よりも血気盛んで威勢がよかったですからね。いつもの席に私たちがいないから「坂本はどこだ」と部屋探しが始まった。先輩選手数人が対応して「坂本は悪くない。(番手についた選手が)どうしてあんなレースをしたのか、俺たちにもわからないんだ」と何とかファンを鎮めてくれた。気が気ではなかったですね。

問題のその選手は堂田さん(将治氏=北海道)といって、親分肌で人柄もいい人なんです。その後も一緒にレースをしていますし、わだかまりもないんです。ふたりとも現役を引退した今、あの時のことを聞いてみたいですね。

中野浩一さんや滝沢正光さんと一緒に走れるようになった時は、本当にうれしかった。27、28歳のころは練習しながら、自分がどんどん強くなっているのが感覚的にもわかるんですよ。オールスターやグランプリにも勝つことができました。

長男の貴史(28)に続き、次男の周輝(26)が競輪選手になったのを機に現役を退きました。引退後は自転車のナショナルチームのコーチ、監督も任され、貴重な経験をさせてもらいました。いまは日大の自転車部のサポートもしています。二十歳ぐらいの時はスポーツ選手に限らず、大切な時期なので、自分の経験が少しでも後輩たちの役に立ってくれたらうれしいですね。 (おわり)

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