
田中さんのインスタグラムより
お笑い芸人のアンガールズ・田中卓志さんが初エッセイ集『ちょっと不運なほうが生活は楽しい』を著しました。今年で芸歴23年、今までの人生を振り返った内容は、思わず笑ってしまう話から胸を打たれる出来事まで悲喜こもごも。今回は、ビビる大木さんとのエピソードについて綴った「待て! そこの新選組!!」をご紹介します。芸歴1年目の頃、ほぼ大木さんと共に時間を過ごしたそうで――。
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急に決まった京都旅行
それからしばらくして、大木さんから「今日と明日空いてる?」とメールが入った。
詳しく聞くと、今夜から京都に旅行するんだけど、車で行くから、ドライバーをやって欲しいとのこと。
僕は、京都に行くなんて小学生の修学旅行以来なので、喜んでオッケーしたものの、出発が深夜0時。またもや睡魔との闘いだった。
何でいつも大木さんは真夜中に行動するのだろうと思ったけれど、テレビに出ている人は忙しいから、こうやって僅かな隙間を縫って旅をして、自分の引き出しを増やしていくしかないのだと、今ならわかる。
0時に集合して高速道路で5時間。京都に到着すると流石に大木さんもクタクタで、朝5時に少しでも安いところと、ラブホテルに泊まった。と言っても寝たのはたったの2時間だけ。
新選組の法被を見つけて
体はボロボロの状態で旅行再開。
大木さんは幕末の歴史が好きなので、坂本龍馬ゆかりの地を旅して回った。
寺田屋や、池田屋の跡地、新選組の隊士のお墓。そんな中で大木さんはあるものを見つけた。
「おい田中、新選組の法被があるぞ、5500円もするのか」と悩み始めた末に、
「もしこれを着て京都を歩いてくれるなら、買ってあげる」と言われた。
女の子が旅行中だけ浴衣を着ているのとは訳が違う。法被の後ろに大きく「誠」と書かれていて、これを着て歩いている外国人の観光客すら見たことがない。
でも、旅行代を全部出してもらっている僕が出来ることは、この期待に応えることくらいしかないので、僕は考えるのをやめて「欲しいです!!」と叫んだ。
渡月橋での思い出
そこから、僕は頭に鉢巻を巻いて法被を羽織り、新選組の隊士の格好で、京都の街を旅することになる。テレビに出ていた大木さんではなく、全くテレビに出ていない僕を、みんなチラチラと見て、写真をこっそり撮る人もいた。

『ちょっと不運なほうが生活は楽しい』(著:田中 卓志/新潮社)
「新選組っていうのは、幕末の京都において、警察みたいな役割をしていたんだ。田中も京都の街を警備しながら歩け」と大木さんに言われて、「はい!」と勢いよく返事をしたけれど、どう見ても怪しい人物は僕のほうだった。
大木さんは嵐山の渡月橋に着いたところで、「田中、新選組も渡月橋を渡ったかもしれないから、この橋の向こうから走ってきて、俺の前まできて、新選組だ!! と叫んでみてくれ」と言った。
若手芸人と言っても、半年前までただの一般人だった僕は、めちゃくちゃ恥ずかしかったけれど、先輩に頼まれては逆らえない。50メートル先まで行って、全力で走ってきて「新選組だ!」と言うと、大木さんは少し笑っていた。僕と一緒にいる時はほとんど笑わないのになと思っていたら、よほど気に入ったのか、頼まれてその後5回くらい同じことを橋の上でやった。
大木さんは旅行が終わって解散する時にも「この法被を、今度東京で遊ぶ時にも着てきてくれ!」と言った。しかも「遊ぶ時に俺の家の前で着るんじゃなくて、自分の家を出る時から着てきて欲しい」と。
「待て! そこの新選組!!」
それから2日後。大木さんから飯を食べようと誘われたので、家の玄関を出てすぐにその法被を羽織り、自転車で大木さんの家に向かった。べつに大木さんが見ているわけではないので、着く直前で着れば良いのだが、「誠」を背負ってそんなことはできない。
自宅を出るのが少し遅れてしまい、三軒茶屋の街をものすごいスピードで自転車をこいでいた。
法被をなびかせながら角を曲がったら、道端にいた警察官と目があった。まずいと思ったが、もう手遅れ。その警察官は僕を見て、確実に怪しい奴と睨んできた。
東京の街を新選組の法被を着て自転車に乗って全力で走っている奴を、まともな人間だと思ってもらうほうが難しい。
横をすりぬけると、警察官がちょっと止まって! と言ったが、でも正直ここで止まったら大木さんとの待ち合わせに遅れてしまう。僕は何も悪いことをしていないという自信があったので、僕に言っているのではないと自分に言い聞かせ、そのまま去ろうとしたら、その警察官は慌てたのか、「あっ、ちょ、おい、待て! そこの新選組!!」と叫んだ。
警察官が「新選組!」と言った衝撃と、名指しの自分への呼びかけに、僕は自転車のブレーキをかけた。
京都で「新選組というのは、幕末に警察の役割をしていた」と聞いていたのに、現代で、新選組が警察に職務質問されている。何だか情けない気持ちになった。
結局、大木さんの家には待ち合わせから10分遅れで着いた。怒られるのを覚悟でこの話をしたら、大木さんが今まで聞いたことがないくらい大きな声で笑ってくれた。
※本稿は、『ちょっと不運なほうが生活は楽しい』(新潮社)の一部を再編集したものです
田中卓志