「子どもに道くさをさせよう」と言いづらい社会は、大人も生きづらい社会だ

「子どもに道くさをさせよう」と言いづらい社会は、大人も生きづらい社会だ

  • PRESIDENT Online
  • 更新日:2020/11/20

子どもたちが「道くさ」をする様子を捉えた写真が、ツイッターで話題になった。2006年に刊行された学術書『子どもの道くさ』(東信堂)に収められたもので、このたび14年ぶりの復刊が決まった。著者の水月昭道さんは、なぜ「道くさ」を研究対象に選んだのか。水月さんに聞いた――。

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子どもの道くさ』『子どもの道くさ』P44(左)、P50(右)より - 『子どもの道くさ』

「子ども時代の記憶が呼び覚まされたんでしょうね」

ひとつのツイートがきっかけとなり、絶版状態になっていた学術書『子どもの道くさ』(東信堂)が14年ぶりに復刊した。コメント欄では「わたしの道くさ」が多数披露され、SNSの世界にほっこりとした空気が流れた。「頭の隅に追いやられていた子ども時代の記憶が呼び覚まされたんでしょうね」と、著者の水月昭道さんはその盛り上がりに目を細める。

近年、習い事の増加や犯罪防止の観点から失われつつある「子どもの道くさ」について、水月さんと考える。

2006年に刊行された『子どもの道くさ』では、安心・安全という大義名分のもとで失われつつある「道くさ」を再考すべく、1999年から2002年にかけて複数の小学校を対象に行ったフィールドワークがまとめられている。

いつかものにしたいと、ずっと温めていた題材だった

水月さんは、学校ごとに数カ月から半年間ほど小学生たちに付き添い、計60パターンの下校ルートで行われた道くさを9つに分類した。たとえば、信号待ちの時間に信号機のボタンを連打するような道くさは「暇つぶし型」。点字ブロックからはみ出さないように歩くルールのようなものがみられるものは「規則型」だ。

「最初こそ子どもたちもサービス精神を出して『僕たちの好きな遊びを教えてやるよ』みたいな感じで後ろをついてくる僕にいろいろ披露してくれたんですけど、そのうち空気のような存在になって、気づいたときに絡む相手、みたいになっていました(笑)」

研究の発端は、水月さん自身が道くさ好きな少年だったこと。いつかものにしたいと、研究者の道に進んでからずっと温めていた題材だった。

「冷水機が設置してあるビルがわかっているから、夏場の暑い時期はそこに立ち寄ってお水を飲む。どぶ川ではカニが歩いているのを眺めたり、笹舟を流したり。春には花の蜜を吸うことも多かったですね。

ただ社会は高度成長の時代で、親や学校の先生からはしょっちゅう『道くさなんかしてるなよ』と小言を言われて。だから隠れて道くさに精を出していました(笑)」

70年代の「道草するな」は「勉強しろ」の意味だった

70年代に福岡県で幼少期を過ごした水月さんは、町を味わい尽くすようにさまざまな道くさを楽しんでいたが、季節がめぐるたび、砂利道はアスファルに舗装され、小さな川は次々と暗渠化された。

驚異の好景気で急成長を遂げる日本経済と呼応するように町は姿を変え、大人たちはしきりと「生産性」を叫ぶようになる。

「僕たちが言われた『道くさするな』とは要するに、『勉強しろ』という意味でした。とにかく一生懸命勉強していい学校に入り、一流企業に就職する。そんな社会のレールに乗るために極力、無駄を省けという発想です。

だけどもそれを言うのはあくまで親や先生といった近しい大人たちだけで、社会全体は好景気で不安のない時代。子どもたちが道くさでちょっと悪さをしたって、町の大人たちは温かく見守ってくれていました」

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撮影=プレジデントオンライン編集部『子どもの道くさ』著者の水月昭道さん - 撮影=プレジデントオンライン編集部

「安心・安全」のための「道草するな」が増えてきた

しかし20世紀が終わろうとする頃、子どもの犯罪被害が相次いだことから通学路の見直しを推し進める声が高まり、2006年にはスクールバスの導入が国政でも言及されるなど、手っ取り早く子どもたちを「安全」の枠に入れて「安心」を得たい大人たちの動きが加速した。

「僕の子ども時代とは全く異なる意味で、『道くさなんてするな』という動きが出てきました。それはつまり子どもの身を守るため、安心・安全という意味です。

しかし、行き過ぎた危機意識によって本来、子どもたちが道くさで得られるはずだった地域社会との絆や信頼が損なわれてしまうのではないか。僕にはそんな懸念が強くありました。

そもそも研究者や学者というのは、世の中の風潮がある一方向に強く、急速に舵が切られようとするとき、その逆のことを考えるのが職能。今こそ道くさの研究をしないといけない、そういう時代についに差し掛かったと感じたんです」

しかし道くさの研究を学会で発表すると、「あなたは子どもに危険な道くさをさせようというのか?」と非難され、水月さんは道程の険しさを感じざるを得なかった。

それでも『子どもの道くさ』を発表したのは、道くさでしかもたらし得ない子どもの発達環境がある、という信念からだった。

「地域にどんな大人がいるか」を知ることができる

「道くさっていうのは全身を使いますよね。花の蜜を鼻と舌で味わったり、どんぐりを手で拾ったり、町の匂いも季節や場所で変わります。

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写真=iStock.com/Irina Shpiller※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Irina Shpiller

自分の町は硬い材質で作られているのか、潮の香りがするのか、緑に溢れた町なのか……子どもたちは五感をフルに使って自分の記憶の中にマップを作っていきます。その中でいつもとの違いに気づいたり、あるいはこの先は危ないというような動物的な感覚も養われていくでしょう。

それともうひとつ大きいのが、地域の大人との交流です。フィールドワーク中、仲良しのパン屋のおじさんが病気になってしまいしばらく店を休業することになったんですが、子どもたちは自主的にノートを買ってきて閉じたシャッターにそれを貼り付け、『早く元気になって帰ってきてね!』などとメッセージを書き込んでいました。

道くさすることで、地域にどんな大人がいて、その大人たちが自分を見守ってくれていることを肌で感じながら成長できる。そうして育まれた地域に対する信頼は、大人になっていく中で社会への信頼に繋がっていくのではないでしょうか」

子どもが生まれて、「地域」が見えるようになった

突然カットインするが、私は結婚を機にまったく地縁のない場所に引っ越した。マンション暮らしで隣にどんな人が住んでいるかもイマイチわからないし、もちろん、町内会に参加することもない。この町で私の名前を知っている人は夫と歯医者だけで、あいさつ以上の関係性を誰とも築いてこなかった。しかし3年前に子どもができたことで初めて、自分が暮らしている地域や、そこで暮らす人々が立ち上がってきた。

ただの景色だった向かいの団地には同じように初めての育児で奮闘しているお母さんがいたし、子どもの登園を見守ってくれるシルバー人材センターのおじいちゃんは同じマンションの住人だった。案外、この町には芝生のある公園が多いことも知ったし、子育ての不安を相談できるサービスや活動が草の根的に行われていることも知った。

一方で、自分自身の“町の大人”としての振る舞いにはいまだにまったく、自信がない。最近になってようやっと町と親交ができたが、子どもと一緒にいないとき、私ひとりの状態で他の子に話しかけるのはいまだに気が引ける。「近所の気のいいオバチャン」には全然、なれていない。

子どもが危険なときも、しらんぷりをする世の中

「僕が今一番の問題と思っているのがそこで、下手に子どもに声をかけるとトラブルのもとになるんじゃないかと大人が怖がってしまって、子どもに声をかける大人がいなくなってしまいましたよね。

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写真=iStock.com/Hakase_※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hakase_

同調圧力と言いますか、社会全体に“世間の目”を意識させるような価値観がはびこっていて、『知らない人と話しちゃいけません』がどんどん拡大していった結果、大人も子どもも互いにしらんぷりするさみしい世の中になってしまいました。

しらんぷりが習慣化した結果、本当に子どもが危ない目に遭いそうになったときですら、大人が見て見ぬふりをしてしまう。すると、地域の大人の見守りがなくなった子どもたちは、自分で自分の身を守るしかない。結局、最も被害を被るのは子どもなのです。

町を自由に遊び回る子どもたちを地域の大人がおおらかな目で見守り、ときに彼らの話を聞いてあげる相談役になる。道くさで得られるもっともすばらしい点は、大人と子どもの信頼関係がもたらす、町の柔らかい空気ではないでしょうか」

「人生そのものが道くさみたいな感じ」

水月さんのお話を聞いていると、「柔らかい」という言葉がしばしば出てくる。そもそも水月さんの道くさという研究自体が誰にでもとっつきやすく、柔らかな発想に溢れている。

「道くさって、本の“余白”みたいなものだと思うんです。一見、無駄に見えますけど、余白があることで大切な本文がもっともいいかたちで相手に伝わりますよね。この余白を無駄と思って削ってしまって本文だけの本にしたら、誰も見向きもしないでしょう。

僕自身は社会が言うようなエリートコースに乗れなかった人間で、人生そのものが道くさみたいな感じできています(笑)。研究の道に進みましたが、何をどうしていいかわからないし、周りは会社員としてどんどん出世していく。そうするとね、心の中がいじけちゃってるんですよ。それを上手にときほぐして気分をのせてくれたのが、恩師の先生でした。その先生のおかげで、僕のなかにあった柔らかさが花開いたように思うんです」

大人が忘れている「柔らかさ」を呼び覚ましてくれた

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水月昭道『子どもの道くさ』(東信堂)

子どものときに好きだった狭い通路。いつもおじいちゃんが花の水やりをしていた角の一軒家。友だちと喧嘩して、この世の終わりみたいな気持ちになった夕方――。

水月さんの本が多くの人の琴線に触れたのは、かつて好きだったことや、子どものときに感じた言葉にできない感情を呼び覚ましてくれたからではないだろうか。それこそ、わたしたちが忘れていた「柔らかさ」のように思える。

「よく考えてみると、子どもの時は子どもなりにいっぱい悩みがあったはずなんです。僕は大人になったら賢くなるし、知恵も体力もついているだろうから、今の自分の悩みは全部消えてなくなるんだって本気で思っていました。でも大人になってからのほうが悩みは深まっています。不思議ですねえ(笑)。だから子どもの時の自分にもし出会ったら、今のうちにたっぷり道くさをして、柔らかい体と心を作って、余裕を持った大人になりましょうって教えてあげたいですね」

水月昭道(みづき・しょうどう)
浄土真宗本願寺派僧侶、立命館大学客員教授
1967年福岡県生まれ。バイク便ライダーを経て長崎で建築学を学ぶ。九州大学大学院博士課程修了。博士(人間環境学 九州大学)。子どもの発達を支える地域環境デザインなどを研究。父が病気で倒れ京都から郷里へ戻り実家のお寺を継ぐ。著書に『子どもの道くさ』(東信堂)、『高学歴ワーキングプア』(光文社新書)、『お寺さん崩壊』(新潮新書)他。

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小泉 なつみ(こいずみ・なつみ)
編集者・ライター
1983年生まれ。TV制作会社を経て出版社に勤務。その後フリーランスとなり、書籍やフリーペーパー、映画パンフレット、広告、Web記事などの企画・編集・執筆をしています。ネタを問わず、小学生でも読める文章を心がけています。
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小泉 なつみ

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