38歳で上京、手取り180万円のオタクが「それでも推しに救われていた」と思えるまで

38歳で上京、手取り180万円のオタクが「それでも推しに救われていた」と思えるまで

  • 現代ビジネス
  • 更新日:2020/09/16
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謎めいた友人からの連絡

Twitter上の友人・シズカさん(仮)が、九州から東京に引っ越してきたという。同じボーイズラブ作品が好きという縁で10年ほど前に知り合った彼女は、私がそのジャンル用のアカウントでする萌え話には積極的に乗ってくれるが、自分の身の回りのことを話さないタイプだ。住んでいたのが九州だというのも、初めて知った。

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私が登壇したトークイベントに来てくれたことはあったし、記事や書籍の感想をくれたりもするのだが、知人の中でも、一番謎めいた人かもしれない。せっかくなので、オンラインでおしゃべりしませんかと誘ったところ、こんな返事がきた。

「ひらりささん、この間『テレビの貯蓄特集で、出てきたシングルマザー女性の手取り年収が180万円だった。労働者って本当に使い捨てられている』というツイートをリツイートして、『そんなことになっているのか…』と書いていましたよね。その時メンションしようか悩んだんですけど、私の去年の手取り年収が、まさに180万円だったんです。

フルタイムで働いてこんな金額、公正じゃないなと私も思うんですけど、地方の非正規にとっては普通の金額で、うちの地方ではむしろ高い方でした。……なんてことを急に書いてごめんなさい。都会に住んでる方からすると絶対驚くことなので、ひらりささんのツイートは当然だなと見ていました。

で、せっかくお会いするなら、『手取り年収180万円だったけれど、300万円貯金して上京した話』を取材してもらえませんか。ちょうど一区切りついたので、自分でも誰かに話がしたいなと思って」

たしかに数ヵ月ほど前にそんなツイートを見かけ、驚きのコメントをしてしまったことがあった。かなり反射的に感想を呟いてしまったのだが、当事者からしてみれば「現実」でしかない話だっただろう。バツの悪さを感じたが、だからこそ、これを機にシズカさんの半生をぜひ知ってみたいとも思い、取材の時間を取らせてもらった。

ソルトレークシティ五輪の熱量で

九州で育ったシズカさんは、現在38歳。今は東京の大手IT企業の派遣社員として、経理に関わる業務を行っている。時給は1800円で前職より600円上がった。額面での月収は27万円、手取りでは21万円ほど。実家に住んでいた時と違い、家賃と生活費がかかるが、月6万円の手ごろなアパートを見つけたため、十分賄えている。

ずっとアルバイトと派遣社員を渡り歩いてきたシズカさん。高校卒業後は、一人暮らしをして大阪の大学に通っていたということだが、就職活動で志望業界などはなかったのだろうか。

「就職氷河期と重なってしまっていて、行きたいところになんて行けないのがわかっていたので、手当たり次第に受けるだけでしたね。

今の自分からしたら業界研究やスキル獲得などをしていればよかったと思うんですが、頑張るべきときに頑張れなかった理由の一つが、19歳の時にフィギュアスケートのオタクになってしまったことです」

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1982年生まれのシズカさんは、子供の頃から読書家。中高では自然な流れでライトノベルを読むようになり、「スレイヤーズ!」に夢中になっていた。アニメも観てグッズも買っていたが、卒業とともに第二部が完結。その心の隙間に入り込んだのが全くの別ジャンル、フィギュアスケートだった。

「ハマったのは2001年ですね。元々テレビでたまに観ていたのですが、翌年のソルトレークオリンピックを控えたタイミングだったので、選手たちも気合が入っているし、すごく盛り上がっている年だったんです。

そこで追いかける選手ができたら、なんとオリンピックと大学の試験期間が完全に被ってしまい。単位を落としまくって限りなくやばい状態になったのですが、熱が止められませんでした」

初めてファンになったのは、アレクセイ・ヤグディン。男子で世界初のゴールデンスラム(GPファイナル・欧州選手権・冬季五輪・世界選手権)を達成したロシアの選手だ。ソルトレークオリンピックの時期は彼の活躍の真っ最中で、シズカさんは初めて観た生の試合でヤグディンが目の前で優勝をしたのを機に、フィギュア沼にのめり込んでいった。

「演技はアーティスティックだけど『勝ちたい』という気迫をどこまでも持ち続けているところがすごく好きで。私がハマってすぐ、彼はアマチュアは引退したのですが、アイスショーでしょっちゅう来日するのを追いかけて、他の現役の選手の試合も見に行って、年4回は現場がありました。

高いチケットは2万5000円ほどしましたが、東京や大阪に行く旅費を含めても1現場10万円以内。試合以外ではお金がかかりませんから、当時やっていた学食バイトで、なんとかやりくりできていましたね。

家賃も光熱費も親の口座から引き落とされていたし、年金は学生猶予制度を使うことができたので、微塵も金銭感覚が身についていませんでした」

ヤグディンは2003年に引退したが、シズカさんのフィギュア熱はおさまらなかった。やはり芸術的な演技に定評がある女子選手に魅せられ、そちらを追いかけた。

「ヤグディンが引退した頃まさに就活をしないといけない時期だったんですが……周りの誰もうまくいっていなかったので足がすくんでしまって、前向きなやる気が出なくて、どこも受かりませんでした。

多分、氷河期じゃなくてもうまくいかなかったでしょうね。フィギュアを観る以外にやりたいことがなかったし、就活そのものが怖かった」

沼にハマって燃え尽きるまで

結局、どこも就職先が見つからなかったシズカさんは、九州の実家に戻る選択をした。大学院に進学してはどうかと言われ、法学部研究科に進学した。

「勉強には身が入らないから当然成績は悪いし、本当に、在籍してるだけでしたね。趣味のための短期・日雇いバイトをこなしながら、フィギュアオタクだけに縋り付いていました。掃除人もパン屋も塾の先生も、試食バイトもしました。シフトが選べたので、オタク活動にはうってつけで。当時は時給750円とかでしたねえ。

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給料が低くても、それは自分が頑張ってないからだし……と割り切っていました。友達にもフリーターが何人かいたので、比べてもなんとも思っていませんでした」

しばらくは院生とバイトの掛け持ちをしていたが、さすがに親に定職につくよう言われ、大学院を中退。なんとか地元駅ビルの販売・品出しの長期派遣の職を得て、30代前半まで働いた。この最中に、彼女に一世一代のオタ活イベントが訪れる。推しが、ヨーロッパで開催される大会を最後に引退することになったのだ。

「当初は、ヨーロッパに行こうなんて思ってませんでした。だって時給800円だし、貯金もなかったし……。でも、今後も来日はあると思っていたのに、その後は出場しないと彼女が言い切ったんですね。

我慢したいけど、やっぱりサイトを見ちゃうじゃないですか。日本でも人気選手なので国内の大会では席を取るのが一苦労なんです。でも調べたらチケットが全然残っていて。しかも300円くらいでキャンセル保険がついていたんです。

お金の算段がつかなかったら諦めればいいし……とまずチケットを確保し、そこから一生懸命お金をかき集め、遠征しました。総額50万円くらいはかかったでしょうか。ホテル代は現金で、チケットと飛行機代は半年かけた分割払いで凌ぎました」

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当時支払いに役立ったのが、シズカさんが勤めていた駅ビルが設定していた、クレジットカード勧誘の報奨金だ。1件200円で、毎月現金でもらえ、シズカさんは一番多い月で100件の勧誘に成功していた。

「封筒で貯めていたので、数万円はそれで払えました。あまりにも行き当たりばったりですね(笑)。でも彼女が最後の大会で、数年間怪我で悩んでいたのが嘘のような演技を見せて、優勝したんです。

その場で大泣きして、両隣の現地ファンに驚かれました。他国の女子選手を追いかけている日本人ってかなり少なかったので。今でもあの試合を観に行った、と他のファンに話すと『本当に幸運だね!』と言われます。

2週間、彼女のスケジュールをずっと追いかけて、朝6時の公式練習も観に行って。お客さんどころかマスコミもいなくて、見ているのが私だけって時間もありました。優勝した試合の後も、現地で彼女の特番やCMを見ることができて。本当、まるでオタク運のために仕事運を注ぎ込んでしまっているかのような時期でした」

推しの引退に有り金を使い果たし、燃え尽きたシズカさん。しかし「じゃあ他のことを頑張ろう」という気力は湧かず、派遣会社から勧められるままに、職場を移る生活が続いた。

「派遣先の閉店や契約切れで次の仕事を探さないといけない時も、条件の希望は何もありませんでした。今思えば、推しが引退して抑うつ的な状態ではあったんでしょうね。

フィギュアを追いかけていた時は、日本でのイベントは全部見に行って、ずっとファンレターを書き続けて、プレゼントを送って、相手に顔を覚えてもらって……とオタク活動で紛らわしていたんですけど、我にかえるとそれって別に感情のベースをプラスにしてくれるわけじゃなくて。

その瞬間『好き好き好き!』の花火を上げてごまかしてるんですけど、年齢とともに、花火の落ちる速度はどんどん速くなっていった。フィギュアスケートというジャンル自体の当時の状況も影響していたかもしれません。同じ曲で滑る選手が増えて、『過去のあの時のあの選手の演技がよかったな』と懐古してしまう自分もいて。

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10年以上見ているなかで自分が『老害』になりつつあったのかもしれません。でも何より、自分の心が閉じていて、余裕がなかったから、堪能できなかったんでしょうね。推しが引退するときには私としても『見届けた』という満足感がありましたが、その後は、嬉しいとか楽しいという感覚自体がよくわからなくなっていました」

私と知り合ったきっかけであるBL小説も、やはりシズカさんにとっては“花火”でしかなかったと言う。

「買って読むと、たしかに面白いし萌えるんですよ。でも、いつも思っていたのは『こんなに面白いものを読んでも、私は別に幸せになれないな』ってこと。

他の人たちがTwitterで盛り上がって萌えを話していても、私はここに乗れないなって気持ちが強くて。熱量がすごい人を見て、羨ましいなって気持ちと、落ち込んじゃう気持ちが半々でしたね。まあ、フィギュアスケート沼にいたときはコミュニティがあったので、そこから離れて、疎外感を抱いていたのもあるかもしれません」

仕事での得意分野をはじめて掴んだ

“花火”すらうまく楽しめなくなったシズカさんは、何が理由で東京に来ようと決意したのだろうか。転機は35歳で得た、メーカーでの営業サポートの仕事だった。

「駅ビルの後、不動産、通信と業界を転々としたのですが、どちらもかなりしんどくて。不動産は時給1200円、通信では時給900円でしたが、ハラスメントがすごかったんです。

『契約社員になれる確率が高いんですよ』が売り文句なんだけど実際はパワハラでやめてしまう人が多いだけだったり、男性社員が派遣社員を自分の大奥だと思ってるタイプで顔で露骨にランクづけしてきたり……。それが営業サポートに転職してやっと、時給が1000円以上かつ、自分の業務が認めてもらえるという環境になりました。

できないことがあっても、『最初はできなくて当たり前』とちゃんと教えてもらえて……。お金が確実にもらえてしばらく働いていたいと思える状況になって初めて、『いや1000円でも足りないのでは?』と思うようになりました。

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一方、『誰かをサポートする業務だと自分は得意かもしれない』と自分のアピールできるポイントもわかってきて、得意分野を生かして時給を上げる転職に成功しました」

メーカーでの手取りは月12〜13万ほど。そこから類似業界で転職して時給は1200円、手取りはやっと15万円になった。

「親元で暮らすには十分ではありました。B L小説が趣味でも、大してお金はかからないですし。でも、メーカーで働いて、業界内での大手企業による地方企業の買収のニュースなどを聞くようになって、気づいたんですよね。

『今はギリギリ大丈夫だけど、これから仕事がなくなるかもしれないな』『でも、自分の職歴じゃ、川で溺れた社長でも助けない限り正社員にはなれないな』と。

自分は結婚できないししたくないし、もっと給料を上げて、歳をとっても仕事を続けたいなら、今頑張って東京に出た方がいいんじゃないかと、それまでなかった選択肢を考え始めました」

もう一つ、シズカさんが東京に出ようと思った理由がある。「“女の子扱い”を脱したい」と気づいたことだ。

「アシスタント業務が得意だと気づいたので、メーカーの後に働いた地元最後の職場でも、男性5人くらいのサポートをする仕事を選んだんですね。エクセル使ったり伝票を処理したり……という業務は自分に向いていたものの、『“女の子”のポジションでいると楽な自分』にも気づいてしまって。

過去の職場と違い、他の女性社員と比べられる不快感はなかったんですが、『結婚しないの?』とか『この中で未婚の男はね……』といった発言は日常茶飯事でした。

私がニコニコしていればうまくいくし、何も考えなければ問題ないんだけど、これじゃダメだ、こういう仕事の仕方をしてはいけないって思って。でも、地元ではそう見られない職場を探すのがかなり難しいので、東京に行こう、と決意しました」

距離を置いたからこそわかった幸せ

計画的に貯金をし、3年かけて300万円を貯めた。年収180万円で、年間100万円を貯めるというのは並大抵の努力ではない。しかし、家を借りた状態でないと東京での就活は厳しいだろうと判断し、十分な準備資金を得るべく、頑張った。

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「親が既に定年していたので、保証人がなくても借りられる物件を探す必要がありました。『借りたい物件の24ヶ月分の家賃』が一つの基準になっていると知り、それを超えてますと示せる金額として、300万円くらいかなあと。

実際、不動産会社に通帳のコピーを求められたので、本当に大事でした。オタ活で気分が上がることがないぶん、お金を使わないと気がすまないってことがなかったのはよかったですね」

一つだけ、シズカさんが貯金中に購入したものがある。スマートフォンだ。

「2万5000円のものです。情報収集はパソコンで間に合っていた一方で、自分が社会のペースについていけない負い目があって、ずっと複雑な感情を持っていたんですが、買ったら便利でしたね……。実際に東京に引っ越すとなった時に、スマホを持っているのが前提の手続きがたくさんあったし、貯金中も、スマホにかなり助けられたんですよ。

瞑想アプリをインストールして、『今の目標を考えましょう』というガイドに従って『東京に転職、東京に転職、東京に転職』って1年くらい頭の中でずっと唱えてました。

上京後も最初に決まった職場はコロナのせいで契約反故にされたり、今の職場も開始日を半月以上ずらされたりといったことがあったんです。でも、『今の私が欲しいのは職と金、開始日よりお金、せめて時給あげてもらおう』と瞑想したら、やるべきことが落ち着いて整理できて、実現しました(笑)」

38歳になって、ようやく金銭的な余裕が出たシズカさん。東京での暮らしの中、何か変わったことはあるだろうか。

「地元にいた頃と変わらず、自活と貯金に集中しています。でも余裕ができたことで、『オタクであることは自分を救わない、とずっと思っていたけど、そうでもないんじゃないかな』ってことに気づきました。

単に自分が救われたいと思いすぎていただけだなって。オタクとしていいことがあると、一気に前向きになれるんじゃないかと期待しすぎていたからこそ、そうならないことにふてくされていたんですよね。

でも、ブランクがありながらも何とか次の仕事に進めていたのは、推しがアマチュアは引退したけれど、プロとして活動してくれていたからだし、フィギュアやBLでできた友人関係に励まされることもありました。渦中にいるときは自分は不幸だって決めつけていたけど、振り返ると『本当は、推しがいたから前に進めた部分もあったんだな』って今は思えています。

実は、推しが引退後も、ずっとクリスマスプレゼントを送っていたんですが、昨年だけ『転職します』と書いたんです。そうしたらお祝いの返事が返ってきて。オタク的にはやっぱりずっと恵まれていたし、それは私の人生を支えていたなと、やっと思えました」

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新しい目標などはあるだろうか。

「うーん、私あんまり成熟してないので……(笑)。人生、他の人より成熟していたことがないから、これからしたいことがどんどん出てくるのかなっていうのは楽しみですね。結婚したくなるのが60歳くらいで、正社員になりたいと思うのが65歳くらいじゃないかな?って思ってます。私ってまだ『私が私である』のを頑張っている段階なんです。

もし私のように、地方でモヤモヤしながら暮らしている人がいても、あまり焦らないでほしいなと思っています。自分を変えたいなら、その気になってからで全然間に合うので。

オタクだった身として言いたいのは、推しとの別れがあっても、他の人が持っているものをそんなに欲しがらないでいいということ。熱量すごい人を見たりコミュニティから足を洗ったりすると寂しくなるのは確かなんだけど、何かを“好き”程度でも生きていけるんですよね。

一部の人は『何者かになりたい』『何者かでなければならない』と考えるあまり、オタクであることに固執しすぎてるのではと思うことがあります。そうじゃなくても、その人はその人なのに。 アイデンティティが希薄になることを、そこまで恐れなくていいんじゃないかな。あくまで、38歳の私が今思ってることですが。

昔は、供給があって萌えているのが当たり前で、推しやジャンルにずっとコミットしていれば正義だと思っていたけど、そうじゃなくなっても、ここまで生きてこれた。毎日大きな花火が上がってなくても生きてこれたのは、良いことだと思っています」

最近は、実家ではできなかった、「家のインテリアにこだわる」をやろうと、あれこれウェブサイトを見ているシズカさん。今度は対面で会って、何か引っ越し祝いを渡そうと思った夜だった。

ひらりささん連載「平成女子のお金の話」今までの記事はこちら

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