為末大が「陸上界の優等生」から「空気を読まない人」にキャラを変えたワケ

為末大が「陸上界の優等生」から「空気を読まない人」にキャラを変えたワケ

  • PRESIDENT Online
  • 更新日:2021/04/08

世界陸上で銅メダルを獲得した為末大さんは、ストイックに練習に打ち込む姿が世間に広く認知されてきた。だが、ある日を境に「『みんなに好かれなくたっていい』と開き直ることにした」という。その理由とは――。

※本稿は、為末大『為末メソッド 自分をコントロールする100の技術』(日本図書センター)の一部を再編集したものです。

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撮影=関健作為末大さん - 撮影=関健作

嫌われることを先延ばしにしない

誰にでも「人の好き嫌い」はある。こればかりは、どうしようもない。つまり、一定の確率で必ず他人に嫌われるということだ。僕は「どうせ嫌われるんだったら、早めに嫌われておいたほうがラク」と考えている。

世界陸上で銅メダルを獲得してから、一気に僕の顔が世間で知られるようになった。それ以降の僕は、無難な発言ばかりを繰り返すようになっていった。「次の世代にいい影響を与えたい」「一生懸命走ります」。一方で、「絶対負けたくない」という本音が言えなくなった。そんな言葉だけでも、嫌悪感を抱く人がいるからだ。

自分の影響力が強くなってくると、僕は「嫌われたくない」という気持ちに縛られはじめた。するとメディア上での僕が、僕自身からどんどん離れていく。今度はそれが、たまらなく嫌になった。

「みんなに好かれなくたっていいや」。僕はあるときを境に、そう開き直ることにした。そうしたら、とてもラクになった。

とはいえ、「嫌われたくない」という気持ちは誰にでもある。だから「この人にだけは」と、条件付きにしておく工夫をしよう。尊敬できる先輩や恩師、有名人でもいい。「こんなことをしたら、あの人は怒るな」とか「あの人なら、評価してくれるかな」と考えてみる。その人にだけ、嫌われないように行動する。すると、知らない誰かに嫌われることなど、どうでもよくなってくるはずだ。

こまめにがっかりさせておく

人は相手に「キャラ」をつけることで、どこか安心しているところがある。競技生活中の僕の場合、ストイックでクールなキャラをつけられていたように思う。僕自身もそれを気に入って、自分からハマりにいっていたところもあった。するとまわりも、僕がキャラ通りに振る舞うことを、さらに期待する。それはまるで「一発ギャグ」みたいで、だんだん「ルネッサ~ンス♪ってやってよ」みたいになっていくのだ。

よりクールで、よりストイックな僕に対する期待は、どんどん加速していく。すると「そうじゃない自分」を表に出せなくなる。正直、僕はクールではないのに、おちゃらけたことは言いづらくなっていった。キャラを保っていくために、無理をする。それってとても疲れることだ。

そんなことにならないためにも「こまめにがっかりさせる」ことをすすめたい。「このキャラを期待されてるな」と感じたら、あえて期待を裏切る言動をしてみる。そうやって、上がりすぎてしまった周囲の「期待値」を下げてしまえば、不必要なフラストレーションを抱え込まなくて済むようになる。

それに、期待ばかりが高くなり、実力とかけ離れてしまうと、キャラ崩壊を恐れるあまり、挑戦することが怖くなってしまう。こまめにがっかりさせることで、実力と見あうよう「期待値」をコントロールしよう。

ときには空気を読まない

ミーティングのとき、あえて、素朴なことをポツンとつぶやいてみる。「そもそもこれ、何の意味があるんだっけ?」「これってなんではじめたんだっけ?」。そうすると、場の空気が一変して、より深い話に発展していくことがある。

あるいは、頼まれごとが重なって息苦しくなりそうなとき、思い切って「これはやりません」と拒否してみる。すると、これまた空気が一変して「じゃあ別の人に頼んでみるよ」と、あっさり状況が変わることがある。つまり「ときには空気を読まない」ことも必要なのだ。

場の空気を読みすぎてしまうと、周囲からも同じような反応しか返ってこなくなる。すると、パターン化したつまらない空間になったり、いつの間にか苦しい状況に追い込まれたりしてしまう。だからあえて、いつもと違う自分をポンと出してみる。相手の心に揺さぶりをかけるのだ。「自分のキャラを変えられる主導権は、常に自分がもっている」。そう意識してみよう。

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撮影=関健作

自分の人生なのに、「私はこうするしかないんです」と、まるでまわりに流されるように、生きている人がいる。でも、それは誤解だと思う。ちょっと自分の行動を変えてみるだけで、まわりの反応は変わり、流れも変わっていく。「空気を読まない」ことは、とても勇気のいることだ。でも、その効果は思っている以上に大きい。

「白状」は人の心に響く

感情をあらわにするような言葉や、主観的な言葉。いわゆる「白状」を、普段は冷静な人から急にぶつけられると、胸に深く響いてしまう。そんな経験、誰にでもあるのではないだろうか。

ちょっと幼稚に思えるかもしれないけれど、「感情を外に出さずにはいられないほど、僕の気持ちは高ぶっているんだ!」という態度が、心の琴線にふれるのだろう。

『いまを生きる』という映画に、こんなシーンがある。詩をうまくつくれない少年が、先生に追い込まれて、思わず心のままに言葉を叫ぶ。その言葉が、教室中の感動を呼び、喝采を浴びるのだ。ああ、響く言葉というのは、ありのままの「白状」なのか。僕はこのシーンを見て、そう確信した。

もちろん、「白状」ばかりをしていてもいけない。いつでも感情的な人だとみなされて、信頼を失ってしまうことだってありえる。あくまで普段は冷静な人が、あるとき、正直な感情を見せるからこそ、その言葉に特別な意味が宿るのだ。

相手の心を動かしたいとき、どうしてもわかってほしいことがあるとき、相手の心が閉じてしまっていると感じるとき――。「白状」は、そんなときのために、大事にとっておこう。

危機的な状況でこその愚鈍さ

僕の性質として、世の中の急な変化に、敏感なところがある。そして、その変化に極力飲み込まれず、淡々とした毎日を続けようとする傾向がある。みんながそろって同じ方向へ動こうとしているとき、その空気に流されることに、強い警戒感があるのだ。

ひどい災禍が起きたり、大変な事態に見舞われたりしたときに、社会は急激に変わっていく。みんながソワソワしはじめ、不穏な空気が世の中を包み、人々はせわしなく動く。でも、物事が沈静化した後で、当時のことを振り返ると「ただ右往左往していただけだったな」「結局動かなくても、変わらなかったな」と思えることが多いと、僕は思うのだ。

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撮影=関健作

そんなときにもっとも強いのは「いままでしてきたことを、愚鈍にやりつづけられる人」ではないだろうか。どっしり構え、細かな情報に一喜一憂せず、ときにはあえて、情報を遮断する。危機的な状況でこそ、愚鈍でありつづけることを心がけておきたい。

何が正しいかわからず、混乱を極める状況では、普通のことを普通に続けるのが難しくなってしまう。僕自身も、焦って動いてしまったことがある。そして、失敗したときの原因の多くは、その焦りにあったように思うのだ。「10年後の僕が見たら、いまの僕はすごくバカげたことをしていないか?」。そんな視点をもつといいだろう。長い時間軸を意識して、自分の行動を観察してみよう。

本来の自分などない、と考える

僕たちは日々の暮らしの中で「この人の前では謙虚な姿勢で」「あの人にはフランクに」というふうに、「自分」を常に調整し、使い分けている。そう考えると、数えきれないほどたくさんの「自分」がいて、「どれが本来の自分か、わからない」と悩む人もいるのではないだろうか。でも、僕はこう思う。そもそも「本来の自分」なんて、いないんじゃないか。

「自分は本来、こんな人間」「私はこうあるべきだ」というように、自分で自分を決めつけて、そこから逃れられなくなり、苦しくなってしまう人がいる。もしあなたがそういう傾向にあるのなら、「ある場所での自分は、別の場所での自分とは、違っていいんだ」と考えてみることをおすすめしたい。その都度出てくる「自分」を認めてあげたほうが、肩の力が抜けるし、本来もっているポテンシャルを活かしやすくなるはずだ。

「自己分析すれば『本来の自分』がわかり、正しい戦略を導き出せる」と考える人もいるだろう。僕はそれとは真逆の考え方をしている。「自分」も、もっと言えば「世の中」も、常に移ろいゆくもの。だから怪しいし、何もわからない。戦略なんてない。「いろいろやってみて、見えてきたものに、臨機応変に対応していくしかないよね」と考えている。「本来の自分」にこだわらず、「世の中こうあるべき」とも考えず、環境によって柔軟に変化していったほうが、うまくいきやすいと思うのだ。

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撮影=関健作

本当に「いつも」なのか考える

「あの人、いつもこうだよね」「自分はいつも○○だ」。こんなふうに「いつも」という言葉は、マイナスの意味で使われることも多い。それは「いつも」という言葉に、「いままでも、今後も、決して変わらない」というニュアンスが含まれているからだ。だからこそ、心の中で問いたい。「それって本当に『いつも』なの?」と。

たとえば、言い争いをする中で「キミはいつもこうだ」という言葉が、相手を深く傷つけてしまうことがある。それはその言葉に「キミには常にこの問題がついてまわる」「そしてそれは、今後も変わらない」という意味が含まれてしまうからだ。自分の存在そのものを責められているように感じれば、誰だって傷つくだろう。

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為末大『為末メソッド 自分をコントロールする100の技術』(日本図書センター)

人は誰かの性格を「いつもこうだ」と決めつけがちだ。でも、人の性格は変化するし、見えている性格は一面にすぎない。「案外そんな人じゃなかった」なんて、よくある話だろう。

人の性格を決めつけるクセは、早めに直したほうが得策だ。

自分自身の性格だって、「いつも同じ」と思わないほうがいい。意外に思うかもしれないが、最近の僕の性格を一言で言うなら「そんなに勝ちたいわけじゃない」。勝つことにこだわりつづけた競技人生を終えたいま、性格が変わったのだ。その人は、本当に変わらないのか。

その状況は、本当に変えられないのか。「いつも」のほとんどは、いつもじゃない。

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為末 大(ためすえ・だい)
Athlete Society 代表理事
1978年広島県生まれ。スプリント種目の世界大会で、日本人として初めてメダルを獲得。2000年から2008年にかけてシドニー、アテネ、北京のオリンピックに連続出場。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2020年5月現在)。2012年現役引退。アジアのアスリートを育成・支援する一般社団法人アスリートソサエティの代表理事を務める。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。ベストセラーとなった『諦める力』(プレジデント社)は、高校入試、課題図書などに多く選定され、教育者からも支持されている。最新刊は親子で読む言葉の絵本『生き抜くチカラ』(日本図書センター)。
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為末 大

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